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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

本当の賢さとは

2021年10月06日 12時32分41秒 | 意識論関連

社会安全性や公平性に配慮できない人間性の欠落したバカを尊敬することはできない

だが バカだと暴力や差別的正義を振り回す「強い」相手に迎合同調して服従しておいた方が本能的には安心満足感が得られるため バカは「勝てそうない相手には逆らわない」ことが「冷静」だと思っているのである

勝てそうにない相手に逆らわない方が 利己的生存価にとっては有利かも知れないが それは本質的には「理性」ではなく 「怖いから逆らわない」という情動であり本能である

そもそも生存自体が「目的」である論拠がない以上 利己的生存にとって有利な行動には何の正当性もないのである

「死ぬのが怖い」という先天的情動の強度程度をどんなに主張しても 先天的情動であるという時点で既に自己選択不可能なものであり 目的であることの論証には全くならず 自己の生存には「結果」以上の意味は存在しないのである

 

バカの意識の表層では 多数や暴力的相手には逆らわずに卑屈に服従することの方が主観的には安心満足であるため この主観を意識の本質だと錯覚していれば人間性を欠いた行動を採る暴力者にも迎合服従するようなるのである

意識の表層 つまり気分感情だけで行動するというのは 先天的な動物的行動習性に則って条件反射的無意識に行動しているに過ぎず 本質的な「人間としての意識」 すなはち「論理客観的検証性に基づいた行動選択」にはならない

ナチス政権下でナチスに迎合したのも

東電社内で上司の顔色を窺って原発の津波に対する脆弱性を放置したのも

エスカレーターでぶつかってくる相手に逆らわないのも

全部主観的気分による安心満足だけであって 当人は「冷静」だと思っていても 本当は「怖いから 本当はやるべきことをしたくない」という人間性を欠いた卑劣な発想を正当化する「こじつけ」や「はぐらかし」や「言い逃れ」という「嘘」に過ぎない

大多数の人民が暴力者に迎合服従していれば 暴力者が実権を掌握することになる イジメが起きても子供の8割は傍観放置者だと言われており これは大人でも同じことである

ヒトは 多数でありさえすれば「正常」だと思うように出来ている

多数派でありさえすれば主観的に安心だからである

そして 「自分だけは絶対に大丈夫」という正常性バイアスによって 自分の主観を信じ込んでいた方が満足なため 全てを疑わなくなるようになることで 論理客観的に深く考えることを一切しなくなるのである

ヒトという種の生物は 物事を論理客観的に深く考えるようには出来ていない

「深く考えよう」とか「これってもしかして間違ってる?」といった素朴な疑問に基づいた論理検証性(理性)が働くようには先天的には出来ていないのである

だからミャンマー軍事政権のような暴力が未だに発生するのである

ヒトは決して「知的生命体」などではない

全然知的ではないのである

知性というと 知識の「量」だけだと多くのヒトは「思う」のかも知れないが 間違ったことを鵜呑みにしていて知能とは到底言えない

論理検証性に基づき真偽を見分けられないことには知能でも何でもないのである

大衆の多くは学力偏差値さえ高ければ「頭が良い」と思っているが これもまた錯覚である

東大医学部の学生が地下鉄に毒ガスを撒いて「人類の救済だ」などと言い出したことからも ISILの幹部の多くが高学歴なことからも 学力成績と知能には相関がないのである

学力偏差値などが高ければ 世間的に優遇されるものだといった利己的利益のために学力成績に執着しているバカであれば 動機自体が利己的利益を目的にしているという根源的間違いには配慮が働かない

知能とは 利己的利益のためのものではなく 社会安全性や持続可能性や平等公平性を目的とした「人間としての知能」として機能しなければ これは知能でも何でもないのである

「サルの正義」も「神の正義」も要らない そういう「他人の正義」は人間には要らないのである

 

「抽象化されたエサにつられて知識の量を増やしている」だけのバカは多いが それは既存の評価軸に論理客観的根拠が伴うのかどうかを考えたこともなければ 主体的選択すらしていないのである

学問というものを「高い地位身分を獲得すれば有利な立場に立てる」という利己的利益を目的としている時点で人間性を欠いているのであって 「福沢諭吉を疑わない」という盲目性を全く自省していないのである

 

ヒトという種の生物 大多数の衆愚は どうしても利己的利益という生存価に有利な行動だけを目的にしがちな習性があるが こうした遺伝子レベルの貧乏性による欲望の暴走を自覚しないことには 社会安全性や持続可能性や平等公平性は蔑ろにされ 破綻滅亡への道筋を変えることはできないのである

ヒトはバカでいた方が気分的には楽である

物事を深く考え 社会の諸問題にも憂慮していれば楽しくはない

だが 他人からの評価に左右されない純粋な個人的な楽しみを持っていれば 楽しくはなくても配慮せざるを得ない

自分も楽しみたいし 他人の楽しみにも共感することはできる

プラモデルでもコスプレでも粘土細工でも虫取りでも天体観測でも包丁砥ぎでも何でも構わないから 人畜無害な楽しみに熱中することは 人畜無害なら誰にも遠慮する必要はない

まあ プラモデルは石油系樹脂や有機溶剤を使うことにはなるが 何せ物凄いちっちゃいものなので 社会全体の汚染化学物質の総量からしたら極めて微量に過ぎず むしろ趣味としては地球環境には優しいものなのである

「10トントラック乗り心地が良いわー」と称して用もないのにカネに任せて温室効果ガスを撒き散らすことから比べれば 他愛のない趣味である

タミヤやバンダイといった製造者には植物由来樹脂への転換などは求める必要はあるかも知れないが それは個人でどうにかなるものではない

プラモデルに熱中することもまた「バカみたい」ではあろう

トカゲ探して砂漠で穴掘りすることも「バカみたい」ではある

ストラディヴァリウスに取り憑かれていたら「恐怖」すら感じるかも知れない

だが 人畜無害なバカなら それは本質的にはバカではない

それを「バカみたい」と思っている観念や多数の常識の方が間違っているのである

バカで結構

ナチス政権に反対してスイス山中で自決を余儀なくされたことを「愚か」だと形容している方が「本当の愚か者」なのである

ハイデガーのようにナチスに迎合しておいた方が生存にとって有利で「賢い」と 衆愚は「思う」のであろうが それは「衆愚の価値観」でしかない

何が本当のバカなのか 論理客観的根拠に基づいた見分ける能力なくして知能でも何でもないのである

 

 

 

Ende;


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