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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

傍観者。

2013年10月28日 16時04分48秒 | 意識論関連
○9割の傍観者。

 イジメというものは9割の傍観者によって放置されることで発生すると言われるが。組織体制の腐敗というものも、9割の無為な傍観者によって温存されるのであり、構造的には全く同じである。これこそが生物学上における「社会性」、社会性形成習性というものの正体であり、どんなに個体にとって有利な結果を断片的に抽出しても、社会全体にとって不利に陥る習性を、「人間としての社会性」と混同するのは非論理的であり、到底科学的論証として認められるべきではない。

 進化生物学全体が「目的」と「結果」すら区別出来ない非科学的観念に染まっている以上。松沢哲郎のようなオカルト生物学者であっても文化功労賞になるのである。文化功労賞を誰が決めているのかは知らないし興味もないが、おそらくは生物学界の多数決で決定しているのであろう。

 自律的には何ら論理検証判断出来ない(或は自発的に一切しない)大多数の凡人達の集団内部の評価には何の価値も存在しない。

 どの組織が腐敗しているのかを誰も検証しないにも関わらず、腐敗した組織内部の多数決で評価しても、現実には具体的価値など一切存在しないのである。

 松沢哲郎というのは、本能習性だけで人間としての社会性を証明可能だと論じたオカルト研究者である。構造原理的に実証不可能であることが明らかになると、今度は急に「想像力が人間性かもしれない。」などとその場限りに言い逃れ/取り繕いをしているのが松沢の本性である。

 想像力というのは振り込め詐欺師がカモを騙す時にも利用する能力であり、あらゆる計画的犯罪において想像力というのは使われるものであり。想像力だけで人間性を論証することは構造原理的に不可能である。

 松沢哲郎というのは、構造原理的に立証不可能な話を、「かもしれない。」などと逃げ道を作っておきながら、その場限りに陳列している無責任なオカルト研究者である。

 構造原理的に不可能な立証予測を立てている時点で、科学者としてはポンコツと言う他ないのだが、現在の進化生物学界内部には自律的に論理検証しない(出来ない)ポンコツ研究者しかいないため、松沢のようなポンコツオカルト研究者が功労賞に祭り上げられることに陥るのである。

 「チンパンジーの心。」などというのはとんでもない大嘘で、単なる気分感情でしかない大脳辺縁系が促す行動バイアスを、短絡的に「心。」として取り扱うというのは。子供達だけで放置しておくとイジメが発生することも「心。」だと言う話になってしまうのである。

 チンパンジーに「心。」など存在しない。ヒトであっても多くの場合気分感情が優先して簡単に心を喪失するにも関わらず、単なる気分感情が行動に直結しているチンパンジーに「心。」などというものが存在する訳がないのである。

 情動が行動に直結しているチンパンジーに、自律的な論理検証性が存在するはずもなく。当然人間性も存在し得ず、論理検証性という人間性を伴わないチンパンジーの感情をどんなに抽出しても、人間としての「心」は存在しないのである。

 振り込め詐欺師集団や、残虐なゲリラの内部における共生関係をどんなに抽出枚挙しても人間性の論証にはならないのと同様、チンパンジーの集団内部での共生関係をどんなに抽出枚挙することで、ご都合主義的こじつけをしてもオカルト観念以上の価値はない。



 アントニオ:ダマシオによるソマティックマーカー仮説においても、松沢の予測同様に「かもしれない。」などという逃げ道を作ることで本能習性が常に人間性を伴う可能性を論証しようと試みたがるが、こんなものは論理検証の出来ないバカな大衆マスコミのご機嫌取り、大衆迎合に他ならず。あまりに無責任である。

 どんなに断片的立証の陳列枚挙によって本能習性を正当化しようとしても、本能習性というのは無意識であって、個人の主体的な論理検証性や行動判断とは無関係なものである。

 ヒト以外においては「生存」という結果に適しているかどうかを絶対基準にするとしても、ヒトにおいては単なる個体の生存価だけでは人間性の論証には全くならず、進化生物学上の論証の全ては無意識な行動バイアスの「結果」以上には、一切構造原理的に論証不可能なのである。

 それでも「文化」だと言い張るのであれば、体制腐敗などの「悪しき文化」も含めて功労賞なのであろう。



Ende;

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