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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○バカヨケ。

2019年05月12日 13時58分23秒 | 意識論関連
最近被害の甚大な交通事故が多いもんだから

ちょっと思い出したんだけど

オイラは赤信号を無視したことが何度かある

もちろん意図的なもんじゃないんだけど

交差点に入っちゃってから

ハゥッ

ってビックリ急停車したことが何度かあるのよ

過失としては重大だけど 結果的に何の被害も及ぼさなかったから結果的には何の被害にもならなかったとは言え

こうした被害の出ない段階から有効な防止策を構築してゆくことで 重大事故に発展するリスクを下げることになる



たまたまやっちまったウッカリミスの結果が重大だったかどうだかで罰の程度が変わっちゃうのが現在の司法制度なんだけど それって到底有効な対策にはなってないんだよね

被害が出なくても たまたまおまわりさんに見つかって罰金払ったからって やっぱりウッカリミス自体の有効な対策にはならない

ましてや金持ちと貧乏人だったら同じ罰金だと不公平でもある

とんでもない金持ちだったら数万円くらいの罰金なんか痛くも痒くもないかも知れないでしょ



失敗学的な「ポカヨケ」対策こそが失敗に対する最も有効だと言えるんだけど

司法刑罰制度だと判決が出ちゃうとそれで「解決」になっちゃって それ以上の対策が全然進まない



司法裁判というものを あたかも唯一絶対的な解決策か何かだという錯覚が 一般人にはあって

被害が繰り返しても司法刑罰以上の何も制度的に存在していないという事実から目を背けちゃっている部分がある

報道も報道で 被害者がどんな人だったのかばっかり取り上げ お涙頂戴的に悲しみを煽ることしかしないんだけど

そういう観念論ばっかりに終始して もっと有効性のある論理的で具体的効果のある対策には関心を持ちたがらない

それもまた本当は社会的には無責任なんだけど 大半のヒトが気付かない無責任には罪の意識(無意識な観念)としては働かないという 先天的欠陥がヒトという種の生物にはあるもんだから

加害者糾弾ばっかりがネット上に溢れてしまう

そりゃ まなりこペアの父親の記者会見が悲痛なのはわかるけど

その「わかる」っていうのは感覚的共感であって 論理的理解とは異なるものなのよね

共感というものが常に正しいとは限らなくて ヘイトスピーチに共感されても迷惑にしかならない

ナチス政権だって 当時のドイツ人の多数派の共感によって 民主的に選ばれたものだという事実を忘れてはいけないと思う



テクノロジーを用いた事故軽減対策っていうのも有効ではあるんだけど

運転する「ヒト」の心理状態に関わる対策っていうのも大事で

アオリ運転みたいのをされた直後に 気持ち的に「焦って」しまって事故につながることもあるんだと 認識しておくべきだと思う

つまり 主観的気分感情というものが 本質的には合理性がないという事実をちゃんと認識しておく必要がある

ヒトって 先天的には人間としては欠陥品なので 意識的(合理的)に行動選択をすることで 先天的本能習性によって促される感覚的錯覚に惑わされないようにしておくことでも失敗を避ける対策につながる

テクノロジーとか鋼鉄製のポールやガードレールによる対策も重要だけど 出来る対策は全部やっておくってのが 本当の再発防止だと思う

だからね カントの「純粋理性批判」なんて論理整合性のないあやふやな話を鵜呑みにさせるような「哲学」は要らないのよね

一応ここでも説明しとくけど カントが批判しようとしていたのは利己的利益追求性であって これは本当は理性が根源じゃなくて 本能や欲望が根源なので 純粋理性を批判している時点で的外れなのよ

こういう論理的には的外れなことを 単に「伝統的」だとか「古典的」だと称して あたかも倫理か何かに役立つかのように教え込んでいる現在の学校って あまりにバカ過ぎて話にならない

嘘教えるために700万円もの奨学金を貸し付けておいて それで「学生がかわいそうだ」とか言っているのは 頭がおかしいんだよね

学生自身もバカだから気付かないんだろうけど それじゃ一体誰が問題に気付かなきゃいけないのかと言えば 本来なら研究者や教授達のはずなんだよね

その役割ってものを 生物学も哲学も経済学も 一切果たしていない

それで良いわけないんだけどね



Ende;

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