依存症の類に陥るのは、ドーパミンが作り出す「常習性。」によって、脳の本能的行動として無意識的に「学習。」してしまうからである。
クソゲーだのパチンコだのというのは、アルコールやニコチンと同様に脳を麻痺させる効果がある。麻痺するのは大脳新皮質であって、大脳辺縁系ではない。麻痺するのは「意識。」である。
依存症に陥る原因というのは、なにがしかに依存し続けていないと「恐い。」という感情が脳に作り出されてしまうからである。
ヒトに限らず、脳を持つ生物の多くは恐怖に対しての逃避行動が優先されるように「進化。」的に組み込まれている。しかし、恐怖というものが促す行動の全てが生存につながるという保障など全くないのである。進化過程において恐怖が促す行動の「多く。」が生存につながった「結果。」として組み込まれることになった(組み込まれていない個体が淘汰された結果。)だけであって、「概ね生存につながりやすい。」だけなのである。
たとえば、生物本能的な社会形成習性によって作り出されるカルト宗教的な集団に対し、その集団に対して気分的に安心して洗脳されていた方が生存につながるというような状況を考えると、むしろ依存症に陥りやすいようなバカほど生存価に適する結果を導く状況というのも少なくはない。
現代社会のように知識情報が少ない環境ほど、シエラレオネのような残虐性を競争するような結果になることが多く。つまり、現代社会が築かれる以前の長い進化過程においてはバカである方が生存に適した可能性も充分にある。
いわば、ヒトというのは洗脳されやすいように進化してしまっている可能性も充分にある。
依存症というのも洗脳や振り込め詐欺の被害と同様、大脳辺縁系の感情が論理的思考を阻害することによって生ずるものである。
洗脳や依存症に陥りやすい「習性。」や「傾向性。」があるからといって、これらの先天的性質が回避不可能であることの証明ではない。
依存症に陥る原因というのは、心理的な欠落。「心の穴。」、恐怖心といったものが大きく関わっている。
逆に依存症などに陥りづらい人の傾向として、自発的純粋行為を持っている場合が多い。
実は、私の母親が編物が好きで、毎月二回講習会にリビングを無償提供しているのだが。この講習会に参加している人の一人が鬱症状を持っていたことがあり。編物を始めて熱中するようになってすっかり改善してしまった経緯がある。
個人的に好きなことを見つけ、これに熱中することによって心理的「穴。」に意識を奪われることなく、積極的(自発的)に人生を楽しむことができるようになる。こうした純粋行為を持たないと依存症などに簡単に陥るのである。
また、自発的純粋行為を持つことにより。物事に没頭熱中することによる自発的集中力が認知症に対する予防にも効果があると言われる。
それに対して環境依存的に集中させられる行為というのは、集中できる環境でなくなった場合に自発的集中ができないために効果は極めて限定的である。脳トレの類はこれに相当するものであり、逆に環境依存性を持ってしまうと返って認知症に陥りやすくなる可能性も充分にある。
しかし、個人が一体何に熱中して心理的「穴。」に意識を奪われなくなるのかについては、人それぞれであり、「これさえやれば、どうにかなる。」ような短絡的で簡単な解答は存在しない。こればかりは「実際にある程度やってみないとわからない。」のである。また、「どの程度。」なのかも明確に存在するわけではない。
重要なのは他人からの評価報酬とは無関係なものであり。多数平均的行為に対する本能的社会形成習性に基づく気分的安心とは異なるものである。たとえ純粋行為を共感することができるとしても、他人環境のない状態であっても集中できないことでは純粋行為とは言えず。効果を持たない。
「自分一人だけが楽しいと思う。」場合、他人との比較をしてしまうと、本当の自発的純粋行為を見失うことにもなりかねない。純粋行為というのは他人との比較とは無関係であることを忘れてはいけない。
倉田真由美の漫画にあるように、「みんな同じなんだ。」と強迫観念的に安心するということは。他人と同じでないことに対しての強迫観念的恐怖心、「恥ずかしい。」という感情を抱くことでもある。
個人趣味、個人的純粋行為というものは、多数他人から見て、ある種の「バカらしさ。」が伴うことがある。趣味を共有できない者からすれば「そんなことして何になる。」という見解が出る場合が多く、共感を得られないことも珍しくはない。
こうした「雑音。」に惑わされることによって純粋行為としての「自分。」を見失うことは非常に多い。
本能的社会形成習性を利用すれば、場合によっては依存症や鬱症状につけこんで「これさえやっておけば完治する。」と称して、短絡的解決方法論に意識を奪わせることも簡単であり。そうしたエセ心理治療ビジネスは少なくない。
本当に治療効果があるのであれば、それは決して金銭を要求するようなセミナーなどではなく。むしろ一般に公開されているはずである。
真面目な臨床心理医であれば、効果のあるものを隠蔽したりはせずに一般公開するものである。
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クソゲーだのパチンコだのというのは、アルコールやニコチンと同様に脳を麻痺させる効果がある。麻痺するのは大脳新皮質であって、大脳辺縁系ではない。麻痺するのは「意識。」である。
依存症に陥る原因というのは、なにがしかに依存し続けていないと「恐い。」という感情が脳に作り出されてしまうからである。
ヒトに限らず、脳を持つ生物の多くは恐怖に対しての逃避行動が優先されるように「進化。」的に組み込まれている。しかし、恐怖というものが促す行動の全てが生存につながるという保障など全くないのである。進化過程において恐怖が促す行動の「多く。」が生存につながった「結果。」として組み込まれることになった(組み込まれていない個体が淘汰された結果。)だけであって、「概ね生存につながりやすい。」だけなのである。
たとえば、生物本能的な社会形成習性によって作り出されるカルト宗教的な集団に対し、その集団に対して気分的に安心して洗脳されていた方が生存につながるというような状況を考えると、むしろ依存症に陥りやすいようなバカほど生存価に適する結果を導く状況というのも少なくはない。
現代社会のように知識情報が少ない環境ほど、シエラレオネのような残虐性を競争するような結果になることが多く。つまり、現代社会が築かれる以前の長い進化過程においてはバカである方が生存に適した可能性も充分にある。
いわば、ヒトというのは洗脳されやすいように進化してしまっている可能性も充分にある。
依存症というのも洗脳や振り込め詐欺の被害と同様、大脳辺縁系の感情が論理的思考を阻害することによって生ずるものである。
洗脳や依存症に陥りやすい「習性。」や「傾向性。」があるからといって、これらの先天的性質が回避不可能であることの証明ではない。
依存症に陥る原因というのは、心理的な欠落。「心の穴。」、恐怖心といったものが大きく関わっている。
逆に依存症などに陥りづらい人の傾向として、自発的純粋行為を持っている場合が多い。
実は、私の母親が編物が好きで、毎月二回講習会にリビングを無償提供しているのだが。この講習会に参加している人の一人が鬱症状を持っていたことがあり。編物を始めて熱中するようになってすっかり改善してしまった経緯がある。
個人的に好きなことを見つけ、これに熱中することによって心理的「穴。」に意識を奪われることなく、積極的(自発的)に人生を楽しむことができるようになる。こうした純粋行為を持たないと依存症などに簡単に陥るのである。
また、自発的純粋行為を持つことにより。物事に没頭熱中することによる自発的集中力が認知症に対する予防にも効果があると言われる。
それに対して環境依存的に集中させられる行為というのは、集中できる環境でなくなった場合に自発的集中ができないために効果は極めて限定的である。脳トレの類はこれに相当するものであり、逆に環境依存性を持ってしまうと返って認知症に陥りやすくなる可能性も充分にある。
しかし、個人が一体何に熱中して心理的「穴。」に意識を奪われなくなるのかについては、人それぞれであり、「これさえやれば、どうにかなる。」ような短絡的で簡単な解答は存在しない。こればかりは「実際にある程度やってみないとわからない。」のである。また、「どの程度。」なのかも明確に存在するわけではない。
重要なのは他人からの評価報酬とは無関係なものであり。多数平均的行為に対する本能的社会形成習性に基づく気分的安心とは異なるものである。たとえ純粋行為を共感することができるとしても、他人環境のない状態であっても集中できないことでは純粋行為とは言えず。効果を持たない。
「自分一人だけが楽しいと思う。」場合、他人との比較をしてしまうと、本当の自発的純粋行為を見失うことにもなりかねない。純粋行為というのは他人との比較とは無関係であることを忘れてはいけない。
倉田真由美の漫画にあるように、「みんな同じなんだ。」と強迫観念的に安心するということは。他人と同じでないことに対しての強迫観念的恐怖心、「恥ずかしい。」という感情を抱くことでもある。
個人趣味、個人的純粋行為というものは、多数他人から見て、ある種の「バカらしさ。」が伴うことがある。趣味を共有できない者からすれば「そんなことして何になる。」という見解が出る場合が多く、共感を得られないことも珍しくはない。
こうした「雑音。」に惑わされることによって純粋行為としての「自分。」を見失うことは非常に多い。
本能的社会形成習性を利用すれば、場合によっては依存症や鬱症状につけこんで「これさえやっておけば完治する。」と称して、短絡的解決方法論に意識を奪わせることも簡単であり。そうしたエセ心理治療ビジネスは少なくない。
本当に治療効果があるのであれば、それは決して金銭を要求するようなセミナーなどではなく。むしろ一般に公開されているはずである。
真面目な臨床心理医であれば、効果のあるものを隠蔽したりはせずに一般公開するものである。
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