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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

支離滅裂。

2013年05月17日 16時42分55秒 | 意識論関連
○支離滅裂。

 「時には体罰も必要だ。」とか「シツケ」と称して暴力を正当化する奴に限って、権威や暴力者に対して無批判。

 体罰シツケが必要な奴に対しては一切何もせず、弱いものイジメばかりしており。

 当然自制心もない。

 すなはち、恐い相手や自分自身は「シツケ」られないのである。

 これは自己論理検証性という人間としての本質的「意識」がない典型例である。どんなに感情的な「意識」の強さを伴っても、感情気分という無意識の大きさこそが本質的「意識」を喪失させる原因なのである。



○無責任。

 「気分感情=心」などという文科系大衆観念を振り回すのは簡単である。

 また、カントのように純粋理性を観念的に批判するのも簡単である。

 利益追求を合理性と呼ぶのは理論的に大間違いであり、利益追求自体が欲望主体の行動であり。利益追求というのは欲望を追求しているのであって、合理性自体は追求していないのである。

 本質的な合理性追求というのは、合理性を主体性とした自己自身の欲望や感情といったものをも制御することを指すのであって。決して利益追求のような利己的行動選択を指すものではない。

 人間としての「心」とは、その場限りの気分感情に流されることなく、自分自身を含む社会全体の安全性や持続可能性を優先した理性的で合理性のある行動選択を指すのである。

 生物学における生物の定義とは、「個体で自律的に生存可能なもの。」を指すが。地球上の生物のほとんど全ては地球環境なくして個体を維持出来るものではなく、生物学における生物の定義自体が科学論理的に成立していないのである。

 振り込め詐欺師達が「個体集団の生存にとって有利。」な行動であるとしても、振り込め詐欺師達が住む社会自体の持続可能性がない以上、それは自滅への暴走に過ぎない。

 「個体の生存にとって有利。」だとか「種の保存」といった観念は、現在の生物学におけるオカルト性に他ならず。こうしたオカルト性こそが優生学のオカルト性を批判出来ない原因となっているのである。

 こうした従来の生物学における根源的オカルト性について、自律的に論理批判出来ないあらゆる生物学者というのは、科学者としての素養に決定的に欠けており。これはすなはち優生学の放置という大罪に加担しているという意味でもある。

 ニーチェだのドストエフスキーと共感して安心満足している哲学界も異常だが、本来振り込め詐欺師に対する根源的対策に踏み込めるのは脳神経認知科学を含む生物学界であり、自分達のオカルト性に対して論理批判しないバカ研究者を公費で雇い続けることも、無批判に放置するマスコミも無責任極まりない大罪である。

 科学というのは本来多数決で決定するようなものではなく、あくまで論理的に正しいかどうかで判定されるべきものであり。論理検証を誰もせずに学界内部の多数決だけで体制維持が行われている生物学界というのは、体制腐敗としか言いようがないのである。

 生物学者達個人に腐敗の意識があるかどうかは無関係である。むしろオカルトというのは自分達の行動選択を「人類の救済。」だとか思い込んでいて、「何がいけないのか、自分ではわからない。」からこそオカルトなのである。

 論理的に理解認識不可能性が立証可能な事柄を「わかりません。」と述べる謙虚さは科学にとって重要であるが。論理的に理解可能な事柄を、単に理解しないというのは、もはや科学でも何でもない。


Ende;

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