信号無視をしちまった事例について もうちょっと詳しく書いておこうと思う
一つ目の事例では 交差点のすぐ脇の駐車場から交差点に入った時に 信号機自体を完全に見落としてしまったのだ
この時は 信号機は見てなかったんだけど どこから誰も来てなかったので 危険性は低かった
もう一つの事例では 山手通りだったと思うんだけど 首都高下の右側からの道路しか交差していない交差点だったので
左側に直交する道路がなくて ガードレールが続いていたため 道路だけ見てたら上にある信号機を見落として侵入してしまった
この時は運よく何もなかったんだけど 下手すると重大事故に陥る危険性があった
「交差点とは こういうものだ」という固定観念というか 固定概念みたいのにそぐわない交差点ってのも時折あるので それ以降 初めて入る交差点はどういう構造になっているのかを慎重に見極めるように心がけている
電車の運転手みたいに「指差し確認」するのも効果的かも
信号の見落としみたいな過失って たまたま何も起きなきゃ良いけど 起きたら重大事故になる可能性も充分にある
何も起きずに お巡りさんに見つからなければ スルー出来るけど
誰かを轢き殺しちゃったら重過失致死で刑罰の対象になる
過失自体は同じものなのに 結果が違うだけで対応が異なるというのは 実は合理性がない
お巡りさんに見つかって罰金というのも 合理性はない
どのようなミスが どこで どのくらいの頻度で発生しているのかを情報共有するためには むしろ罰金みたいのは逆効果で
「信号機を見落としやすい交差点」を情報共有するためには 罰金だの個人情報だのと隠蔽せずに むしろ積極的に開示するようすべきなんだよね
その意味において 現状の警察による取り締まりや罰金制度というのは 「事故を減らす」という目的のためには有効性が低いばかりか むしろ障害にすらなっている
どこに どのような危険性があるのかを むしろカーナビで表示するとか そこまでやっても良いんじゃなかろうかと
オイラは思うよ
あと 警察って「事故を減らす」ことは目的にしてなくて 違反者や犯罪者を処罰することが目的になっている
取り締まりっていうのは本当は「手段(あまり実効性はない)」の一つでしかないんだけど 警察というバカの集団の中では検挙率という数字だけが目的にすりかわってしまっている
極端に言えば 適度に違反者がいた方が「オイシイ」って話になるので 事故が減らなくてもどうでも良いと思っている
これはマスコミが視聴率を目的にしちまっているのと構造が同じで
利己的利益に意識を奪われ 人間としての「目的」を見失っている状態だと言える
こうした機械的条件反射行動化を 大衆観念上は「理性」だと勘違いしているらしいんだが
それ 理性じゃなくて 「目先の欲望」だかんな
カントの純粋理性批判なんぞを鵜呑みにしてっから 何が本当の理性なのかも見えなくなるんだよ
純粋理性批判は実質的な応用性とか実効性はなんもないし
何で人気があるのかと言えば 論理思考が苦手なバカにとって 論理思考を放棄できる錯覚を促してくれるから バカから人気があるだけなのよ
Ende;
一つ目の事例では 交差点のすぐ脇の駐車場から交差点に入った時に 信号機自体を完全に見落としてしまったのだ
この時は 信号機は見てなかったんだけど どこから誰も来てなかったので 危険性は低かった
もう一つの事例では 山手通りだったと思うんだけど 首都高下の右側からの道路しか交差していない交差点だったので
左側に直交する道路がなくて ガードレールが続いていたため 道路だけ見てたら上にある信号機を見落として侵入してしまった
この時は運よく何もなかったんだけど 下手すると重大事故に陥る危険性があった
「交差点とは こういうものだ」という固定観念というか 固定概念みたいのにそぐわない交差点ってのも時折あるので それ以降 初めて入る交差点はどういう構造になっているのかを慎重に見極めるように心がけている
電車の運転手みたいに「指差し確認」するのも効果的かも
信号の見落としみたいな過失って たまたま何も起きなきゃ良いけど 起きたら重大事故になる可能性も充分にある
何も起きずに お巡りさんに見つからなければ スルー出来るけど
誰かを轢き殺しちゃったら重過失致死で刑罰の対象になる
過失自体は同じものなのに 結果が違うだけで対応が異なるというのは 実は合理性がない
お巡りさんに見つかって罰金というのも 合理性はない
どのようなミスが どこで どのくらいの頻度で発生しているのかを情報共有するためには むしろ罰金みたいのは逆効果で
「信号機を見落としやすい交差点」を情報共有するためには 罰金だの個人情報だのと隠蔽せずに むしろ積極的に開示するようすべきなんだよね
その意味において 現状の警察による取り締まりや罰金制度というのは 「事故を減らす」という目的のためには有効性が低いばかりか むしろ障害にすらなっている
どこに どのような危険性があるのかを むしろカーナビで表示するとか そこまでやっても良いんじゃなかろうかと
オイラは思うよ
あと 警察って「事故を減らす」ことは目的にしてなくて 違反者や犯罪者を処罰することが目的になっている
取り締まりっていうのは本当は「手段(あまり実効性はない)」の一つでしかないんだけど 警察というバカの集団の中では検挙率という数字だけが目的にすりかわってしまっている
極端に言えば 適度に違反者がいた方が「オイシイ」って話になるので 事故が減らなくてもどうでも良いと思っている
これはマスコミが視聴率を目的にしちまっているのと構造が同じで
利己的利益に意識を奪われ 人間としての「目的」を見失っている状態だと言える
こうした機械的条件反射行動化を 大衆観念上は「理性」だと勘違いしているらしいんだが
それ 理性じゃなくて 「目先の欲望」だかんな
カントの純粋理性批判なんぞを鵜呑みにしてっから 何が本当の理性なのかも見えなくなるんだよ
純粋理性批判は実質的な応用性とか実効性はなんもないし
何で人気があるのかと言えば 論理思考が苦手なバカにとって 論理思考を放棄できる錯覚を促してくれるから バカから人気があるだけなのよ
Ende;