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副交感神経が優位になるような写真が好き。

人事

2011年09月16日 11時31分48秒 | 意識論関連
 Web上を徘徊していると、時折会社の人事が偉そうに「自分は○年人事をやって来た。」とか「人を見る目がある。」だとか言い張っている事例を見受けられる。

 しかし、人事の場合は個別の部署による人事評価というものはあるはずなので、人事が採用した採用者が、本当に採用された時の人事の評価と一致しているかどうかは、ある程度数値化することが可能である。

 人事当人がどんなに「自分は何々だから。」と言い張っても、論理的根拠とか実績がないことには単なる人事当人の勝手な思い込みでしかなく。実質的には企業に対する「たかり」にしかなってはいない場合も少なくない。

 自分の行動を事後正当化するような自慢話をしている時点で、これは論理的根拠がないことの一つの証明のようなものである。

 たとえば、本当に技術を持った技術者であれば、たとえ業界トップの技術と持っていたとしても、自分の技術を自慢したりはしないものである。

 従って、人事においても「人事というのは、何年やっても難しいです。」といった謙虚な態度がとれないこと自体、その人事は無能をさらしていると考えるべきである。

 造形など全くやったこともない無能な奴が、偉そうに造形監修をやっている場合も少なくない。

 PCの使い方もわからない奴が営業会社の社長をやっている場合もある。

 こうした無能な奴が金を稼げるのは、生物学的な社会形成習性としての「コミュニケーション能力。」によって、単に相手を口先だけで丸め込んで、ツテだけを元手に仕事を右から左に丸投げして利ざやをピンハネしているからである。

 悪質な派遣会社など、会社ぐるみでそういうことをしているではないか。

 こうした合法的悪質業務が横行していて、「がんばろう日本。」もすったくれもあったものではない。

 無能な奴がピンハネをしている陰で、有能な人材が食い物にされているのでは。社会全体にとっての損失にしかならないからである。


 生物学が未だに習性としての「社会性。」を、人間性を伴った公益倫理自律判断と混同しようとする限り。人気国語学者が同様の混同をしていたとしても、「生物学は専門ではない。」で済まされてしまうのである。

 単なる生物学的社会形成習性に基づく、口先だけの丸め込み能力のことを「社会性」などと形容するのは根本的にとんでもない大間違いなのである。

 連続殺人犯の多くは、挨拶はキチンとできるものであり。逮捕後に「意外だ。」という話は珍しいものではないのである。

 誰が嘘つきなのかは、それぞれの責任者が責任を持って判断しなければならない。そのための「責任者」だからである。

 怠惰に漫然と仕事や生活をしているから、自分の間違いを見逃してしまうのである。

 危険学では、重大事故の何十倍も些細な事故や「ヒヤリ、ハッと。」が存在すると言われる。些細な間違いを見逃しているから、重大な間違いがいつまでもなくならないのである。


 カルト宗教などというものが成立するのは、それを支える個別の信者がいるからである。個別の信者自体の勝手な思い込みは非常に些細なものであろう。だが、その集積によって地下鉄に毒ガスが撒かれたりする結果を招くのである。

 「自分だけは大丈夫。」などと身勝手な「自信。」を持っことに意味などない。

 少しは自分の行動を疑え。本質的意識とは、そこから育まれるのである。


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