goo blog サービス終了のお知らせ 

書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

妄想錯覚

2021年05月12日 10時14分06秒 | 意識論関連

イヌが獲物を狩る時に統率協調的行動を採るのは それが先天的本能習性であるからだ

先天的本能習性というのは それを行うことが「楽しい」という快楽 脳内麻薬が分泌される構造が脳に組み込まれているからである

丸太に乗っかって坂を滑り降りるだとか 町中で山車を暴走させるといった危険な祭事や 一般スポーツやEスポーツにおける対戦ゲームといったものは 敵と味方に分かれて優劣序列順位を決定したり 協調的に何かをすることで仲間意識することに快楽(脳内麻薬)を感じるからである

そこに危険性やスリルが伴うことで さらに協調性や興奮による快楽も加わる

イジメやヘイトスピーチも同様で 集団統率的に特定個人や団体を攻撃することによって 集団内部における仲間意識や絆を「感じ」ることができるため これが中毒症状を引き起こし異常なまでの執着を促すのである

イジメは それをやっている者にとっては「楽しい(脳内麻薬)」のであって ヒトの先天的本能習性が満足させられるため イジメは暴走して終には殺人にまで発展することまである

だが 当然のことながら イジメなんぞに加わるようなバカなら目先の快楽にしか意識が働いていないため 誰を攻撃していても構わないので 簡単に裏切ったり寝返ったり嘘をついたりして信用するに価しないのは当たり前の話なのだが

イジメをしている間だけは統率協調的に「敵」を攻撃していることによる かりそめの仲間意識や絆を「感じ」られることによる快楽欲しさにイジメに加わり やめることが出来なくなるのである

野球少年は 練習の際にはコーチ達大人には従順に服従し 統率協調的行動が行えるが 練習が終わって各々家に帰る時には「タガ」が外れて自転車で並走して道を塞ぎ ダラダラとくっちゃべって自律的には社会的責任判断なんぞ一切しなくなる

大衆の多くは体育会系集団というものは「人間性が養われるものだ」という根拠のない妄想を抱きがちだが 実際には体育会系の寮内で大麻栽培をしたり 集団強姦をやらかしたりすることも珍しいことではない

それでも 一時的ではあれ先天的な本能習性を満たせることによって暴力性が抑制される効果は期待できるが 決して人間性としての自律的な社会的責任判断選択が可能になるわけではない

 

イヌなどに見られる動物の本能習性としての統率協調行動のことを 生物学では「社会性」と称して あたかも人間としての社会性と同義であるかのように扱ってきたが これは遺伝的進化万能妄想が作り出した論理的根拠のない誤謬(デマ)に過ぎない

イヌは哺乳類であるため 産まれてくると初期的には「子」であり 「親」に対して服従したり甘えたりする習性がある それは個体の生存にとって必要なために結果的に組み込まれた本能習性である

服従して甘えなければ死に 服従して甘える個体だけが生き残ったという結果を「遺伝的進化」と言うのである

イヌは成長すると血縁続柄を超越して群れ集団の中に「親」を超越した「ボス」への服従へと 服従対象の転移が生じ これが結果的に統率協調行動も促す構造にもなっているのである

だが イヌというのは基本的にバカなので ボスなり飼い主が目の前にいる時は服従するが いなくなれば簡単に好き勝手な行動も採るようになる これは「練習が終わって帰る時の野球少年達」や「学生寮で大麻を栽培する大学生」と同じで 全く個人の主体的自律は働かない

Eスポーツにせよ 危険な奇祭にせよ それによって暴力性や統率協調性のはけ口にはなるのだが これは一時的なものであって基本的には「人間性が養われるもの」ではない

ヒトの先天的統率協調性というものは イジメに同調したり 無視傍観迎合したり 原発の危険性を放置する場合にも働くものであり ヒトの社会的な無責任性の大きな要因ともなる動物的習性に過ぎない

動物の本能習性として組み込まれている行動であるため その「力」は非常に大きいことは確かであるが 「力」の大きさだけを根拠に「共感」性を全面的に正当化することは危険である

「力」の大きさだけでは人間性の論証には一切ならない

逆に言えば 「力」が弱いからといって人間性の否定にもならないのである

どの「力」を どのように 何に使うのかという目的意識が論理客観的に選択できないことには 「力」はただの暴走しか生み出さない

落合陽一など 文系の論客の多くは「力」の大きさだけで共感性などの主観的感情論を正当化したがる傾向が非常に強いのだが それこそがヒトから論理客観性を喪失させるヒトの先天的欠陥の一つでもある

生物学的観点における先天的本能習性には 本当は「目的」がなく あくまで「結果的に死なずに生き残った」だけであり 方向性が合理的に決定しているようなものではない

「生き残りさえすれば正しい」というのであれば 殺し合いでも騙し合いでも「生き残りさえすれば正しい」ということになるのである

イジメや差別が過激化してナチスやポルポト ミャンマー軍事政権による虐殺の結果が 「人間性を持った個体への淘汰圧力」として働くわけがないのである

ヒトは少なくとも何千年も「実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑暴力を振るってきた」のであって その淘汰圧力によって結果的に生き残った個体に人間性が組み込まれる理論的構造など存在しない

遠藤英紀はヒトが生物として欠陥品であるとの見解を出しているが ヒトは人間としても欠陥品なのである

「自分達は先天的に人間性が組み込まれている優秀な知的生命体だわ」とでも思っておけば満足かも知れないが その「満足」こそが人間性としての欠陥を認識出来なくさせる最大の要因(欠陥)でもある

 

 

Ende;


キズナとイジメ

2021年05月12日 01時40分51秒 | 意識論関連

事故原発の周辺のサルの染色体の転座が年月経過によって減っているという分析があるのだが

単純に染色体転座の大きなサルが癌を発症し死滅しているだけで 実際には生き残った個体だけを抽出的に検証しても自然治癒力であることの論証にはならない

Eスポーツが一般スポーツと同様にオキシトシンの分泌を促進し 「良い影響があるのではないか」という予測がされているが

オキシトシンは集団内部における絆や仲間意識を生み出すのと同時に 集団に属さない者に対する差別排除の意識も生み出すものであり 決して「良い影響」しか及ぼさないことの論証にはならない

イジメやヘイトスピーチや暴走行為をしている集団においても Eスポーツ同様にオキシトシンの分泌があるはずであり

キズナとイジメは表裏一体である

イジメや差別による仲間意識による快楽満足の代替として Eスポーツなどの対戦ゲームが先天的な統率協調性本能を満足させられる可能性は有り得るかもしれない

哺乳類や鳥類では 親子の識別が子供の生存にとって非常に重要な役割を持っており ペンギンなどでは他の子供を殺害するなどの暴力的差別も見られ 集団を形成することによるメリットと同時に デメリットもあり 過酷な生存競争の結果として差別意識の強い個体種への淘汰によって差別暴力性が「進化」したとも言えるのである

ヒトがヒトにまで進化したのはせいぜい数万年であり ヒトにまで進化する以前の期間の方が圧倒的に長いのであって ヒトの先天的本能習性の全てが「人間」としての社会性にとって都合よく組み込まれている保証は何もない

司法制度が「罰で解決」という合理性のない結論しか出さないことに対しても ヒトの大半は何の疑問も持たずに国家権力に迎合し 鵜呑みにするという頭の悪さを発揮しているのである

しかも遺伝的進化の全てが常に都合よく正しい結果しかもたらさないものであるという非論理的な妄想錯覚にも誰も異議を唱えることもなく 優生学に対する論理反証すら「理解」しないという頭の悪さも発揮しているのである

Eスポーツなどの遊戯は危険な祭事同様に暴力性のはけ口として 実際に暴力的行動を抑制する効果は 暴力的なゲームの新作が発売されると暴力事件が減ることが統計的に見られることからも期待できる可能性はある

その意味においては対戦Eスポーツが持つ社会的「効能」の可能性はあるが あくまで「他者との競争による優劣」への執着に過ぎず 一般スポーツ同様に人間性としての自律的な社会的責任判断選択能力の醸成には構造的に寄与しない

 

 

予め立てた仮説に都合の良い結果だけを抽出し

都合の良い解釈ばかりをするのは客観性を欠いており

ウケ狙いの大衆迎合に過ぎず科学とは言えない

科学というものは純粋に客観的事実や真実を見極めるものであって

個人的業績などの利益を追求してはならない

「遺伝子の変異は自然となくなる」だとか

「ウイルスは必ず弱毒化する」といった論理的根拠のないデマをまことしやかに流布するのは犯罪に匹敵する行為であり 厳に慎むべきである

 

 

Ende;