世界の平和でなく
彼女たちの日常を守る
とある方が仰っていたこの言葉。これを聞いた時、私はとても感銘を受けました。
プリキュアたちが戦う理由、一見、世界を悪の手から救っているようにも見える彼女たちの戦闘。しかし、その根幹には彼女たちの日常の回復が存在しているという点には、改めて考えさせられるものがあった。
敵が彼女たちの日常を脅かさない限り戦闘が発生しない=彼女たちの戦闘は日常の回復であり、野望を求めて戦闘することはない。ここが少年漫画の戦闘と大きく違うところですね(ルフィが海賊王を目指したりするなど…)。
これが全ての戦闘美少女に通ずるものなのかというと、一概にそういう訳ではない。しかし、この傾向が強いことは確かだ。女児向けに限らず、深夜アニメでも同様だ。戦う美少女キャラは皆、受動的な境遇に置かれている。「戦姫絶唱シンフォギア」「ストライクウィッチーズ」、今期で言えば「ビビッドレッド・オペレーション」もこの類だろう。なかなか自らが先立って敵陣に攻め込んでいく描写は少ない。敵が攻めてきて初めて応戦するために出陣するのが戦闘美少女というものだ。
彼女たちの日常を守る
とある方が仰っていたこの言葉。これを聞いた時、私はとても感銘を受けました。
プリキュアたちが戦う理由、一見、世界を悪の手から救っているようにも見える彼女たちの戦闘。しかし、その根幹には彼女たちの日常の回復が存在しているという点には、改めて考えさせられるものがあった。
敵が彼女たちの日常を脅かさない限り戦闘が発生しない=彼女たちの戦闘は日常の回復であり、野望を求めて戦闘することはない。ここが少年漫画の戦闘と大きく違うところですね(ルフィが海賊王を目指したりするなど…)。
これが全ての戦闘美少女に通ずるものなのかというと、一概にそういう訳ではない。しかし、この傾向が強いことは確かだ。女児向けに限らず、深夜アニメでも同様だ。戦う美少女キャラは皆、受動的な境遇に置かれている。「戦姫絶唱シンフォギア」「ストライクウィッチーズ」、今期で言えば「ビビッドレッド・オペレーション」もこの類だろう。なかなか自らが先立って敵陣に攻め込んでいく描写は少ない。敵が攻めてきて初めて応戦するために出陣するのが戦闘美少女というものだ。