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さうすぽさんの女児アニ日誌

女児向けアニメ・TCG(遊戯王・MTG)プロ野球(東京ヤクルトスワローズ)についてつらつら書いていこうと思います。

ハピネスチャージプリキュア 第44話「新たなる脅威!?赤いサイアーク!!」

2014-12-16 23:07:14 | プリキュア
ハピネスチャージプリキュアの本編をここに載せるのは初めてでしょうか。

第44話「新たなる脅威!?赤いサイアーク!!」  が私にとって今作で初めて感銘を受けた回あったので、ここに感想を書くことにしました



ハピネスチャージプリキュアは放送前に関係者が述べていたように恋愛を物語の軸に据えたプリキュアになるということでしたが、

今回の放送で、製作陣が描いた「プリキュアの恋愛」の姿を垣間見えたことでしょう

「プリキュア」と「恋愛」

これは今までプリキュアという作品で扱ってきたようで実はそうではないものだと私は捉えています。

もちろん過去のプリキュアだって恋愛を度外視していた訳では決してありません。

初代だって美墨なぎさは恋多き中学生として物語序盤はキャラ付けされていましたし、5の時ものぞみとココ、こまちとナツのような展開はありました。

ただそれらは、決して物語に深く関わってくることはなく、その恋愛に決着をつけることはほぼありませんでした。

私が覚えている限りではフレッシュプリキュアの桃園ラブと大輔が最終回でスポットを当てられたぐらいでしょうか。

大輔は最終回に告白するものの上手くはぐらかして、物語を締めました。

結局はラブと大輔も「親友」止まりであり、恋愛と表現するには難しいと思われます。

この後も日野あかねとブライアンなど恋愛のまね事のようなエピソードが挿入されることはあったものの、ここ数年のプリキュアは恋愛に対して身を引いた物語構造をとっていました。

こういった経緯があるのにも関わらず、ハピネスチャージに入って恋愛を大胆に絡ませてきました

ハピネスチャージプリキュアは、誰が見ても分かるように、物語が進むに連れて、神様(ブルー)と誠司に板挟みされている愛乃めぐみの恋愛が濃くなってくる展開になっています。

過去のプリキュアの恋愛に共通することは、その恋愛に関わるキャラクターは一本の矢印で表現できる誰が見ても分かりやすい明瞭な人間関係、つまりその恋愛模様は女児が理解できるようなお姫様が思い描く王子様との素敵な物語であるのに対して、

ハピネスチャージプリキュアの恋愛は、素直ではない、複雑な感情が入り混じったいわば醜い思惑が交差する恋愛を描いているのです。

難解で、面倒な三角関係に発展することはかつて類を見ない展開だということです。

今までプリキュアがこのようなモヤモヤした人間関係を描くことがなかった理由には、もちろん、プリキュアが女児向けアニメ、なかでも低年齢層向けに該当する作品であり、三角関係のような醜い恋愛模様は描くことは禁忌とされてきたからでしょう。

それは今でも変わらないはず。正直、今作はメインターゲットである女児の母親から非難を受けても仕方がない展開といえるでしょう。

そういう事態を受け入れながらも製作陣は果敢に攻めに入ったといえるのです。



さて、そろそろ今週のお話に触れていくことにします。

~Aパート セリフで表現されない各キャラの隠された気持ち~

クイーンミラージュを救済し、無事に平和を取り戻したブルースカイ王国

ミラージュの救済は彼女の恋の成就に繋がります。

そして同時にめぐみの失恋へと…

あれほどまでに恋愛禁止を訴えながら、熱い愛の告白をしたブルーを見てめぐみや誠司はどのような感情を抱いたでしょうか。

それを今週の放送で見事に精算し、新たな脅威への対峙と上手く絶妙に表現したエピソードであったと私は感じました。


Aパートに入った瞬間私はまず驚きました。

いきなりベットに倒れこむめぐみのカットから始まるのです。



「なぜめぐみは落ち込んでいるの?」「めぐみはどうして泣きそうな顔してるの?」

あれだけめぐみが幸せそうな顔してブルースカイ王国の人々らと戯れている姿を見せてからこの唐突な始まり方に私は驚いたのです。

我々のようなおっさん連中には分かりますが、めぐみの心情描写を大胆に削って、悩み苦しんでいるめぐみを冒頭に見せてきたのです。

そして、ひめ達がめぐみの家にやってきて、お泊り会をするのですが、ここで驚くことに彼女たちの心情描写もまた存在しないのです。

彼女たちはただ、世界が平和になって幸せになったからやってきた訳では決してないはずです。

ミラージュと神様が結ばれて、落ち込んでいるであろうと察して駆けつけたに相違ありません。

あれだけ落ち込んでいためぐみも彼女たちがやってきて笑顔を取り戻します



ただし、それはあくまで仮初めの姿であり、本当は無理に笑顔で振舞っていただけなのですね

思い悩んで、深夜2時目覚める女児アニメとか初めて見ました 冷静に考えるとこれってありえないですよ女児アニメで




この一連のお泊り会の流れでも

1.冒頭から落ち込むめぐみ
2.突然、めぐみ宅にやってくるひめ達
3.無理な笑顔で振る舞うめぐみ


これだけの要素がセリフを介した説明なしに表現されていたことにまずは驚きました。


誠司に見せためぐみの本心~

場面は移り、平和を取り戻しためぐみは誠司と出かけに行くことになるのですが…

スケートやショッピングなどその姿はまるでデート。

初めてなんじゃないでしょうか。この2人が本当の意味で2人っきりになったのは…



プリズムジャーンプ

しかし、そこでめぐみは空気の読めてないような爆弾発言をぶちかまします

「こんなにたくさん遊んだのは久しぶりだよ」

「ひめたちも連れてくれば良かったね」

「絶対喜んだのに


誠司は複雑な感情を抱いたことでしょう

彼はいつも通り、自分のことを犠牲にしてまでも他人を幸せを願うめぐみの気持ちを本心だと理解しつつも、こう告げます

「お前が本心でそう言ってるのは分かっている」

「けど時々思うよ…」

「本当にそれでお前は幸せになれるのかって…」

「せめて俺の前くらいは本当のこと言ってくれよ…」



ヘタレだった誠司が珍しく攻めました。男を見せました。

それに対してめぐみはこう切り返します。

「ミラージュさんが幸せになって、ブルーも幸せになって…」

「とても嬉しいはずなのになんだかとっても悲しくて…」

「私…うっ失恋しちゃった…」




ついにめぐみが自分の本心を告げます。

他人の幸せを何よりの自分の幸せだと思ってるめぐみも本当の彼女である一方

ブルーとミラージュが幸せになることで、苦しんでしまうめぐみもまた本当の彼女であると

この2面性に最後まで苦しむことになるのが愛乃めぐみという人間なのでしょう


どこまでも優しくて義務感が強くて…とても不器用な…



そしてめぐみが、物語で初めてブルーに恋していたと自ら発言したことも非常に重要です

今までは、そう思わせるような表現はありましたが、めぐみの口から「恋」の発言があったのは今回が初めてのはずです。

大切で大好きな人を失って初めて恋をしていたことに気づいたある意味めぐみらしいともいえる気持ちです。




その後誠司は「俺はずっと側にいてやる」と発言するのですが

やはり根底ではヘタレな性格 途中で逃げ出して飲み物を買いに逃げてしまいます。


~新たな脅威レッド登場~

赤いサイアークが現れ、めぐみに襲いかかります。

レッドという謎の敵はミラージュの次となる駒として、気持ち揺さぶられているめぐみをターゲットにします。

「世界に笑い声が満ちている…」

「お前が苦しんでいるのに笑っている」



「なぜみんなが幸せで私はそうではないのか」



「お前は後悔している…お前は優しい人間だ」

「しかし、その結果お前だけが愛を失った」


こうして、めぐみはひどくダメージを受けるものの、誠司とひめ達のおかげでなんとか難を逃れます。





「お前は幸せになりたくないのか?」と問うレッドに対してめぐみはこう告げます。



「なりたいよ!!」

「私は届かない思いも全部、全部受け入れて探して行きたい!!」




これがハピネスチャージを体現するセリフなんだなぁと思います

不器用、本当に不器用。

どこまで不器用でがむしゃらで、決して諦めない姿勢で挑んでいく

これが劇場版同様に、ハピネスチャージプリキュアなんだと思わせてくれます。


カリスマ性の欠片もない、当たって砕けていく姿勢が彼女たちなんだと…


戦闘が終わった後のめぐみのセリフも印象的でした

「心配かけてごめんね」

「私まだ大丈夫じゃないけど、でもきっと大丈夫」




まだ彼女の気持ちは揺れ続けているのでしょう

自分の幸せを見つけることを模索して、苦しんでいるのは間違い無い。

そういったバランスの悪い、不安定な心がこのセリフ1つに表現されていると思います。






さてハピネスチャージもこれからが最終章

めぐみが自分の幸せを見つけることがこのシリーズのゴールになるのでしょう。

誠司との関係もどうなっていくのか非常に楽しみなところですね。

あとこの回は作画・演出ともにクオリティ高い回でしたね 力を入れているのが一目瞭然です

成田良美脚本、上野ケン作画監督に大塚隆史演出とかいうオールスター陣ですもん。


それではまた!

















『映画ハピネスチャージプリキュア!人形の国のバレリーナ』について

2014-10-22 22:52:57 | プリキュア
さて、先日プリキュア10週年作品となる劇場版ハピネスチャージプリキュアを見てきたわけでまぁ簡単な感想をここに載せていこうと思う



いつものごとくネタバレ全開なので、本作を見てない方は見ないほうがいいかも














この物語は、「プリキュアはいかなる絶望も救済することができるのか、その限界への挑戦」

と私は数回劇場に足を運んで感じたところである。

たしかに劇場版のプリキュアは、特にミラクルライトが登場してから、多くの人々の願いをもってあらゆる逆境を跳ね返し、幾度と無く立ち向かってきた。

この明らかな、ご都合主義的な構造をしているのは、女児向けアニメだから明瞭なストーリーを求められること、

アニメ映画として見ても上映時間が短いなど複数の要因が考えられるが、劇場版プリキュアはこのスタイルを10年間貫き通してきた。

しかし、今作はプリキュアでもできないことがある、その限界を垣間見ることができた作品であった。

そういう意味でハピネスチャージプリキュアのヒロインである愛乃めぐみというキャラクターはうってつけの存在である。

めぐみは歴代のプリキュア主人公と同じく「人の役にたちたい」「誰かを助けたい」という思いを強く持った少女だが、

それが激しく空回りしているのが特徴なキャラクターとして本編で強調されている。

第33話「わたしもなりたい!めぐみのイノセントさがし!」がめぐみらしさを的確を表現したエピソードだろう。



この話では、いおなのイノセントフォーム化に感化され、なりふり構わず人助けを行おうとするめぐみが冒頭に描かれている。

結果として余計なお節介をかける結果となり、げんなりするめぐみの姿が特徴的である。

このようにめぐみはプリキュアの中でも人一倍お世話焼きな人物であり、不器用な人間でもあると言えるだろう。

前作のドキドキプリキュアの主人公相田マナが天性のカリスマ性を備えていたことを考えると対照的で面白い点である。



さて、話を劇場版に戻そう。

今作の劇場版キャラクターとして「つむぎ」という少女が登場する。

この少女は踊ることが大好きでバレリーナを目指していたが、突然足が不自由になり、絶望の淵に立たされいた。



そこに本作の敵であるブラックファングがつむぎのための王国「ドール王国」を作り、プリキュアと敵対させるよう仕向けるのだ。

足が不自由で、踊ることができない彼女はめぐみの信条でもある「みんな幸せハピネス」という気持ちを理解できない。

世の中には、自分のように救済されない人間もいるんだと

物語中盤、つむぎはめぐみに本性を現し、「プリキュアにだってできないことがあるんだよ」と告げる

それでも頑張ろうとするめぐみに対して「私は頑張っても無理だった…」

リハビリに必死に挑んだ彼女だったがそれでも足が動くことはない。

その後 めぐみの「私はあなたを助けたい…」というセリフがあるが、それがつむぎの逆鱗に触れたのか

「何も出来ないくせに助けるなんて簡単に言わないで」と一蹴されてしまい、めぐみは自分の過ちに気づいてしまいます。

これが相田マナのような主人公であればこのような展開にはならないでしょう。

おそらく一人で何事も無く解決してしまうでしょう。しかし、めぐみはそのように優れた人間ではありません。

つむぎも同様で、自身のめぐみに対する言動に後悔の思いを持っています。

劇場版のキャラクターはプリキュアの説得・行動に影響されて、改心することが多いのですが、このキャラクターは違っていました。

彼女の一番大切な人形であるジークにこのようなセリフがあります。

「自分の望みのために誰かを犠牲にすることはまちがっているとつむぎは最初からわかっている」

つまり、つむぎは自分の幸せとプリキュアを天秤にかけ、苦悩の末にこのような行動を起こしたと言えるだろう。

元から優しい心を持った少女として描かれているのだ。



さて、このような状況に置かれたプリキュアたちはどう立ち向かっていったのでしょうか。

答えは簡単です。ひめにも指摘されたようにクヨクヨしている姿はめぐみらしくありません。

不器用なら不器用らしくがむしゃらに体当りして全力でぶつかってこいと。

今めぐみにできる精一杯のことをして、助けるために全力で突っ走る事こそが愛乃めぐみという人間なんだと。

このようにすぐ答えを見つけようとせずに、問題提起しようとするところがプリキュアらしいところなのかもしれない。














つむぎの足を不自由にさせたのがブラックファングだと発覚すると

つむぎ「今まで騙していたなんてひどい」

ブラックファング「お前がプリキュアにしたことと同じだろう?」

という会話があるのだが、これが実に的を射ていて面白い。

めぐみを騙して人形たちを駒にしていたつむぎ⇔つむぎを騙して不幸のエナジーを貯めていたブラックファング

この構図がよく出来ている

こうして、再び絶望してしまうつむぎとめぐみの心がシンクロするように表現したと今千秋監督はインタビューで述べています

2人は繭に閉じ込められそれぞれの本当の気持ちをぶつけ合います



「こういう時つむぎちゃんを元気づけられるかっこいいこと言えたらいいのに…プリキュアなのにね…」

「助けるなんて無責任なこと言ってごめんなさい」


※セリフはうろ覚えなのでご容赦を

ここで大事なことは繰り返しになるが、プリキュアに感化されて、気持ちが変わった訳ではなく、つむぎという少女は初めから自分がどうあるべきかを理解していたところにあります。

現状をよく理解しているからこそ現実の自分から逃げ出したくなりドール王国で過ごしていたのでしょう。

めぐみの言動も実にめぐみらしいと言えます。

つむぎに抱きついて、不器用な自分を情けないと思いつつ、真剣に向き合おうとする姿は心を傷めます。

ひめやゆうこ、いおなに言われた通りがむしゃらに今できることをやろうとする。これがハピネスチャージプリキュアなのでしょう。




いつもの最終決戦ですが挿入歌かっこよかったですね。ここは省略します。



こうして、ブラックファングからの脅威を排除し、つむぎがバレエの発表会を迎えるシーンで作品は終わるのだが、やはりここが本作で私が惜しいと感じるところだ。

「やっぱり足は治ってしまうのかと」

そりゃ女児向け作品ましてやプリキュアなんだから後味悪い形で締めるのは何か違う気がするが、勿体ないなぁと感じた部分であった。

つむぎは繭の中でのめぐみとの会話の中で、本当の不幸は「足が動かないこと」ではないと理解し、

プリキュアを応援し新たな幸せに向かおうとしていただけに少し残念に感じるところではある。

プリキュアの力をもってしても、足を治すことはできない

ただ気持ちの持ちよう、考え方の違いで人を幸せにできる プリキュアとて万能の力を持つわけでないことを強調した作品

これぐらいの事をやって欲しかったと映画を見た最初は思っていた。

今作の脚本を務める成田良美も当初の脚本では足が治らない予定で話を進めていたとインタビューで語った。

たしかにプリキュアの力で足が治ってしまうというのもご都合主義な作品であるプリキュアにおいても都合が良すぎるかもしれない。

足が治らないまま幸せを感じる締め方もできたのだろうが、スタッフ達はこちらの選択肢をとったようだ。

そのためにブラックファングをあのような設定にして全ての悪を、こっちに向けさせたのだろう。

明確な敵を作ることによってつむぎの罪を軽減させ、よりストーリーを明瞭にする これも1つの正解なのかもしれない。





今回の映画は子どもが理解するには難易度が比較的高い作品だったと思います。

だからこそ子どもを持つ親には、ぜひ子どもとこの作品を共感しあう時間をとって欲しい。

子どもは当然「◯◯が可愛かった、かっこよかったー。」みたいな感想を言うでしょうが、そこで終わってほしくないと個人的には思う。

つむぎはとても感情の起伏が激しいキャラクターとして描かれています。

その時折の気持ちを考える機会があってもいいのかなと(あくまで個人的には)感じた作品だった。

私もぜひ、もう一度映画館へ足を運んでこの作品を楽しみたいものだ。

劇場版まどか☆マギカ&ドキドキプリキュアで思ったこと【ネタバレ有り】

2013-10-26 20:27:02 | プリキュア
私の好きな劇場2作品公開日ということで朝一でT・ジョイ京都さんの方へ足を運び この2作品を見て参りました。




劇場版まどか☆マギカ 叛逆の物語





前作の劇場版は総集編とのことだったんで、敬遠してたんですが、今回は新作ということで…これは見るしかないと…

できることなら、昨晩の特集見てから来たかったですねw いろいろと忘れてましたし…

そういやBD全巻集めてたんですよね自分。なんで見なかったんやろ?



映画 ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!? 未来につなぐ希望のドレス




もうプリキュアの映画通って何年目でしたっけね…?(たぶん5gogo辺りから映画館行ってる)

本編の方は、残念ながらここひと月ほど見れてないのですが、なんか謎の使命感に駆らされて見に行きました。

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公開日が同じということで、朝八時にはすでに、イオンモールに大量のまどかグッズを求めて並ぶ長蛇の列が…

「まどかバンダナ売り切れでーす」「さやかバンダナも売り切れでーす」「残ってるバンダナはキュウべえだけでーす」

謎のバンダナ人気 Tシャツとかも昼前には全滅してるような状態でしたね。

自分はパンフも欲しかったんですけど、諦めてドキプリのパンフだけ購入。ちゃんとスタンプも押してきましたよ!!!!!!





まどか☆マギカの入場者特典はさやでした。好きなキャラ引けたので満足。



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※以下、この両作品のネタバレを含みます!!!!!!!


見るなら注意して見て下さいお願いします














































さて、この両作品について思ったことを書いていくことにします。

この作品、特にまどか☆マギカについての考察は私なんかのレベルではできないと諦めましたw

というか、多くの方々が各々の場で考察なり批評してくれてると思うので、私は敢えてここではしません(できません)。

私はこれらを連続で見て、両作品にある共通点を見つけたので、それについて言及していこうかと…


題しまして…

【過去の後悔に対して、少女達はどのように立ち向かうのか!?】

とでもしておきます。いい言葉が思い浮かばんので、、、、


この両作品は

「プリキュア=王道的正義・魔法少女の系譜」「まどか=ご都合主義の徹底的排除・魔法少女に対するアンチテーゼ」

と一般的に言われており、今作もそれを根幹に据えた作品となっています。

つまり、両作品は必然的に真逆であり、切り離せない関係という意味では、表裏一体とも言える作品群です。

これらが、今回奇しくも似たようなテーマで劇場化されたのです。事前情報をまったく仕入れなかった自分は驚きました。

まどか☆マギカの「暁美ほむら」・ドキドキプリキュアの「相田マナ」この2人の過去に対する後悔…というより依存という言葉の方が正確でしょうか

これを主軸に物語は進んでいきます。

暁美ほむら:概念化したまどか、女神としてのまどかに対して「近くにいたい」という一方的すぎる愛。まどかを止めることができなかった自分への後悔

相田マナ:数年前に死んでしまった祖母・愛犬のいる過去の世界に飛ばされて、過去の世界に留まろうと考えてしまう



これらの共通項として、「過去への依存故の、未来を捨てて過去(今)に生きる」という強い意志が見えてきます。

未来に対して希望を失った少女が、もがきながら現状を打開しようとする、そういった様子が目立ちます。



しかし、こういった共通項を持ちながらも、それぞれの回答が正反対なのが面白いところ

女神としての自分を思い出したまどかに「叛逆」し、自分の殻に閉じこもり、過去に囚われたままの自分を貫いたほむら

祖母や愛犬を失うことになる未来に対して、「辛いこと・苦しいこともある、けれどそれが私達なんだ」という主張をしたマナ

面白い、面白すぎるッ!!(何がやねん)

これはどちらの選択が正しいとも言えない問題です。ほむらの行動は一方的でエゴと捉えるのは容易ですが、

マナのマシュー(敵)に対する主張も十分エゴといえるでしょう。

しかし、まどかの表現は誰がどう見てもバッドエンドであり、プリキュアはハッピーエンドの終わり方です

どうしてなんでしょうか?

まどか☆マギカについては、上記のように考察し足りない部分もあるし、これ以上追求するのはやめときますw

最初は公開日同じということで映画館がごった返しになるのは想像出来てたので最悪…と思っていましたが

結果的にこれらを続けて見れたのは良かったと思います。

どちらも人間の心の脆弱さを丁寧に表現しており、個人的にはものすごく楽しめた両作品でした~













【ドキドキプリキュア15話】ジコチューってなんなんだろう?

2013-05-13 10:06:57 | プリキュア
昨日、放送されたドキドキプリキュア15話。

まこぴー回と思わせておいて、レジーナの存在が目立ったエピソードでしたね。




突然ですが、このお話を見て私が疑問を感じた点があるので、それについて書いていこうと思います。


<ジコチューとは???>



今までのジコチューは、登場人物の自己勝手な願望を解放した存在が「ジコチュー」でした。

そして、ジコチュー化する前に、「…ってそんなことしちゃだめだよなぁ」

とか言って、我に返ることが必ず描写されていましたよね。

これには、自分を冷静に省みるアクションを挟んでから、ジコチュー化することによって

登場人物の罪を軽減する効果があるのかも?と他ブログの方で拝見しました。

一度、消えかけた悪の心を、敵が増幅させることで一方的に罪を敵に押しつける。

未就学児童に対する、こういったケアの描写は個人的には好感が持てる表現だった。



しかし、今回はどうでしょう?

まこぴーの「どうして?環さんは自己中でも何でもないのに!?」という質問に

レジーナさんは、こう言ってましたよね






「ジコチューじゃない人間なんていないでしょ?」

「ま、私の魔力なら誰だってジコチューにできちゃうけど」






はい??????? 




ここに来てドキドキプリキュアのジコチューの定義ぶっ壊してきましたねw

これは、「レジーナの魔力がジコチュートリオより優れている」ことを表現したかったのでしょうか?

それにしても、上記で述べたような、善の人間に対する徹底的なケアが意識されているこのアニメ

において、人間全てを否定するこの内容には少し疑問を感じざるを得ませんでした。

ここに対するプリキュア達のフォローが欲しかったです。(後々あるのかもしれませんが)



プリキュアの敵は2つ存在します。

ひとつは、スマイルプリキュアのような無機物。

もう一つは、今作のような人間の弱みを具現化した存在。

後者はハートキャッチプリキュアでもこの形でしたよね。

ハトプリにあって、ドキプリにないもの…それは心の穴を埋めるようなケアの表現だと思います。

ハトプリ第7話、いつきがデザトリアン化してしまう話を振り返ってみます。






男らしく振舞っていた、いつきの隠していた乙女心を敵幹部コブラージャに突かれる回です。



怪人化した人間をプリキュアたちが浄化する…この流れまではドキプリと変わりません。



しかし、ここはどうでしょう?

つぼみがいつきに対して「ファッション部に入りませんか?」

「生徒会のお仕事のことや武道のお稽古で疲れていたんだと思います。

生徒会長さんがファッションに入れば少しは癒されるんじゃないかと思って」
と声をかけています。

ハトプリには怪人化された人物のケアと、後日談がほとんど描かれているのに対して、

ドキプリは浄化した人物に対するプリキュアたちのケアが省かれている。


これは、ドキプリの1つの特徴といえるのではないでしょうか。(※第12話は唯一表現されているが)



話をレジーナに戻しますが、誰でも「ジコチュー」にすることができる、これは怪人化された人物の

アフターストーリーを省略するドキプリだからこそできた表現なのだと思います。


これから彼女がどのようにストーリーに関わってくるのか分かりませんが、「ジコチュー」の

定義を大きく狂わせたという意味で1つの基点になるエピソードだったのではと思います。


それではまた。



















スマイルプリキュア 47話 ‐スマイルプリキュアにおける「バッドエンド」の正体について‐

2013-01-20 15:16:34 | プリキュア
1.先週までのお話
バッドエンドプリキュアをなんとか撃退し、ジョーカーを消滅させたプリキュアたち。しかし、メルヘンランドを悪に染めたピエーロが復活してしまう。しかし、最後の三ツ矢さんの演技は光ってますねw

2.ロイヤルキャンディ!?
いきなり次期王女と明かされたキャンディが人型にww
全てをキャンディに託し、退場していくロイヤルクイーン様…

最後に気になるセリフを残していきました。
「皆さんの未来は真っ白です。
白紙の未来に新しい物語を描くのは自分自身の心なのです」


これは今まで三幹部が言っていた「白紙の未来をバッドエンドに」と対照的な言葉ですね。

ここで「プリキュアの本」というものが落ちてきます。どうやら中身は真っ白のようです。ロイヤルクイーン様の言っていた通り、これからの物語は自分たちで描いていけというメッセージなのでしょうが、今までの功績はどうなったんやww

3.VSピエーロ
今までの必殺技のオンパレード。今回初登場(?)のコンビネーション技も飛び出して、凄まじい戦闘シーンの演出です。しかし敵の数はキリがなく、途方に暮れるプリキュアたち。その様子を見て、ピエーロがスマイルプリキュアの核心とも言えるセリフを放ちます。

「考えるな。考えてもお前たちには
どうすることもできない。」



これはスマイルプリキュアにおける「バッドエンド」という抽象的な表現が具体的な形あるものに変わった瞬間といってもいいでしょう


「バッドエンド」=「怠惰」


これがスマイルプリキュアが1年かけて伝えてきた、「バッドエンド」の正体なのです。先にロイヤルクイーン様とキャンディがプリキュアたちに伝えていました。自分たちの未来は自分で切り開いていくものだと。

さらにピエーロさん



「敵わないものに逆らうな。

自分の無力さを嘆き悲しめ。

明るい未来などない。叶わない夢など見るな」




「怠惰」ということは思考停止して、自分たちの境遇を受け入れてしまうこと。つまり彼女たちの可能性を遮断しているということなのです。

ピエーロさんの怒涛の攻撃に、スマイルプリキュア恒例といってもいいでしょう、レイプ目になるみゆき。てかレイプ目安易に使い過ぎだと思うんだけどなぁ。

4.絶望の中で
他のみんなはともかく、みゆきだけは絶望には屈しないと思っていました。絶望から救い出すために、ミラクルジュエルの力を使い声を届けようとするキャンディ。


「悲しみ、怒り、孤独、寂しさ誰にでもある弱い心。
世界中の悲しみ。人がいる限り湧き続ける。
絶望の物語。私たちにはもうどうすることも」


プリキュアシリーズ全体を通してのテーマですね。世界中に人間が存在する限り、負の感情は収まることはない。前作スイートプリキュアでのノイズもそういった負の感情の集合体でした。響は、「負の感情もあっての人間、だからそれを受け入れよう」簡単にまとめるとこういった言葉でノイズの救済を行いました。では今作のみゆきはどうするのだろうか。

必死に声をかけるキャンディ。ここのこおろぎさんの演技パネエ…。希望を取り戻したプリキュアたち。ピンチになったキャンディを救い出したプリキュアたちは、ピエーロさんが「バッドエンド」の定義を示したことに対比して、「希望」の定義をみゆきが述べます。

「希望…それはそう…友達。
大切な友達が一緒ならどんな危険な未来でもまっすぐに歩いていける。
それが私たち…スマイルプリキュアだから!!」


スマイルプリキュアという作品を体現したいい言葉だと思います。プリキュアシリーズでも「友達」を話の根幹に据えた今シリーズ。それは私がスマイルプリキュアという作品を「ケンカしないプリキュア」と勝手に定義しているのですが、そういったところからも決して崩れることない強固な友情を描き続けたスマイルプリキュアだからこそこの答えが出たのでしょう。


戦いは次週、最終回まで続きます。楽しみですな。