皆様お久しぶりです。
体がしんどいっす。
昨日腹黒さんと大阪の街を歩き回りました。
年末年始お忙しくて帰阪されなかったので、恒例の初詣はGWにするか、という約束通りに神社仏閣をふらふらと歩きながら探して回りました。
石を投げたら寺社に当たると言える京都とは違い、大阪の市街地は中々見つかりません。
合計何時間歩いたことやら。
天気がイマイチだったこともあって、特に計画もなく散策していて見つけた面白い町が中崎町。
大阪らしくない、昔風の、静かな町並みなのに観光客がそれなりにいました。
喫茶店がやたらと多かった。
腹黒氏の調べでは、戦時中の空襲で焼け残った土地だそうです。
だから雰囲気が違うんですね、きっと。
所々の民家には大阪都構想の住民投票に対してYesやNO、のポスターが貼ってありました。
近所づきあいどうなんでしょうね?
中崎町から戻って歩いていたらやっとまともそうなお寺がありました。
太融寺。
ボケ防止とかで観音様に老爺が猫掴みされているような(多分違う)像があり、ようわからんのがあるな、と思いつつ左を向くと水子供養があった。
こどもの日が近いからか、いくつかお菓子のお供え物があった。
暫くそれを眺めた後で右の奥を見ると…
ここに淀殿のお墓があります。
街中にあるもののほとんどひと気のない、つーか近隣に怪しいホテルが乱立している所にあるなんて、意外でした。
立派な寺やな、と話ながら後にして、怪しい区画を抜け出して歩きまくり。
久しぶりに大阪の町を歩きたい、という腹黒さんの意向に沿って南に歩いたけどしんどいのよ。
中之島ではなにやらお祭り。
沖縄物産とかいうテントを覗いていたら、車椅子に乗った障碍者のひとが腹黒さんに紙を渡してた。
こういう人の支援協力のビラかと思ったけど、辺野古の文字が見えたんで、あぁ、そういうのか、と苦笑。
元気な人が配ったらいいのに。
途中喫茶店で一休み、黒糖の入った甘いアイスコーヒー頼んだけどなぜか飲みきれなかった。
同じものを頼んだ腹黒さんはその後腹を壊した(笑)
途中で緒方洪庵が最初に種痘を使ったとかいう碑があったくらいで他は特にめぼしいものなし。
まあ本町にゃないかもね。
心斎橋で晩飯食うか、それなら水炊きの旨い店あるわ、と連れていったらこの日ピンポイントでお休み。
君と行くと毎回食うのに苦労するな。
別の所で食って、またまたぐるぐる回って難波宮に到着。
かなり由緒ある神社ぽいけど閉まってた。
残念。
それから難波まで歩いて、お茶飲んでオレみたいに手遅れにならんようにしなよ、と忠告して解散。
心斎橋周辺を3周くらいしたらしい。
おかげで今日も寝たきり動けなかった。
早く片づけないといけないものもあるのに。
けど、久しぶりに人と腹を探ることなく気楽に話せたこともあり、こうして更新する気分になれました。
初詣ぽいことをやったついでに、昨年のことをまとめますと、数々の嘘と虚構が明らかになった年だったと思います。
科学を扱う者の端くれとしてオボカタさんの件は大事件でした。
科学とは一見関係ない、インサイダーの疑惑もあるようで、この世界の闇の深さが垣間見えた気がしましたが、結局有耶無耶のまま終わった感があります。
それと、昔こんなん嘘や、と言って袋叩きにされた従軍慰安婦の嘘が日本で明らかになったこと。
朝日新聞も認めました。
しかし植村何某は現在もアメリカで吹聴して回っております。
マイケル・ヨンや日本でもお馴染みのケント・ギルバートで検索してもらったら分かりますが、アメリカ政府が30億円以上の費用と7年の時間を費やして調査した結果、この従軍慰安婦問題の有力な証拠はなに一つ見つかりませんでした(IWG報告書)。
ヨン氏は、この報告書を読んでいない者が慰安婦の話をする資格はない、とまで言ってます。
こういうことは、報道する側の都合によりきっと日本では報道されない。
しかしインターネットで知ることができるようになり、それに慌てる人たちの声はさらに大きくなる。
これにどう対処して行くか、がこれからの課題となるでしょう。
冷静に論理的に対応すれば良いだけですが、声の大きい人達は中々静かにならないものです。
あの時、私に色々言った方々はどうしてるのかな、変わっていないんだろうな、と考えたりします。
信じていたことが実はウソでした、は容易に受け容れられることではないでしょうし。
ただ、まああの時代に大阪であれを言った私は世間知らずだったな、蛮勇だったのかな、と自笑して反省もしています。
個人的にも嘘により大きなダメージを受けました。
ある人は私が嘘つきだと言う。
約束を果たせていないという点では間違いではないけれど、果たすべく散々努力したし試みたものの到達できていないわけで、何もせずに反故にしたつもりはない。
一方で私に対する約束に関しては、何もされなかった。約束ではなく、疑いなく信じてしまっただけなのだろうか。
努力した形跡も実施したという結果もない。
これは、私が約束を果たすべく努めるに足る人間ではないからなのだろう。
そういう努力する価値もない者だと認識されているからなのだろう。
そう思うことで納得させようとしているけれど、頭では分かっているつもりでも精神的に落ち着かない。
それでもどうしようもないから無理にでも納得させなきゃいけない。
そうなると対象を恨み、憎むということで自分を慰めようとしてしまう。
今更ながら、私はこのような自分は好きではない。
かといって気付いたら三線も何も楽しくなくなっていて、希望もなくただ生きていくだけという状況にあって解決できる方法が見つからない。
誰も何も信じられないし信じたくない。
ではどうするか?
生きることにたいして執着もなくなったけど、積極的に人生終わらせる気概もないし、静かに表に出ることなく誰にもなるだけ迷惑かけないように過ごしていきます。
偉そうに、ここで意見を発信することもやめます。
自業自得、今まで自分がしてきたことの報いだと全て受け入れる努力をして、寿命尽きるまでひっそりしときます。
皆様お世話になりました。
今までありがとうございました。
お元気で。
さようなら。
体がしんどいっす。
昨日腹黒さんと大阪の街を歩き回りました。
年末年始お忙しくて帰阪されなかったので、恒例の初詣はGWにするか、という約束通りに神社仏閣をふらふらと歩きながら探して回りました。
石を投げたら寺社に当たると言える京都とは違い、大阪の市街地は中々見つかりません。
合計何時間歩いたことやら。
天気がイマイチだったこともあって、特に計画もなく散策していて見つけた面白い町が中崎町。
大阪らしくない、昔風の、静かな町並みなのに観光客がそれなりにいました。
喫茶店がやたらと多かった。
腹黒氏の調べでは、戦時中の空襲で焼け残った土地だそうです。
だから雰囲気が違うんですね、きっと。
所々の民家には大阪都構想の住民投票に対してYesやNO、のポスターが貼ってありました。
近所づきあいどうなんでしょうね?
中崎町から戻って歩いていたらやっとまともそうなお寺がありました。
太融寺。
ボケ防止とかで観音様に老爺が猫掴みされているような(多分違う)像があり、ようわからんのがあるな、と思いつつ左を向くと水子供養があった。
こどもの日が近いからか、いくつかお菓子のお供え物があった。
暫くそれを眺めた後で右の奥を見ると…
ここに淀殿のお墓があります。
街中にあるもののほとんどひと気のない、つーか近隣に怪しいホテルが乱立している所にあるなんて、意外でした。
立派な寺やな、と話ながら後にして、怪しい区画を抜け出して歩きまくり。
久しぶりに大阪の町を歩きたい、という腹黒さんの意向に沿って南に歩いたけどしんどいのよ。
中之島ではなにやらお祭り。
沖縄物産とかいうテントを覗いていたら、車椅子に乗った障碍者のひとが腹黒さんに紙を渡してた。
こういう人の支援協力のビラかと思ったけど、辺野古の文字が見えたんで、あぁ、そういうのか、と苦笑。
元気な人が配ったらいいのに。
途中喫茶店で一休み、黒糖の入った甘いアイスコーヒー頼んだけどなぜか飲みきれなかった。
同じものを頼んだ腹黒さんはその後腹を壊した(笑)
途中で緒方洪庵が最初に種痘を使ったとかいう碑があったくらいで他は特にめぼしいものなし。
まあ本町にゃないかもね。
心斎橋で晩飯食うか、それなら水炊きの旨い店あるわ、と連れていったらこの日ピンポイントでお休み。
君と行くと毎回食うのに苦労するな。
別の所で食って、またまたぐるぐる回って難波宮に到着。
かなり由緒ある神社ぽいけど閉まってた。
残念。
それから難波まで歩いて、お茶飲んでオレみたいに手遅れにならんようにしなよ、と忠告して解散。
心斎橋周辺を3周くらいしたらしい。
おかげで今日も寝たきり動けなかった。
早く片づけないといけないものもあるのに。
けど、久しぶりに人と腹を探ることなく気楽に話せたこともあり、こうして更新する気分になれました。
初詣ぽいことをやったついでに、昨年のことをまとめますと、数々の嘘と虚構が明らかになった年だったと思います。
科学を扱う者の端くれとしてオボカタさんの件は大事件でした。
科学とは一見関係ない、インサイダーの疑惑もあるようで、この世界の闇の深さが垣間見えた気がしましたが、結局有耶無耶のまま終わった感があります。
それと、昔こんなん嘘や、と言って袋叩きにされた従軍慰安婦の嘘が日本で明らかになったこと。
朝日新聞も認めました。
しかし植村何某は現在もアメリカで吹聴して回っております。
マイケル・ヨンや日本でもお馴染みのケント・ギルバートで検索してもらったら分かりますが、アメリカ政府が30億円以上の費用と7年の時間を費やして調査した結果、この従軍慰安婦問題の有力な証拠はなに一つ見つかりませんでした(IWG報告書)。
ヨン氏は、この報告書を読んでいない者が慰安婦の話をする資格はない、とまで言ってます。
こういうことは、報道する側の都合によりきっと日本では報道されない。
しかしインターネットで知ることができるようになり、それに慌てる人たちの声はさらに大きくなる。
これにどう対処して行くか、がこれからの課題となるでしょう。
冷静に論理的に対応すれば良いだけですが、声の大きい人達は中々静かにならないものです。
あの時、私に色々言った方々はどうしてるのかな、変わっていないんだろうな、と考えたりします。
信じていたことが実はウソでした、は容易に受け容れられることではないでしょうし。
ただ、まああの時代に大阪であれを言った私は世間知らずだったな、蛮勇だったのかな、と自笑して反省もしています。
個人的にも嘘により大きなダメージを受けました。
ある人は私が嘘つきだと言う。
約束を果たせていないという点では間違いではないけれど、果たすべく散々努力したし試みたものの到達できていないわけで、何もせずに反故にしたつもりはない。
一方で私に対する約束に関しては、何もされなかった。約束ではなく、疑いなく信じてしまっただけなのだろうか。
努力した形跡も実施したという結果もない。
これは、私が約束を果たすべく努めるに足る人間ではないからなのだろう。
そういう努力する価値もない者だと認識されているからなのだろう。
そう思うことで納得させようとしているけれど、頭では分かっているつもりでも精神的に落ち着かない。
それでもどうしようもないから無理にでも納得させなきゃいけない。
そうなると対象を恨み、憎むということで自分を慰めようとしてしまう。
今更ながら、私はこのような自分は好きではない。
かといって気付いたら三線も何も楽しくなくなっていて、希望もなくただ生きていくだけという状況にあって解決できる方法が見つからない。
誰も何も信じられないし信じたくない。
ではどうするか?
生きることにたいして執着もなくなったけど、積極的に人生終わらせる気概もないし、静かに表に出ることなく誰にもなるだけ迷惑かけないように過ごしていきます。
偉そうに、ここで意見を発信することもやめます。
自業自得、今まで自分がしてきたことの報いだと全て受け入れる努力をして、寿命尽きるまでひっそりしときます。
皆様お世話になりました。
今までありがとうございました。
お元気で。
さようなら。