いのちの源

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感謝の気持ちに関する記事 | 洪水の中で授かった御救い

2020-01-27 11:08:07 | 賛美の心

 私の妻と私は主イエス様の信仰者です。聖書にはこの記述があります:「ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。」 (テモテヘの第一の手紙 6:8)。私はこれらが主の御要望に沿った御言葉であることを知っていましたが、それでも急速に発展するこの社会で裕福になりたかった私は村にある山近辺に位置する氾濫原で黒色土壌の農地を耕し、よく命がけで働きました。そして私は辛うじて死を免れました。危険の中で、主イエス様が私を御救いくださったのです。主の御救いは私の記憶に深く刻み込まれたのです!

 

洪水が発生、行き場を失う
 2014年、氾濫原にある私の農地はついに肥沃な黒色土壌に耕作されました。出来るだけ早く利益を出そうとトウモロコシを植えると、それはとても良く育ちました。私は努力が報われてとても喜びました。しかし、真夏の間、雨が降らなかったために数十エーカーにも及ぶトウモロコシが緑色から黄変し、干ばつによって死んでしまいました。私はこう思いました:「これだと利益が得られないだけでなく、開業資金も失ってしまう。」こうして私は毎日雨が降るのを待ちました。7月4日の正午、天気は薄暗く、稲妻が光り、雷がゴロゴロと音を立て、豪雨が降り風も出ていました。私はとても興奮してこう思いました:「山の方でも豪雨が降っているに違いない。直ぐに洪水が発生するから、チャンスがなくなる前に作物に水をやりに行かなくてはいけない。」こう考えた私は素早くレインコートを身にまとい貯水池の方へと向かいました。ちょうど河道(幅およそ300メートル、水深3メートル)を通り過ぎていた時、私は河道に高さが3メートル以上もある波が私の貯水池に流れ込んでいるのを目にしました。水は河道の中で素早く舞い上がり、ダムは一瞬にして氾濫し、私の貯水池は瞬く間に満タンになってしまいました。

 私は状況は危険になりつつあり、今年の洪水は他のどの年よりも激しかったことに気が付きました。私はパニックになり、急いで山の頂上に向かいました。辺りを見渡すと、貯水池と河道の間に砂利の山があったので、素早くそこに向って走りました。私は足元を安定させたとたんに霰と雨滴まじりの強風に打たれました。私は砂利の山の上でしゃがみ込んでシャベルにしっかりと捕まりました。私がショベルの刃を頭の上に乗せると霰がそれに打ち付けて大きな音を立てました。同時に、空は真っ暗になり、回りが何も見えなくなりました。風が激しく吹く中で、凍えるほど冷たい雨が首の所から服の中に入り込み、霰に打ち付けられてために私は体中が痛くなり、感覚を失っていました。私は雨、霰、そして冷たい風のせいでどんどん弱くなっていき、とても怖くなって生きた心地がしませんでした。私はこう思いました:「風がこれ以上強くなったら私は河道に吹き飛ばされて間違いなく命を落としてしまう。」 こう考えれば考えるほど、私は怖くなっていきました。私は主に祈りを捧げ続けた間、身震いがしました:「ああ、主なる神様、どうか私を御救いください!もうこれ以上は耐えられません。私のいのちはあなたの手中にあります。私は死んでも生きても、あなたの御采配に従います。」 こう祈りを捧げた後、私は少し安心しました。それからおよそ20分後、霰は止み、風は穏やかになり、雷は次第におさまり、空は明るくなりました。

荒波の中で主に助けを請う
 私は安全だと思っていましたが、顔から雨水を拭きとった時、さらに恐ろしい光景を目にしました:私は河道から4メートルの所にいて、荒れ狂う川の水が波となって次から次へと私に向って押し寄せてきたのです。私の貯水池は洪水によって押し流され、ダムだけが残っていました。私が立っていた砂利の山は海の中心に浮かぶ小島のようで、激しい洪水が私を取り囲みました。砂利の山は冠水し、少ししか残っていない状態となり、私は行き場がなくなってしまったのです!これは私が50年の間に見た最大規模の洪水でした。私は怖くてしかたありませんでした!この時点で私は助かる希望はないと感じました。私はこう思いました:「これで万事休すだ!強風によって洪水に向って吹き飛ばされなくても、どうせ波に飲み込まれてしまう。」 私は思わず主に助けを請いました:「ああ、主なる神様!どうか私を御救いください!主なる神様!どうか私を御救いください」

 砂利の山の上で過ごした一瞬一瞬はとても長く感じ、私の心は恐怖感と絶望感でいっぱいになりました。私はこの時初めて、いのちは貴重なものであると心から実感したのです。私は洪水に流されてしまったら、一銭も稼げないどころが、いのちを失ってしまうのです。私は黙って主にこう祈りを捧げました:「主なる神様、私は今までお金を稼ぐためだけに一生懸命働き、あなたの御言葉を読むことにも、集会に参加することにも努力していませんでした。私はこれを生き延びることができれば、必ず善良な信仰者になる努力を致します!」こう祈りを捧げた後、私はとても落ち着きました。私は主は自分の拠り所であり、私は主を信仰する必要があると知ったのです。この日、私は荒れ狂う洪水に取り囲まれていましたが、私がそれに流されてしまうのか、私がいのちを落とすのか、または生き延びるのかどうかは全て主によって決定されていたのです。これに気が付いた私はあまり怖くなくなりました。

主は生死の間際で私を御救いくださりました
 私は心の中で主に祈りを捧げ続けました。この数分後、予想外のことが起こりました。私の回りで洪水の流量が減り、波の高さも大分低くなったのです。私は下を見てみると、自分が立っていた砂利の山はその砂利の殆どが流されていましたが、私が立っていた箇所だけは流されていなかったことに気が付きました。私はこれにとても興奮し、これは主から私への御加護であったことを知りました。私は思わず主に感謝し続けました。私はものの数分の間に、主の驚くべき御業を目の当たりにしたのです。私は死と向かい合わせになりながら、かすり傷1つ負わず、荒れ狂う洪水に流されずに済んだのです。主は私の祈りを御聞きくださり、私を御救いくださったに違いありません。

 私が遠くを見てみると、反対側では依然として洪水が猛威を振るっているのが見えました。10年稼働した隣人のダムは一瞬にして倒壊していました。彼の所有する5エーカー分のひょうたんは全て流されていました。しかし、私が立っていた小さな砂利の山はとても頑丈だったのです。私はこれは主の驚くべき御業であると分かっていました。主は私を大切にしてくださり、私を保護してくださったのです。この時、私は主の素晴らしさを実感し、とてもありがたく思ったと同時に、「主と一緒にいれば、風と雨が私たちに打ち付けてくることはない。主と一緒にいれば、私たちは災害を心配する必要はない。主と一緒にいれば、死は私たちに忍び寄ろうとすらしない」ということを実際に体験しました。

主の御加護を受け、平安と安心を手にしました
 時間は夜の10時、私は寒くてお腹を空いていました。周辺の洪水はまだ完全にはおさまっていなかったのですが、その時私は鉄道を通って山腹の河道を渡ろうと考え付き、重いブーツを引きずりながら重い足取りで歩き始めました。自宅までは一時間以上もかかりました。私が帰宅すると、私の妻は泥まみれになった私の姿を見て、心配そうにこう言いました:「洪水に流されちゃんじゃないかって本当に心配したんだから。どうやら向け出してこれたみたいね。」 私が妻に自分が目撃した主の驚くべき御業について話すと、彼女は嬉しそうにこう言いました:「大洪水からあなたを御救いくださった主に大感謝だわ!」

 翌日、洪水は完全におさまりました。私は河道の側に立って大きながれき、死んだ羊、ひょうたん等を見ていると、思わず怖くなってしまいました:昨日起こったような恐ろしい状況の中で、洪水が後数分でも続いていたら、私は間違いなく押し流されていたことでしょう。私は今日どうやってまだここで無事に立っていることができているのでしょうか?この思いがけない状況の中で、私は、災害に直面するとお金は何の役にも立たず、私たちは主の御気遣いと御加護を受けることのみによって確信、平安、そして喜びの中で生活することができるのだと実際に体験しました。

主の御恵みに対する感謝して、主の愛に報いる
 後に、私は主イエス様こう仰ったのを知りました:「それから人々にむかって言われた、『あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである』」 (ルカによる福音書 12:15)。「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」 (マタイによる福音書 16:26) 。主は私たちにお金に貪欲にならないようにと御警告されました。それでも私はお金を稼ぐために命がけで黒色土壌の農地を耕し、主の御加護がなければ洪水の中で命を落とすところだったのです。私の心は主に対する感謝の念でいっぱいです。今回体験したことは、私たちは災害に遭遇するとどれだけもろく無力であるか、そして私たちがどれだけ多額のお金を持っていようとも、それは私たちを救えはしないということを示してくれたのです。私たちは主を信仰し、主に従う場合に限って真の人間のいのちを生きることができるのです。

 その後、私は集会に参加し、教会で積極的に自分の本分を尽くすようになりました。私は裕福ではありませんが、豊かな生活を送り、心の中では安心感を得られていますす。今回の体験を通じ、私は主の素晴らしい御加護を授かっただけでなく、主への真の信仰を抱くようになったのです。私は最後まで主に従い、主の愛に報いたいと思います!



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