いのちの源

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カトリック教徒の信仰:私の天国の夢を実現させる望みがついに生まれた(II)

2020-05-31 09:10:25 | 賛美の心

寄稿家:シェイラ

清められて天国に入るための道

 リリー姉妹はこう言いました。「神様、感謝いたします。まったくあなたの言うとおりです。天国に入りたければ自分の罪深さという問題を絶対に解決しなければなりません。では、私たちはどうすれば自分の罪深い本性から逃れて清められることができるでしょうか。それには主イエスの働きと、それが成し遂げた結果、そして完全に罪を振り払う道を理解する必要があります。まずは神様の御言葉の文章をいくつか読みましょう。「あなた方のように贖われたばかりで、まだ変えられておらず、神に完全にされてもいない罪人が、神の心に適うだろうか。古い自我を持ったままのあなたは、イエスによって救われたのは事実であり、神の救いのおかげで罪人とは見なされなくなったが、これは、あなたには罪や汚れがないという証拠ではない。変えられないままであれば、あなたはどうして聖いものとなれるのか。内側では、あなたは汚れに満ち、自分勝手で卑劣であるにもかかわらず、イエスと共に降臨することを望む――あなたはそこまで幸運ではない。あなたは神を信じる上での段階を一つ見落としている――あなたは単に罪から贖われただけで、変えられてはいないのである。あなたが神の心に適うためには、神が自らあなたを変えて清める働きをしなければならない。もしあなたが罪から贖われただけなら、聖さを得ることはできない。このように、あなたは、神が人を経営する働きの一段階、つまり変えられて完全にされるという重要な段階を逸したために、神の良き祝福を共有する資格はないであろう。よって、贖われたばかりの罪人であるあなたは、直接神の嗣業を受け継ぐことはできないのである。」(「呼び名と身分について」より)「イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了しただけで、人の贖罪のためのささげものとなり、人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかった。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。」(『言葉は肉において現れる』の「序文」より)

カトリック教徒の信仰, 私の天国の夢を実現させる望みがついに生まれた(II)

 リリー姉妹は交わりを続けました。「神様の御言葉から、神様はご自身の経営(救いの)計画と人類が必要とするものを基にして人類を救う働きをなさることがわかります。それはまさに、私たち人類がますます罪を犯し、律法も戒めも守れず、律法の下で死に処される危険に直面していた律法の時代の後期、当時の人々が必要としていたものに応じて神様が主イエスとして受肉なさったのと同じです。私たちが律法の断罪と呪いから自由になれるよう、主イエスは人類のために十字架につけられて人類の罪を贖われました。主イエスの救いを受け入れることで、私たちは自分の罪を神様に告白して悔い改める限り、それらを赦されて主のお授けになる恵みと祝福に浴することができるのです。これらは主イエスの働きによって成し遂げられた結果です。主は私たちの罪を贖われましたが、私たちの堕落した性質や罪深い本性をお赦しになったわけではありません。サタンに堕落させられて以来、私たちの性質は信じられないほど傲慢に、不正に、不正直に、自己中心的かつ卑劣に、そして邪悪で貪欲になり、真理を厭い邪悪さを愛するようになりました。私たちはこれらの堕落した性質に操られ、しばしば罪を犯したり神様に抵抗したり、他人と名声や利益を争ったり、嫉妬して不和を生じさせたり、嘘をついたり騙したり、自分を持ち上げて自分の証しをしたりせずにはいられません。例えば、私たちは自分の自己中心的な本性に操られ、何事においても自分の利益を守ります。他の誰かが自分の利益を侵した瞬間、私たちは腹を立てて争いを起こし、相手を憎み始めることさえします。私たちには他人への寛容さや忍耐強さがこれっぽっちもなく、私たちの働きや犠牲さえ、報いを得て天国に入るべく神様の祝福と引き換えになされるだけです。自分の傲慢な本性に支配され、頂点に立つことを常に望んでいるなら、他人が自分の言うことに従うよういつも望み、自分の見方にしがみつき、他人の意見を進んで受け入れようとせず、他人が自分よりも優れているとわかれば嫉妬して不満を抱え、さらには自分の地位を守るべく他人を押さえつけたり叱責したりするでしょう。自分の悪賢い本性に操られているなら、しばしば不正直になって偽りの発言を行ない、自分の利益や体面や地位を守るために自らの過ちを隠すでしょう。そのことから、これらのサタン的な本性は私たちを罪深さへと導くものの根源であり、それを取り除けなければいつまでも罪を犯して神様に抵抗するのをやめられないことがわかります。私たちは決して天国へ入るのにふさわしくはなれません。経営の働きを進める神様の目的は、私たちが神様の祝福とお約束を得られるよう、私たちを罪から完全にお救いになることです。私たちが罪の束縛を振り払って神様によって得られ、かくして私たちの天国の夢を実現できるよう、終わりの日の神様が主イエスの働きを基に、神様の家から始まる裁きの働きのその段階をなさり、私たちのサタン的な性質を完全に変えてお清めになるのは、それが理由です。それは主がかつてこう預言された通りです。「わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう」(ヨハネによる福音書12:48)主は終わりの日にお戻りになって多くの真理を表現なさり、御言葉を用いた人間の裁きと清めの働きを終わらせ、堕落した本性を取り除く道を私たちにお示しになると、主ははっきりとおっしゃいました。それによって私たちは完全に清められ、真に神様に従い、神様を畏れる人になれるのです。ゆえに、終わりの日における神様の裁きの働きを受け入れることでのみ、私たちの堕落した本性は清められます。それが天国へ入る唯一の希望なのです。

 リリー姉妹の交わりを聞いた私は、主が贖いの働きをなさったこと、そして主への信仰のおかげで私たちは罪を贖われたものの、内なる罪深い本性はまだ清められていないことをようやく理解しました。私たちが罪を犯しては告白し、再び罪を犯すという邪悪な循環の中でいまなお暮らしているのは、それが理由なのです。罪から逃れたければ、終わりの日に神様がなさる裁きと清めの働きを受け入れなければなりません。それが、自分の堕落した性質が清められ、私たちが真に神様を愛し、神様に服従できる人になって、天国へ入るのにふさわしくなれる唯一の道だからです。神様は私たちに罪の足かせから逃れる方法をお教えになるべく、お戻りになって真理を表現なさり、裁きの働きをなさるのだと聞いて私は感動し、またそのことは天国に入る希望を私にもたらしました。神様、感謝いたします。時間が遅くなっていたので交わりは続けませんでしたが、次の日に再び交わりを行なう時間を約束しました。

神様はずっと以前に戻られていた

 翌日の交わりで、姉妹リリーが「救い主はすでに『白い雲』に乗って戻って来た」という朗唱の録音を再生してくれました。それを聞いて私は心から感動し、これらの御言葉には本当に権威があると感じました。神様がどうやって雲に乗ってお戻りになるかをはっきり説明するとともに、神様が雲に乗って空からお降りになるという私たちの望みが、ひとえに自分自身の観念と想像から生じるものであることを私たちに教えているのです。神様がお話しになっている白い雲は、空に見える物質的な雲ではなく、主イエスが終わりの日にお戻りになるときお発しになる御言葉を指しているのです。するとリリー姉妹が興奮した口調で私に言いました。「シェイラ、実を言うと私たちがずっと以前からお待ちしていた主イエスは、しばらく前にお戻りになったのよ。それは肉となられた全能神です。全能神はすでに多くの真理を表現なさっており、いまは神様の家から始まる裁きの働きをなさっています。昨日の集まりで私が読み上げた御言葉と、あなたが今日聞いた朗唱はすべて全能神が自らお発しになった御言葉です。全能神はおいでになって七つの封印を解き、巻物をお開きになって、私たちが何世代も前から一度も理解しなかった奥義を残らず露わにされています。また全能神は、私たちが救いを得て清められるすべての真理を私たちに授けられました。それはすべての諸教会に聖霊がお語りになったことです。現在、終わりの日の全能神の働きは全世界に広まっており、その御言葉は20以上の言語に翻訳されてオンラインで公開され、神様の出現を熱心に探し求める世界中の人たちがそれを考察できるようになっています。真に神様を信じ、真理を渇望するすべての教派の多くの人たちが、全能神の御言葉を読むことで神様の御声を認識し、こぞって終わりの日の全能神の働きを受け入れ、全能神の玉座の前に戻って神様の足跡に従うようになっています。今日私たちが神様の御声を聞けるというのは、ひとえに神様のお導きです。私たちはみな大いに祝福されているのです」

 主がすでにお戻りになっているという知らせを聞いた私は、高揚して信じられないほど興奮しました。彼女が再生してくれた朗唱と私たちが前日に読んだ御言葉は、実はすべて神様の御言葉だったのです。かくも権威に満ちていたのも無理はありません。主の再来をお迎えできるなど、私は想像したこともありませんでした。私はとても幸せでした。

 するとリリー姉妹がさらに交わりを行ない、神様がどのように御言葉をお使いになって終わりの日に裁きの働きをなさるかを教えてくれました。そしてこのような全能神の御言葉を読んでくれました。「神の今回の受肉において、神の働きは主に刑罰と裁きを通して神の性質を表すことである。これを基礎として、神は人により多くの真理をもたらし、より多くの実践方法を示し、こうして人を征服し、堕落した性質から人を救うという神の目的を達成する。これが神の国の時代における神の働きの背後にあるものである。」(『言葉は肉において現れる』の「序文」より)「終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉は、みな人の本質とその堕落した性質に焦点を当てている。とりわけ、いかに人が神を拒絶するかを明らかにする言葉は、人がサタンの化身であり、神に敵対する力であることを語っている。神が裁きの働きを行う際、神はほんの数語で人の本性を明示するのではなく、長期にわたって暴き、取り扱い、刈り込みをする。そうした暴き、取り扱い、刈り込みは、通常の言葉に置きかえることはできず、人が持つことなどない真理でしか置きかえられない。そうした働きのしかたのみが裁きとみなされる。そうした裁きを通じてのみ、人は説得され、神への服従に完全に納得し、神の真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすのは、人が神の真の顔と、自らの反抗心についての真相を認識することである。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識して知り、人間の醜さを発見する。これらの効果はすべて、裁きの働きによりもたらされる。それは、実際に、この働きの本質は神を信じる人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである。」(『言葉は肉において現れる』の「キリストは、真理を以て裁きの働きを行う」より)

 神様の御言葉を読んだあと、リリー姉妹は交わりを続けました。「神様の御言葉はとてもはっきりしています。終わりの日の全能神は御言葉によって人間の裁きと清めの働きをなさいます。人類が完全に救われるよう、受肉なされた神様はすべての真理を表現なさってきました。それらの真理は豊富にあり、神様の義、威厳、そして犯すことのできない性質を私たちにあらわすとともに、私たちのサタン的な本性と、神様に抵抗することの本性と実質をも露わにしています。それらは信仰に対する私たちの誤った見方や、神様に関する私たちの観念と想像を裁いて暴きます。それらはまた、いかにして正直な人になるか、どのような奉仕が神様の御心にかなっているか、そしてありとあらゆる環境においてどのように神様に服従し、神様を愛すべきかを私たちに教えます。さらに、いかにして神様への真の畏れを成し遂げるか、どのように悪を避けるべきか、どのようにしてキリストにふさわしくなるべきかも教えます。神様の御言葉を読んで神様の働きを経験することで、また私たちが現実と向き合う中で露わにされることを通じて、傲慢で、自己中心的で、卑劣で、邪で、不正直であるという、私たちのサタン的な堕落した性質がとても根深いものであり、私たちが何をしようとも常に自分自身の動機と目標を持っていることがわかります。私たちの働きや説教でさえ、それは名声と地位のためなのです。人が自分を見上げるよう、他人の前でいつも自分を誇示しています。それは神様を高く掲げることでも神様の証しをすることでもまったくありません。神様の働きが自分の観念と一致しないとき、私たちは神様を規定して裁きます。神様への真の服従がまったく欠けているのです。また自分の本分を尽くす中で肉の快適さを切望し、しばしばごまかしたり神様を騙したりします。私たちには神様への忠実さがまったく足りません。そのとき初めて、サタンが私たちをいかに深く堕落させてきたかや、私たちに良心や理知や人格や尊厳がまったく欠けていること、人間と呼ばれるにふさわしくないことがわかるのです。そして自分の堕落した性質を憎み始め、進んで肉を捨てて神様の御言葉を実践に移すようにもなります。私たちは神様の裁きと刑罰を経ることで、神様が正直な人や真理を実践に移す人を好まれる一方、不正直な人や、真理を十分認識しながら神様への反抗と抵抗を続け、自分の堕落した性質に頼る人を嫌悪なさり、憎まれることを知るようになります。私たちは神様の御心とご要求を理解し、神様の義なる性質について本物の認識を得るようになります。私たちの神様への畏れは徐々に増え、私たちに対する神様の裁きと刑罰が神様の愛にして救いであることを知ります。このように経験し続けることで、私たちは肉を捨てて神様の御言葉をよりいっそう実践し、サタン的な堕落した性質が徐々に消えていきます。そうして正直な人らしさを生き始めます。これはすべて神様の裁きと刑罰の果実なのです。

 彼女の交わりを聞いた私は、終わりの日における神様の裁きの働きが本当に信じられないほど実践的で、人を真に変えて清めることができると感じ、自分の天国の夢がついに実現する希望を得たように思いました。また人類をお救いになる神様の熱心な意図も感じました。私はとても感動して、全能神の御言葉をもっと読み、神様の裁きの働きを知るようになることを楽しみにしました。

 リリー姉妹はその後の交わりで、神様の受肉の奥義、サタンがいかにして人類を堕落させるか、神様がいかにして人類を一歩一歩お救いになるか、聖書の内幕、そして人類の将来的な終着点と結末といった真理についての交わりを、さらに私にしてくれました。それらはいずれも、二十年以上にわたる信仰の中で以前に聞いたことがないものばかりでした。全能神の御言葉を読めば読むほど、それが神様の御声であることを心の中で確信するようになりました。肉となられた神様だけが、このような権威と力を持つ御言葉を表現なさることが可能だからです。神様を除いて、いったい誰がサタンによる私たちの堕落の真相を暴くことができるでしょう。誰が私たちの信仰における過ちを指摘して正しい信仰の道に導くことができるでしょう。そして誰が神様の六千年にわたる経営(救いの)計画の奥義をあらわし、私たちの将来的な結末と終着点がどのようなものであるかを伝えられるでしょう。神様だけが私たちをサタンの力からお救いになって罪の束縛から逃れられるようにしてくださり、清められて完全な救いを獲得する道を私たちに指し示すことがおできになります。そして神様だけが最後の美しい終着点へと私たちを連れて行くことがおできになります。全能神はお戻りになった主であり、終わりの日におけるキリストの御姿なのだと、私は心から確信しました。そして終わりの日の全能神の働きを大いに喜んで受け入れました。

 私を選んでくださったことについて神様に感謝いたします。終わりの日における神様の御言葉を聞き、裁きの働きを受け入れ、自分の天国の夢がかなう機会を持てるほど、私は幸運なのです。私は真理と性質の変化を熱心に追い求め、神様の大いなる愛に報いることができるよう、神様の御心を実践する人にならなければなりません。



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