池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

吹奏楽は熱帯雨林だ

2006-05-17 | 作曲/大編成

絢爛たる音色、圧倒的なダイナミズムを持つ吹奏楽(ウィンド・オーケストラ)の名作―それらを聴くほどに、一方でなぜ?と思うほど単調に感じてしまう。
その最大の理由の一つは転調が無いことではないだろうか。
ワーグナーもどき、R.シュトラウスもどき、マーラーもどき、ラヴェルもどき、ショスタコーヴィチもどき…なるほど、後期ロマン派風の魔術のようなオーケストレーションを施された佳曲は数あれど(私なんぞ逆立ちしても歯が立たない)、それらの殆どはせいぜい近親調以外に転調しない。ロマン派の音楽は遠隔調への自由自在な飛躍こそ古典からの脱皮の象徴であったはずなのに。

移調楽器の集合体故か(管楽器は転調が苦手)?それとも、転調したら音域の無理な楽器が生じ、その都度アレンジし直さなくてはならず面倒くさいからか?
或いは管楽器ばかりの様々な音色による異種混合集団ゆえ、楽器自体が持っている色彩のコントラストと比すれば、転調の効果など微々たる物、と衰退してしまったのか?…あたかも季節の変わらぬ、年中燃え盛っている熱帯雨林の如く。
結果的に、シャコンヌや変奏曲などは得意で、交響曲と称するものでは「まがい物」感を免れない。なぜなら交響曲では転調こそ最大の構成原理だから。

しかし、そう言えば「現代音楽」も、とうの昔に調性による作曲法を捨てた。調的概念の無い(乏しい)ことでは吹奏楽と通じる、とも言える。
現代音楽が、転調に匹敵する効果を転調という手段を用いずに作れるかどうか…。その試金石として奇しくも、吹奏楽という媒体は打ってつけだ。



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