池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

岩城宏之氏の遺言

2006-06-13 | 作曲コンペ歴

指揮者の岩城宏之氏が他界されました。
2001年、「石川の三文豪によるオーケストラ歌曲作品コンクール」本選…私は泉鏡花の「夜叉ヶ池」による合唱付き、独唱者2人のオーケストラ作品を応募し、オーケストラ・アンサンブル金沢と合唱団らに演奏され、優秀作品となりました。岩城氏はこの時、指揮者と審査員を兼任されました。 ♫ 試聴

表彰式では各審査員から舞台上で講評をいただき、岩城氏からは
―譜面審査では最も面白いと思ったが、演奏者側の「現場監督」になってみると、やるのが大変で評価が逆転してしまった。やはり作曲の審査に演奏家は関わるべきではないと思う(笑)。ワーグナーが交響曲を書いていて、始終ティンパニーがフォルテで鳴り続けているんだけれど、そんな風に感じた―
と笑みを湛えながらのお話でしたが、実はリハ、ゲネプロではお互い、殺気立っていたのです…もちろん、その原因は、僕の器が小さかったのと、氏の肉体的コンディションを知らなかったせいなのですが。
指揮者と言えば、てきぱきと、よく通る声でオーケストラに指示を出すもの、と思っていた私は、氏がマイクの助けを借り、ゼイゼイと聞き取りにくい声で話していたり、リハは30分やって1時間休憩したり、オーケストラのバランスの悪いところがあっても、「皆さん、僕もここはああしたい、こうしたいと思う所はあるけれど、これはコンクールなのでとにかく書いてある通りに演奏して下さい」と繰り返すばかりなのを見て、居た堪らない気分でした(咽頭癌の手術の後だったとは知りませんでした)。

バランスに関して楽屋までお願いに行くと(インスペクターの許可を得た上で)、「イヤなやつが来た…」といった表情で、椅子にのけ反りながら「あんたはごちゃごちゃ書き込みすぎて、主張が無い!」と、逆にお説教をされてしまいました。
意外でした。書き込むことは「主張があること」だと思ってましたから…。その他にもいくつか言ってはみたものの、「無理無理!」と追い払われてしまいました。
ゲネプロでもオケや合唱に大きな声で注文を出していた私に、最後は「うるさい!」と怒鳴るなど、「あんなにイライラしてるマエストロ、初めて見た」と合唱団員が言ったほどです。

…岩城氏が私財を投じられたコンクールだったとか。ご冥福をお祈りします。
(写真:リハ、2次会:倉知竜也さん提供)



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