銀座で行われたSOUL塾
先生は勿論、吉岡正晴様・・・
あのイベントの時に
私の後ろに座ってらした男性・・・
その人の携帯の着信音が鳴ったので
振り返って顔を見てしまった。
妙にオーラがあった。
帰り際 そのお方が先生に御挨拶をされていた。
なので、私はつかさずマサハル君とこへ・・・
「今のかたは・・・?」
「ああ!TOMMYさんだよ」
名前が大阪のTOMMYさんと同じだったから
覚えていた(笑)
イベント会場から降りる満員エレベーターの中で
私の前に立ってらした。
何度かこちらをチラチラご覧になっている・・・
何故だろう・・・?
よくわからないけど、出会いはそんなカンジだった。
目黒食堂へYO-HEYマンやさくらちゃん達とインしてすぐに、
その人が現れた。
目と目があった。
ジーーーーー(観察中??)
私は記憶してるが
先方は覚えていらっしゃらないだろう
そんなこと考えていたら
その人が
ツカツカツカって・・来た!
私の斜め前の席に荷物を置かれた。
また目線があった。
う===ん??
喋ってみよう!!
先日のSOUL塾のことを話したら
「あ~~~あ!!」って
思い出されたご様子!
それから
先方のお話を聞いてみると・・・
やっぱり!!
ミュージシャンのお方だ。
近田春夫さんとバンド活動されてた
DR.TOMMY!
凄いFUNKYなBANDだったという噂は
聞いたことがある
DR.TOMMYさんは
踊り場での実績もかなりおありのようで
YO-HEYマンが、まだ10代のお子チャマだった頃
ダンスを教えてもらったりしたんだって・・・
そんなDR.TOMMYさん
昨日のイベントは
六本木サーカスの復活祭だったので
業界有名人がたくさん集っていたのだが、
そのほとんどの人たちが
挨拶に来られていた
「やっぱりオーラのある人なんだア」
って思いながら
「地元の友達がきてるんですよ」
って
さくらちゃんのことを紹介した
その後
「どこ出身?」
って聞かれたので地名を答えると、
なんと!!!
同じ街の出身だった。
DR TOMMYさん
10代の頃から地元のDISCOでDJされたりしてたそうで、
超ローカルなお店の名前が次々飛び出してきた
私は年齢的にも行ったことないお店だったけど
噂話は色々聞いていたので、そのローカルトークが
なんだか妙にイゴゴチよかった(*^_^*)
しかも彼の出身高校は地元一の進学校で
昔は男子校だった・・・
で、私の高校は、昔は女子高だった
という経緯から
毎年、様々な交流イベントが行われる
互いにゆかり深い学校同士だ。
今となって思えば
目と目がよくあってたのも
同じ街で育ち
近くの高校を出て
似たような環境で
同じ空気吸ってたからかもしれない
それにしても不思議だ
隣の席の東京人!
話を聞いたら同郷人・・・
だなんてね(*^_^*)
またひとつ
「正真正銘の先輩」
との出会いを授かりました
素敵なご縁だなあ!
FUNKの神様
ありがとお!!!
先生は勿論、吉岡正晴様・・・
あのイベントの時に
私の後ろに座ってらした男性・・・
その人の携帯の着信音が鳴ったので
振り返って顔を見てしまった。
妙にオーラがあった。
帰り際 そのお方が先生に御挨拶をされていた。
なので、私はつかさずマサハル君とこへ・・・
「今のかたは・・・?」
「ああ!TOMMYさんだよ」
名前が大阪のTOMMYさんと同じだったから
覚えていた(笑)
イベント会場から降りる満員エレベーターの中で
私の前に立ってらした。
何度かこちらをチラチラご覧になっている・・・
何故だろう・・・?
よくわからないけど、出会いはそんなカンジだった。
目黒食堂へYO-HEYマンやさくらちゃん達とインしてすぐに、
その人が現れた。
目と目があった。
ジーーーーー(観察中??)
私は記憶してるが
先方は覚えていらっしゃらないだろう
そんなこと考えていたら
その人が
ツカツカツカって・・来た!
私の斜め前の席に荷物を置かれた。
また目線があった。
う===ん??
喋ってみよう!!
先日のSOUL塾のことを話したら
「あ~~~あ!!」って
思い出されたご様子!
それから
先方のお話を聞いてみると・・・
やっぱり!!
ミュージシャンのお方だ。
近田春夫さんとバンド活動されてた
DR.TOMMY!
凄いFUNKYなBANDだったという噂は
聞いたことがある
DR.TOMMYさんは
踊り場での実績もかなりおありのようで
YO-HEYマンが、まだ10代のお子チャマだった頃
ダンスを教えてもらったりしたんだって・・・
そんなDR.TOMMYさん
昨日のイベントは
六本木サーカスの復活祭だったので
業界有名人がたくさん集っていたのだが、
そのほとんどの人たちが
挨拶に来られていた
「やっぱりオーラのある人なんだア」
って思いながら
「地元の友達がきてるんですよ」
って
さくらちゃんのことを紹介した
その後
「どこ出身?」
って聞かれたので地名を答えると、
なんと!!!
同じ街の出身だった。
DR TOMMYさん
10代の頃から地元のDISCOでDJされたりしてたそうで、
超ローカルなお店の名前が次々飛び出してきた
私は年齢的にも行ったことないお店だったけど
噂話は色々聞いていたので、そのローカルトークが
なんだか妙にイゴゴチよかった(*^_^*)
しかも彼の出身高校は地元一の進学校で
昔は男子校だった・・・
で、私の高校は、昔は女子高だった
という経緯から
毎年、様々な交流イベントが行われる
互いにゆかり深い学校同士だ。
今となって思えば
目と目がよくあってたのも
同じ街で育ち
近くの高校を出て
似たような環境で
同じ空気吸ってたからかもしれない
それにしても不思議だ
隣の席の東京人!
話を聞いたら同郷人・・・
だなんてね(*^_^*)
またひとつ
「正真正銘の先輩」
との出会いを授かりました
素敵なご縁だなあ!
FUNKの神様
ありがとお!!!
1.V-Blue(/KIMIHIKO SATO,OTO/VIBRASTONE)
2.ナイトメア(CHIKADA HARUO/YUJI OKIYAMA/VIBRASTONE)
3.パルスビート(/TAKAHIRO WATANABE,YUJI OKIYAMA,YUJI YOKOZENI/VIBRASTONE)
4.ユアループ(CHIKADA HARUO/OTO&VIBRASTONE/VIBRASTONE)
5.NINTRO(/VIBRASTONE/VIBRASTONE)
6.NEVER COME BACK(CHIKADA HARUO/CHIKADA HARUO&VIBRASTONE/VIBRASTONE)
7.B-Boy(CHIKADA HARUO/Dr.Tommy/VIBRASTONE)
8.V-Funk(/Dr.Tommy,KIMIHIKO SATO/VIBRASTONE)
9.ディープなオヤジ(CHIKADA HARUO,KIYOSHI"HEIKA"KURIHARA/KIYOSHI"HEIKA"KURIHARA,YO-SUKE OKADA&VIBRASTONE/VIBRASTONE)
10.イージーライド(/VIBRASTONE/VIBRASTONE)
11.なんかやってんじゃねぇの?(CHIKADA HARUO/OTO&VIBRASTONE/VIBRASTONE)
12.ビデオじゃつまんねぇ(CHIKADA HARUO/YO-SUKE OKADA/VIBRASTONE)
13.オーバーロード(/VIBRASTONE/VIBRASTONE)
14.まぁいいんじゃないすか節(CHIKADA HARUO,KIYOSHI"HEIKA"KURIHARA/KIYOSHI"HEIKA"KURIHARA,OTO/VIBRASTONE)
15.いいんじゃないの(/Dr.Tommy/VIBRASTONE)
16.SAY IT LOUD!(CHIKADA HARUO/YUJI OKIYAMA,YO-SUKE OKADA,Dr.Tommy&VIBRASTONE/VIBRASTONE)
17.すっぽかしちゃおぜ(CHIKADA HARUO/Dr.Tommy/VIBRASTONE)
18.アームストロング(/Dr.Tommy,OTO/VIBRASTONE)
19.NATIONAL(CHIKADA HARUO/CHIKADA HARUO&VIBRASTONE/VIBRASTONE)
20.Free(/CHIKADA HARUO/VIBRASTONE)
お祭りばか騒ぎの後の泣きたいような、笑っちゃうような虚ろなループ感が全体を支配しています。Smile!!ではめちゃくちゃゴージャスで羽振りのよかった男がNATIONALではもはやお肌はがさがさ、ラーメン屋でスポニチ読んじゃうわけです。これがまためちゃくちゃかっこいいのですが、これが実質最後のアルバムとなってビブラは活動休止、現在にいたっています。このアルバムを発表後にDr.Tommyが脱退して、ライブではOTOさんが代役で近田さんとかけあいをやっていましたが欠けてしまったものは大きかったようです。
鬼才、近田春夫が88年に結成した人力ヒップホップ・グループ。その当時、認知を受けていなかったラップをいち早く取り上げ、世間の是非を問うた意味は大きい。
もともと86年にプレジデントBPM名義で、ヒップホップの12inchをリリースし、この手の音楽では先駆者となっていた近田。――普通ならターンテーブル+サンプラーという方法論に陥るところを、12人編成の生演奏を主体としたヒップホップを打ち出したところに彼の天才性がある。景気よく鳴り響くホーン・セクションと、ファンクの快楽性をもたらすリズム・セクションが有機的に絡み合うグルーヴにのり、近田はユーモアを交えつつも世相を鋭いライムで風刺。さらには、ゴーゴーや河内音頭までを貪欲に取り込みながら、"日本語ポップ"としてのラップの可能性を究極に突き詰めていった。
現在でこそ、日本のミュージック・シーンに幅を利かすラップ/ヒップホップであるが、このような先人の試行錯誤の上にあることを忘れてはならないだろう。