あまり聞かなくなった日本語に「塩梅(あんばい)」というものがあります。
「料理が、いい塩梅に仕上がった」などと用います。
塩梅とは元は塩と梅酢のことで、塩と梅酢だけでなく、味のバランスがいいことを意味します。
そこに基準はありませんでした。
分量は塩が何グラムで梅酢が何㏄などと厳密に定めることなく、「適当」でした。
科学的でないことが厭われる時代になって、
塩梅のような基準が曖昧なものの価値がなくなりましたが、
「適当」とは決して「いい加減」という意味ではありません。
季節や天候に応じて材料の配合割合などを微妙に変える手腕なのですから。
国語辞書を見ると、体調がいいことも「塩梅がいい」と表現したようです。
この塩梅とは「具合」や「様子」のことですね。
「塩梅」という言葉を聞かなくなったのは、
言葉のもととなった塩の塩辛さと梅酢の酸っぱさを掛け合わせるお料理が減ったこともあるでしょう。
「適当」を大切にしてきた日本人の価値観自体が変容してきたこともあるでしょう。
そこに価値を見出さないのですから用いる機会が減ったのと、
意味合いがそもそもわからない人が増えたということです。
「取り過ぎる時代」について書いてきましたが、
お金の話でも縄文時代まで遡ることもなくつい半世紀前までは、
日本には「ちょうどいい」ことを良しとする価値観がありました。
毎月ちょうどいい金額が安定して入ってくるという理由で、「サラリーマンはいい」と
言われていたのです。
そう考えると、グローバル化の波に呑まれて、今の日本人はバランスを崩していることになります。
もちろんどちらがいい、悪いではありません。すべては移ろいゆくものだからです。
ただかつての日本は、味覚にしても金銭感覚にしても、思いやりの精神にしても、
バランスというものを非常に大切にしていたことを覚えておきたいです。
💓今日も、最後までお読みいただきありがとうございました💓