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中南米の芸術性

2024年05月31日 | 芸術

 

 

中米では近年、最新技術によって密林に埋もれていた古代遺跡が次々と発掘されています。

上の数年前の動画情報ですが、6万以上の建造物が見つかりユカタン半島北部にもマヤ文明の巨大都市があったことがわかりました。

マヤ文明はグアテマラだけでなく、同時発生的だったかもしれません。

ユカタン半島北部のキウィックは西暦500年ごろには存在した都市で、

ユカタン半島は以前はグアテマラのマヤ文明の人たちの移住先と考えられていたものが、

時代的にそれより古くからそこに人が住んでいたことがわかりました。

 

調査によって、キウィックのピラミッドの内側には神殿が存在することが発見されました。

マヤの人は空間に力が宿ると考え、既存の建物の上にもピラミッドを建てたのです。

さらに、キウィックでは農民の住居跡も数多く発掘されています。

この住居跡から、豊かに暮らす農民たちが多数存在していたことがわかりました。

中米では、中産階級が北米より1000年もはやく生まれていたのです。

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何かどこかで聞いたような話だなあと思いながらマヤ文明の発見の話を聞いていましたが、

マルチバースの話と似ているのですね。

「これで宇宙の規模はだいたいわかった」と思ったら実はもっと広大で果てしなく、

しかも拡大し続けていた―――宇宙の探求の歴史はパラダイムシフトの繰り返しです。

うっそうと生い茂る森の中に巨大都市の遺構が隠されていたのですが、

地球には地底や海底を含めるとまだまだ多くの古代遺跡が隠されている可能性があります。

 

マヤ文明は縄文文化と較べると時代的にはかなり新しく、起こりは縄文時代後期。スペインに侵略され滅んだのは日本の室町時代でおよそ数千年の歴史です。

縄文文化は1万年続き、戦争はなく、人々は平和に暮らしていましたが、

マヤ文明には戦争もあって、戦争によって領土を拡大するネットワーク型文明でした。

 

マヤに文明があって縄文に文明がない理由のひとつは、中米には雨季と乾季があるため貯水の工夫が必要だったのに対し、

日本は水が潤沢にあって水に困らなかったためです。

マヤ文明では高低差を利用して水を集めて蓄えるために石を積み上げた建造物には高さを求め、、洪水を避けるために土壌の水はけを考慮し水路を計画する必要性がありました。

 

365日の太陽暦がエジプト文明で発達したのは農業に利用するためでしたが、

マヤ文明のマヤ歴は260日周期です。

この260日は金星が太陽・地球と一直線に並ぶ周期と関わりが深く、

マヤ歴は13×4=52日を5サイクル<起・承・転・結・マトリックス>で260日です。

マヤ文明の主食はトウモロコシですが、トウモロコシの耕作にはさほど暦を必要としなかったのでしょう。

マヤ文明がそれより大切にしていたものは、心の豊かさや芸術性ではなかったかと考察しています。

マヤ歴(占いのようなもの)自体には個人的にはあまり関心はないのですが、

中米出身の芸術家に音楽や文学の分野で触れその卓抜した才能や異質な感覚に興味があって、それが生活に根差したマヤ歴に密接に関係していたのではないかと気づかされました。

 

空間だけではなく時間にもエネルギーがあると考えたマヤ文明の人たちは、

この暦の時間の流れを意識することで、自分自身の周期性や自分らしさを感知して生きたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

💓今日も、最後までお読みいただきありがとうございました💓