時は本来、刻むものではありません。
流れるものでもありません。
時は、たとえて言えば波打ち際の波のようなものです。行ったり来たり、浮かんでは消え。
時計で時を刻まない限り、数えることもできなかったわけです。
時計が発達して、暦ができて、
いつの間にか細かく細かく正確に刻み始めて、
時間をサイクルと捉えて数えるようになりました。
アナログ時計の文字盤は1から12で長針の一巡りは1分、短針の一巡りは12時間(半日)です。
この時計の「イメージ」や社会のルールが私たちの時間の概念、思い込みを築いています。
アナログ時計の時間はまわります。「ぐるぐる」回ります。
長針に至っては「めまぐるしく」回ります。
いっぽうデジタル時計は、「今」が4桁か6桁の数字で表記されています。
11:11:11 は「11時11分11秒」のことです。この一瞬は、1秒で終わります。
デジタル時計の時間は1秒単位あるいは1分単位で、数字がめくれて変わります。
60年で一巡りを「還暦」と呼んで寿ぐ古人の概念の深さにしみじみ感じ入っています。
今年還暦を迎えた私はこの概念に触れて、「ようやく一巡りしたのだな」「いろいろあったな」「これまで無事によく生きて来られたな」という感慨に耽りました。なるほど還暦とはよく言ったものだと合点したのです。
現代に生きていると、時計を見ながら死ぬまでひたすら走り続けているようなもので、
60年で1周という概念など存在しません。
「やっと1周」と思えば、そのひとときだけでも人生全体を俯瞰でき時間をゆったり受け止められます。
60年一巡りの六十干支は、十二支と十干の掛け合わせで表されています。
十二支は干支(えと)として今もなじみがありますが、十干はごく限られた文書でしか用いられていません。
十干とは、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸で順序を示します。
上の表を見ていて気が付いたのですが、算用数字0のところに「甲」と記されているのですね。
0はもともと日本にはなかった概念ですから、10とも言えます。
甲乙……は甲からはじまるのに、甲は1ではなくて0(または10)に対応しているのです。
漢字で書くと「十」、「と(とう)」と読むため「統合」を現わすとも言われています。
「六甲」という地名の漢字を見てください。六つの甲と書きます。
巡って行くと「甲」が現れます。一巡りで6回現れます。
何事も生まれては消え、生まれては消え、
取っては捨て、取っては捨て、
統合すると共に消え、また生まれます。
「六甲」という地名には、生命の大きな、大らかな循環、サイクルを感じます。
カタカムナの平十字という謎の仙人のような人物が現れた金鳥山も、この六甲山系にあるのです。
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