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こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

訪問者。-【2】-

2021年08月20日 | 日記

【エッグスタンド】

 

 さて、『訪問者』に収録されているお話の残り2編についてです♪

 

 まず、『エッグスタンド』から……

 

 >>第二次世界大戦中、ドイツ軍占領下のパリ。

 キャバレーで踊っているルイーズは、ある日公園で死体を熱心に見つめる少年と出会う。

 パンをあげるとアパートまでついて来てしまったため、行くあてのなさそうな少年と暮らしはじめる。


 ある日、キャバレーの近くでテロがあり、逃げているうちに二人はレジスタンス活動をしているマルシャンと出会う。

 親仏派でレジスタンスに情報を流していたドイツ人・ロゴスキーがラウルと一緒にいるのを見たマルシャン。

 ルイーズに惹かれる気持ちとラウルを疑う気持ちの両方で、二人のアパートに潜り込む。


 こうして、三人の不思議な同居生活が始まった――

 戦時下ながら平和で楽しい日々。


 しかし、ルイーズの部屋に貼ってあったニューヨークの絵葉書が剥がれ落ち……宛先がベルリンであることがマルシャンに見られてしまう。


 ルイーズはパリ娘ではなかったのだ。そこから三人の運命は少しずつ暗い方へと流れていく。

 

(密林さんの『エッグスタンド』あらすじよりm(_ _)m)

 

 

 え~と、実はこの『エッグスタンド』、わたし的には萩尾先生がお描きになるお話の中の、たぶん「わたしにはよくわかんない」タイプの物語と思います(^^;)

 

 いえ、「わたしが凡人で馬鹿だからわからないんだろう」というのはわかるのですが、第二次世界大戦中のパリ占領下が舞台……ということもあって、全体としてお話の色調もとても暗いです。

 

 だからまあ、飛ばしても良かったのですが、簡単にいえば「人を殺してもなんとも思わない少年の話」、「愛と殺人を同じものとして捕えている少年の話」ということになるでしょうか。。。

 

 おもな登場人物は、このラウル少年と、パンをあげたらついてきたので、なんとなく彼と一緒に住むことになったルイーズ、それに、レジスタンスとして地下活動をしているマルシャンの三人です(ちなみに年齢は、ラウルくんが13、4歳、ルイーズが16~17歳、マルシャンが25~26歳といったところ)。

 

 物語の核心はたぶん、タイトルとも関わりのある『エッグ・スタンド』だと思います。このラウルくん、自分の母親がエッグスタンドにゆで卵を置いてだしてくれたので――それをスプーンで割って食べようとするんですね。そしたら、中に黒焦げの雛がいるのがわかった。

 

 >>――孵化しなかったタマゴが、まちがってゆでられて食卓に出される。死んだヒヨコは黒い。あれはぼく、あれは世界。なにもかも壊さなきゃ。はやく目を覚まさなきゃ。死んでしまうまえに……

 

 このラウル少年は人の死体や殺人といったことに強い興味を持ち、ルイーズと初めて出会った時も、死体のほうをじっと見つめていたから、彼女は声をかけたのでした。また、ラウルは戦争へ行ったというマルシャンにも>>「人を殺した?それってどんな気分かなァ」などと聞いています。

 

 実をいうと、そう聞いたラウルこそが、すでに何人も人を殺していたにも関わらず。まずは、昔自分が暮らしていた村で母親を、それからパピヨンという名のレジスタンスの男に拾われ、彼の命令で「対独協力者」だという未亡人や、ゲシュタポの手先だという大佐や……そして、母親と同じようにこのパピヨンも自分を操ろうとしていると感じたラウルは、彼のことをも殺し――その後、ドイツ人高官に雇われた彼は、今度はレジスタンスに情報を流す人物や、親仏派の人間を殺していったのだと思います。

 

 簡単に結論からいえば、ユダヤ人であることを隠してドイツからやって来ていたルイーズは、部屋に踏み込んできたゲシュタポから逃げようとし、屋上から足を滑らせ落下。六階の高さから落ちて死んでしまいます。マルシャンはラウルがした殺人の告白のショックからか、ルイーズとベッドをともにしますが、彼女が死んだのはそのあとのことでした。その後、「人を殺してもどうとも思わない」ラウル少年のことを――マルシャンは自らの手で銃を発砲して殺します。

 

「人を殺してもどうとも思わない」、「殺人と愛は同じもの」……そんな人間、本当にいるものだろうか?というのが、もしかしたら読者の一番の疑問かもしれません。でも、「戦争中だから」ということの他に、「確かにありうるかもしれない」と、ラウルくんの場合は思わなくもないわけです。

 

 というのもこのラウルくん、元は聖クレソン村というところの出身で、お父さんが政治犯だったことから村八分にされてしまったらしく……たぶんこのマリア・クレーというお母さんは途中から頭もおかしくなってたんでしょうね。>>「ラウル、おまえだけはママからはなれないでおくれね。ママもおまえをはなさないよ」、「ラウル、おまえはママのものだよ。一生ママのものだよ」、「はなれちゃいけないよ。ラウル、ママを愛して」、「愛して、愛して、愛して、愛して」……あまりあたためすぎて死んだ黒いヒヨコをだくように、ママはぼくを愛した。ぼくはママから逃げ出した。ママを殺して……

 

 まず最初に母親を殺してしまったら――あとは何人殺しても同じ、となる心理状態というのは、理解できなくもありません。また、もしルイーズが死んでいなかったとしたら、マルシャンもラウルを殺すことはなかったかもしれません。何故といって、マルシャンからラウルが何人も人を殺していると聞いても、彼女は「何か理由がある」と考え、実際のところラウルがそのことを口にしても……>>「これまでのこと忘れてやりなおせるわ」とさえ言っています。

 

 そしてこのあと、「目を覚まして!」と言ってルイーズがキスすると、彼女のことをドンと突き飛ばして、ラウルは外へ出ていきます。ラウルは泣いていました。>>「どうして、この涙?ぼく、涙なんかはじめてだ。なぜ?なぜ?」と自分に問いかけるラウル。

 

 わたしが思うにたぶん、ラウルは「自分が何をしたか」については、純粋なまでに何もわかってなかったのだと思います。だから、「死」も「殺人」も「愛」も、彼には同じことなんだろうな、というか。ところが、ルイーズはありのままのラウルのことを本当に愛してくれた。それは、母親やパピヨンや他の人が彼に与えたものとは違う種類のものだった。この瞬間まで、ラウル自身こそが、孵化できずに死んだ、あの黒いヒヨコと一緒だったのが(だからこそ、本当の意味ではずっと何も感じないでいたのが)――ルイーズの愛によって固いタマゴの殻が割れ、ヒビが入ったわけです。

 

 ラウルはルイーズと、戦争のない国アメリカへ行くために、殺人を命じるドイツ人高官に、ニューヨーク行きの切符を頼んでいました。もしルイーズと一緒に、なんらかの形でアメリカへ渡れていたら、更生できる可能性もあったのかもしれません。けれど、その彼女も死んでしまった。母親を殺して以降、おそらく感じたことのなかった人間らしい感情に触れ、「何かが変わるかもしれない」という萌芽がラウルの心にはあったのに……ルイーズの死とともに、花が咲く前にその芽も死んでしまいました。

 

 ところで、『エッグスタンド』って、大体パリ占領下の何年の冬の出来事なのかが、自分的によくわかりませんでしたノルマンディー上陸のことが登場人物の口から仄めかされていることを思えば、1943年の冬くらい?と思うのですが、どうなのでしょうか。

 

 いえ、何故「いつ」ということが気になるかといえば、マルシャンは春が来れば戦争は終わると期待しているわけですが、もし仮に1942年とかであれば、まだ戦争は終わらないでしょうし、1943年であれば、『アンネの日記』のアンネではありませんが、(あと本当にもう少しで戦争は終わったのに……それなのにルイーズは死んでしまった)ということになると思うからなんですよね。

 

〃花うさぎ〃という名前のキャバレーで働くルイーズは可愛くて好きなんですけど……あんまりどの人物にも感情移入できなかったこともあり、戦争の恐ろしさについてもあまり感じることはなかったかな~なんて思ったり(わたしの感受性が鈍いためです^^;)

 

 ユダヤ人迫害については、第二次世界大戦中、いかに非道なことが行われたかについては、ちょっと調べたり本を読んだりしただけでも、枚挙に暇がないと思います。なのでまあ、余計なことではあるんですけど、とりあえず目の前の棚にあったため(笑)、少し引用してこの感想の終わりにしたいと思いますm(_ _)m

 

 >>シナゴーグ(ユダヤ教会堂)は焼き打ちされ、ユダヤ人の商店は破壊され、ユダヤ人は殺されたり拷問を受けた。ボーヴォワールの生徒のビアンカはその夜の出来事を彼女に語った。ウィーンから逃亡してきた彼女のいとこは彼女の家に到着したばかりだった。彼は一晩中ゲシュタポから拷問を受け、顔一面にタバコの火を押しあてられた火傷の跡があった。フォン・ラート暗殺のあと彼の親戚は夜中に叩き起こされ、ほかのユダヤ人ともども広場に狩りだされた。彼らは裸にされ、男性はもえさかる薪で灼かれた鉄片を押しあてられて去勢された。いたるところでユダヤ人狩りがおこなわれ、強制収容所に送られた。

 

(『ボーヴォワール~ある恋の物語~』福井美津子さん訳/平凡社より)

 

 この本はボーヴォワールの伝記で、彼女は第二次世界大戦中にフランスのパリ占領下で生き、レジスタンス活動もしていた女性なので……そうしたことも本の中で少し触れられています。

 

 >>「ここにはユダヤ人なんていません!人間がいるだけです」というボーヴォワールの言葉もあった気がしますが、ユダヤ人迫害も、第三次世界大戦も、二度と起きてほしくないし、起こしてはいけないのは当たり前のこととはいえ――大枠でいえば、すでにその傾向が世界のあちこちで見えはじめているというのが現実ではないでしょうか。。。

 

 それでは、次は『天使の擬態』♪

 

 主人公は次子(つぎこ)ちゃんという名前の女子大学生。彼女が鎌倉の海岸でたくさん薬を飲んで倒れていると、ジロウという名の犬を散歩させていたシロウという男の人が助けてくれます。

 

 たぶん、彼女は自分では睡眠薬を一瓶飲んで、「これで死ねる(天使になれる)」と思っていたのかもしれませんが、それは実はただの精神安定剤で、このシロウさんという人が無理に吐かせようとしたりしなくても――おそらく彼女は死ななかったものと思われます。

 

 実はわたし、漫画本の読みきりを4~5本集めたタイプのものって……表題作以外そんなに面白くないとか、最後の1~2編はそんなに面白くないものが収録されていることが多い――という思い込みを多少持ってるもので、実はこのお話もそんなに期待しないで読みはじめました(というか、萩尾先生に関してはそれが該当しないとわかってるんですけど^^;)。

 

 でも、すごく面白かったです♪まず、お話の冒頭あたりを読んで、「どうせ甘ったれたお嬢ちゃんのモラトリアムな悩みとかいうやつで自殺しようとしたとか、そんな程度のことなんだろー?」……みたいな、偏見に満ちた物思いを持っていました。

 

 また、次子ちゃんはこの神父さんちに下宿してるシロウという人と、次に大学で再会します。実は彼は次子ちゃんの通う「ヨコハマ アドリア 女子学園」の、生物の先生だったのでした。シロウさんは最初の登場時、「むさいおっさんやのう」といった感じなのですが、スーツを着ているこの時のシロウさんはすごく格好いいです(笑)。

 

 次子ちゃんがシロウさんと再会したのは、文化祭の喫茶店(おでん屋☆)でのことで、彼女は何人もの友人に囲まれ、賑やかに楽しそうにやってる雰囲気ですし、大学生活に何か問題のあることが自殺の原因とは思えません。また、この友人たちが「失恋でもしたの?」とか「彼と別れたのは春よォ。新しいの作ればいいのに」みたいに言ってるわけですが――まあとりあえず、一読者としては「失恋が死のうとした理由じゃないんじゃなかなあ」みたいに思ってました。

 

 こののち、この織田四郎先生と次子ちゃんは少しずつ心理的に距離が縮まっていくわけですが(お約束)、この次の場面でボストンにいるという両親から電話がかかってきます。次子ちゃんにはお姉さんがいて、割と最近結婚し、子供も出来た模様。出産予定日は来年の春

 

 そしてこの時――初孫に喜び浮かれる、幸せそうな両親と話してのち、電話を切ると次子ちゃんは涙を流していますむむむ。もしや、お姉さんとの間に確執があるとか、元は自分が好きだった人とこのお姉さんが結婚してしまったとか……なんかあるんだろーかと思って読んでましたが、最終的にわたしが想像してたのとはポイントがまったく違っていました

 

 大学の講義が終わったあと、鎌倉の八幡宮で安産のお守りを買うため、四郎先生と一緒に電車へ乗ろうとする次子ちゃんでもこの時、駅の構内を歩いていると――向こうから、眼鏡をかけた、髪を染めてるっぽいけど真面目そうに見える青年が、女の子と腕を組んでやってきて……その途端、四郎先生と腕を組む次子ちゃん。むむむ。どうやらコイツが元彼ってやつっぽいですね(^^;)

 

 このあとふたりは、大学の授業のことを話したり、進化論のことについて語ったりして……>>「いつか、人間は翼をもつ天使に進化するかしら?」なんて、可愛いことを言う次子ちゃん。

 

 たぶん、四郎先生的にも、女性でラマルクやダーウィンの進化論の話なんてして、こんなに熱心に楽しげに聴いてくれた子なんて今までいなかったんでしょうね(笑)。次子ちゃんが容姿的に可愛いせいもあってか、この時教え子というのにキスしてしまいます。けれど、すぐにその場から逃げるように走り去り、踏み切りの向こうに消えてしまう次子ちゃん

 

 前にも、たまたま偶然同じ服を着てきてしまったことから騒がれてしまい、さらに今度は「そーよ。ヨコハマ駅で腕くんでヨコスカ線のホームにいたのよ、あの二人」、「もしかして鎌倉デートォ?」、みたいに同級生たちにからかわれ……次子ちゃんは四郎先生がやって来ると>>「わたしはこの人とは関係ありません!!」なんて、つい怒鳴ってしまいます。

 

 次子ちゃんのあとを追いかけてくる先生。>>「横浜の駅で会った男が好きなのか?」と聞く、四郎先生。>>「薬を飲んだのはそいつのせいか」とも……。

 

 どうやら四郎先生は次子ちゃんの地雷を踏んでしまったようですが、四郎先生はやっぱり彼女のことが気になって、今度は次子ちゃんの友人に、彼女が元つきあっていた男のことを聞いています(「教師としてそれでいいのか?」とも思いますが、じゃないと話が進まない・笑)。

 

 次子ちゃんの元彼は西源寺くんと言い、高校時代はハンサムでフェミニストでモテるタイプの人で、大学のほうは国立のほうへ進み、たぶん別れたのは別々の学校になってしまったからではないか……とのことでした。。。

 

 こののち、四郎先生は次子ちゃんの家を訪ねて来ます。そして、「お見舞い」と言って、小さな花の鉢植えを渡し、すぐ帰ってしまうのでした(これは女の人にすごく効果のあるやり方ですねえ^^;)

 

 次子ちゃんはうっすら雨の降る中、四郎先生を追いかけました。またしても進化論について話す先生(でもこの説はすごく面白い!笑)。

 

 >>「最新の進化論にパンスペルミア説ってのがあってな。これがSFだ、まるで。生命は宇宙からきたっていうんだ。地球に落ちた隕石にバクテリアがくっついてて、海の生命はそこから生まれた。問題は、じゃ宇宙のバクテリアはどこの産なんだってことだ」

 

 このあと、次子ちゃんは先生に、ある告白をします。例の西源寺くんとの間に子供が出来て堕おろしてしまったこと、その費用については半分彼が出してくれたけど、友達も両親も知らないことで……ふったとかふられたとかいうことも関係ないし、今も好きとかいうのとも違う。>>「心って不思議ね。あんなに好きな人だったのに、全然しらけちゃって……でも子供は可哀想」、>>「あたし、わるい人間だから死にでもしなけりゃきれいになれないのよね」、>>「でも考えてみれば、あたしみたいな進化にはずれたオチコボレが天使になりたいとか翼が欲しいとかいうの、つくづくずうずうしいと思うわ」

 

 四郎先生は言います。>>「天使になったのはその子供だ。おまえ、その子に翼が欲しいんだ」

 

 泣き崩れ、先生に抱きしめられる次子ちゃん

 

 そうだったんですねえ。わたし自身はてっきり、甘えたのお嬢さんが、なんとなく気分的・一時的に人生に絶望っぽいものを感じ、それでなんとなーく死のうとしたとか、(どうせ、そんな大したことない理由だろう)とか思ってたのですが、それは自分でもどうしようもない力によって無気力になったり、何もする気が起きなかったり……しかも誰にも相談もできないだなんて、すごくつらかっただろうなあって思いました

 

 言うまでもなく、こののち次子ちゃんと四郎先生はおつきあいすることになったようで、めでたし、めでたし☆といった形で物語のほうは終わります

 

 まあ、はっきり言ってどーでもいいこととはいえ……進化論的には確か、翼を持つという選択をした生物に腕が生えることはなく、腕を持つという選択をした生物に翼が生えることはない……ということだったと思います(遺伝子がどーたらいうテレビで、昔やってました^^;)

 

 だから、次子ちゃんも「突然変異で」と言ってるんだろうなと思うんですけど、それはさておき、一コマも無駄のない秀逸な短編と思いました♪

 

 では、次の萩尾先生作品としては、『マージナル』を注文したので、2~3日中には届くかな~と思ったり

 

 何故『マージナル』だったかというと、実はわたし、萩尾先生の作品は他に読みたいのが色々あるんですよ(笑)。でも、竹宮先生の『風と木の詩』との関連でいうと、どうしても同性愛のことをテーマにした作品について、先に読んでおかなきゃならない……という事情があるもので(^^;)

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


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