前に触れた徳本水の被災現場は、25日の夕方に完成して一般開放となった。まずは現場に携わった関係者各位にお疲れ様と言いたい。そして物議を醸しているのが、災害仮復旧の現地に木製ガードレールが設置されていて、「最徐行」の看板と、木製ガードレールの道路側に折りたたみのバリケードが置かれているということ。
現地を見た清水洋県議が
>余分なお金はかけず、もし余れば他の災害箇所にお金を回す事が最優先事項
http://www.21styles.jp/diary/next1/index.html#7_26
としてこれに異議を唱えているが、その主張は尤もであり、災害復旧は原型復旧が大原則である。
工事現場を見ていないので何とも言えないが、一般の道路工事においては、路床の上に路盤材(一般には下部にクラッシャーラン、上部に粒度調整砕石)を敷き、その上に舗装をかけるが、延長約60m、幅約6mの車道がすっぽりと抜け落ちたのであるから、そこを一週間足らずで完成させるには、どうしても締め固め、転圧が通常に比べて不足している可能性が大きい。増して路床も抜け落ちたのだから、恐らくトンパック(大型土嚢)で河川との締切をして、その施工性から、おおかた締まりのよい砂を路床材に、あるいは路盤材にも用いているのだろう。
現地に「最徐行」の看板が出されているのは、路盤路床が通常の所よりも締め固めが弱く脆いためであろうし、ガードレールの車道側にバリケードが出されているのは基礎が弱いためであろう。あくまで通行の確保を目的とした仮復旧ゆえに本来の道路に求められる品質を満たしていない点があるのはやむを得ない面があり、それを杓子定規に咎めるのはかえって野暮である。
しかしそれが許されるのは、あくまで応急の仮復旧だからという前提であり、そこに木製ガードレールが設置されるとなると、話はまた変わってくる。それは単に、車窓からの景観ありきの木製ガードレールの手前にバリケードが置かれているという滑稽な図によるものだけではない。
今の長野県土木部のNo.1である原部長は、かつて国土交通省に出向して災害査定官を務めていた。No.2の北原技監は災害事業を総括する河川チームリーダーでもある。木製ガードレールが災害仮復旧の場に適切か否かは現地入りするであろう災害査定官が判断してくれるだろうが、適切でないと判断を下した時、その差額分は県が出費することになり、災害査定官を経験している原土木部長は、ひいては県は面目を潰すのではないだろうか。
長野県は田中康夫知事の肝いりで木製ガードレールの設置計画を作っているが、なかなか進捗が思わしくない。木製ガードレールが似合う風景が案外と限定されているという点があるが、それ以上に木製ガードレール設置が上からのお仕着せでしかなく、現地機関側が木製ガードレールを基本的に歓迎していないという点が大きい。
理由はいくつかあるが、いずれも維持管理上での実務上のものだ。かつて飯山市の国道の事故で木製ガードレールが破損した時、木製ガードレールが保険の対象にならないということが問題になったことがある。単価が高いということは、当然ながら修理代も高くなり、維持修繕の予算枠が限られている現状において、できるだけ設置そのものを避けたくなる。駒ヶ根市の県道の歩道には十年ほど前に設置された今のものとは別タイプの木製の手すり(転落防止柵)があるが、今では腐敗と破損が進み、その手すりには「触らないでください」と書かれた貼り紙がしてあるという笑えない冗談のような話もある。
日本において、公を官だけで担い賄う時代は終わったのであり、その時流をはっきりと読んだ小泉内閣が郵政民営化を打ち出してイギリス的手法で昨年の衆院選に大勝したことがそれを実証した。田中康夫知事もそれを感覚的に読みとっていたであろう一人であり、小泉内閣が衆院解散すると同時に小泉自民の大勝を予言した。しかしその後の合理性のない行動が田中康夫知事の行動心理を物語っている。
長野県では道路や河川で地元の人たちに通常の草刈り等の管理を委ねるアダプト制度が積極的に推進されている。そこには道路や河川の維持管理のコストが大きくなりすぎてしまい、一方でお役所の財布が小さくなり、道路管理者や河川管理者だけでメンテナンスを賄いきれなくなっていることが背景にある。
コストパフォーマンスにおいてCALSという考え方が一般化し、製造建築だけでなくメンテナンスまでトータルでコストと見なすのが当たり前の御時世で、木製ガードレールはメンテナンス面の評価が非常に弱い商品である。おまけに同種の木製ガードレールに比べて倍以上の割高という市場面での問題点があり、市場原理を適用できない商品でもある。
県では折角の知事の肝いりの木製ガードレールが、なかなか設置されずに在庫がだぶついていた。そこへきて今度の災害、田中康夫知事の覚えめでたい北原技監が木製ガードレールを担当する道路チームの担当を動かし、災害現場に木製ガードレールを設置するよう強く求めたのだとされている。そこに経営戦略局、更には田中康夫知事の意思が介在したかは不明だが、意思が介在したとするよりも、上のポストを狙う立場にある北原技監サイドが田中康夫知事や県幹部の歓心を得ようとして取ったスタンドプレイだとする方が無理がない。そうしたスタンドプレイを行う人物はどこにでもいるし、実際そうして出世していく者も多い。
辰野町は同じく被害を受けた岡谷市・諏訪市・下諏訪町と異なり被災の特別措置認定を受けておらず、それでいて施設の被災が多い。つまり今の辰野町は、災害復旧のためのお金がいくらでも必要なのにそのお金が無い状態で、辰野町長は地元の災害対策に追われる中で休む間もなく地元出身の首相秘書官である飯島勲氏などに辰野町への援助の働きかけを行っているという。寸断されている道路がある中で、幹線道路ゆえに急いで復旧した形だけあつらえた国道に不相応な木製ガードレールが設置されていたらどう思うだろうか。地元感情を害するのはもちろん、わざわざ徐行して通過するトラック運転手にとっても失笑のネタでしかない。そして木製ガードレールが田中康夫知事の肝いりの事業であることは県民の多くが知っている。これが、選挙戦さなかの田中康夫知事にとってマイナス効果になることはあってもプラスにはならないことは言うまでもなかろう。
田中康夫知事は7月19日付けの夕刊ゲンダイで尤もらしく木製ガードレールをPRしていた。しかし用途を間違えれば、本来ならば景観を彩るものが却って逆効果になる。想像力さえ働けば難しいことではない。あるいは、そこまで想定の上で木製ガードレールを設置させたのだろうか。
現地を見た清水洋県議が
>余分なお金はかけず、もし余れば他の災害箇所にお金を回す事が最優先事項
http://www.21styles.jp/diary/next1/index.html#7_26
としてこれに異議を唱えているが、その主張は尤もであり、災害復旧は原型復旧が大原則である。
工事現場を見ていないので何とも言えないが、一般の道路工事においては、路床の上に路盤材(一般には下部にクラッシャーラン、上部に粒度調整砕石)を敷き、その上に舗装をかけるが、延長約60m、幅約6mの車道がすっぽりと抜け落ちたのであるから、そこを一週間足らずで完成させるには、どうしても締め固め、転圧が通常に比べて不足している可能性が大きい。増して路床も抜け落ちたのだから、恐らくトンパック(大型土嚢)で河川との締切をして、その施工性から、おおかた締まりのよい砂を路床材に、あるいは路盤材にも用いているのだろう。
現地に「最徐行」の看板が出されているのは、路盤路床が通常の所よりも締め固めが弱く脆いためであろうし、ガードレールの車道側にバリケードが出されているのは基礎が弱いためであろう。あくまで通行の確保を目的とした仮復旧ゆえに本来の道路に求められる品質を満たしていない点があるのはやむを得ない面があり、それを杓子定規に咎めるのはかえって野暮である。
しかしそれが許されるのは、あくまで応急の仮復旧だからという前提であり、そこに木製ガードレールが設置されるとなると、話はまた変わってくる。それは単に、車窓からの景観ありきの木製ガードレールの手前にバリケードが置かれているという滑稽な図によるものだけではない。
今の長野県土木部のNo.1である原部長は、かつて国土交通省に出向して災害査定官を務めていた。No.2の北原技監は災害事業を総括する河川チームリーダーでもある。木製ガードレールが災害仮復旧の場に適切か否かは現地入りするであろう災害査定官が判断してくれるだろうが、適切でないと判断を下した時、その差額分は県が出費することになり、災害査定官を経験している原土木部長は、ひいては県は面目を潰すのではないだろうか。
長野県は田中康夫知事の肝いりで木製ガードレールの設置計画を作っているが、なかなか進捗が思わしくない。木製ガードレールが似合う風景が案外と限定されているという点があるが、それ以上に木製ガードレール設置が上からのお仕着せでしかなく、現地機関側が木製ガードレールを基本的に歓迎していないという点が大きい。
理由はいくつかあるが、いずれも維持管理上での実務上のものだ。かつて飯山市の国道の事故で木製ガードレールが破損した時、木製ガードレールが保険の対象にならないということが問題になったことがある。単価が高いということは、当然ながら修理代も高くなり、維持修繕の予算枠が限られている現状において、できるだけ設置そのものを避けたくなる。駒ヶ根市の県道の歩道には十年ほど前に設置された今のものとは別タイプの木製の手すり(転落防止柵)があるが、今では腐敗と破損が進み、その手すりには「触らないでください」と書かれた貼り紙がしてあるという笑えない冗談のような話もある。
日本において、公を官だけで担い賄う時代は終わったのであり、その時流をはっきりと読んだ小泉内閣が郵政民営化を打ち出してイギリス的手法で昨年の衆院選に大勝したことがそれを実証した。田中康夫知事もそれを感覚的に読みとっていたであろう一人であり、小泉内閣が衆院解散すると同時に小泉自民の大勝を予言した。しかしその後の合理性のない行動が田中康夫知事の行動心理を物語っている。
長野県では道路や河川で地元の人たちに通常の草刈り等の管理を委ねるアダプト制度が積極的に推進されている。そこには道路や河川の維持管理のコストが大きくなりすぎてしまい、一方でお役所の財布が小さくなり、道路管理者や河川管理者だけでメンテナンスを賄いきれなくなっていることが背景にある。
コストパフォーマンスにおいてCALSという考え方が一般化し、製造建築だけでなくメンテナンスまでトータルでコストと見なすのが当たり前の御時世で、木製ガードレールはメンテナンス面の評価が非常に弱い商品である。おまけに同種の木製ガードレールに比べて倍以上の割高という市場面での問題点があり、市場原理を適用できない商品でもある。
県では折角の知事の肝いりの木製ガードレールが、なかなか設置されずに在庫がだぶついていた。そこへきて今度の災害、田中康夫知事の覚えめでたい北原技監が木製ガードレールを担当する道路チームの担当を動かし、災害現場に木製ガードレールを設置するよう強く求めたのだとされている。そこに経営戦略局、更には田中康夫知事の意思が介在したかは不明だが、意思が介在したとするよりも、上のポストを狙う立場にある北原技監サイドが田中康夫知事や県幹部の歓心を得ようとして取ったスタンドプレイだとする方が無理がない。そうしたスタンドプレイを行う人物はどこにでもいるし、実際そうして出世していく者も多い。
辰野町は同じく被害を受けた岡谷市・諏訪市・下諏訪町と異なり被災の特別措置認定を受けておらず、それでいて施設の被災が多い。つまり今の辰野町は、災害復旧のためのお金がいくらでも必要なのにそのお金が無い状態で、辰野町長は地元の災害対策に追われる中で休む間もなく地元出身の首相秘書官である飯島勲氏などに辰野町への援助の働きかけを行っているという。寸断されている道路がある中で、幹線道路ゆえに急いで復旧した形だけあつらえた国道に不相応な木製ガードレールが設置されていたらどう思うだろうか。地元感情を害するのはもちろん、わざわざ徐行して通過するトラック運転手にとっても失笑のネタでしかない。そして木製ガードレールが田中康夫知事の肝いりの事業であることは県民の多くが知っている。これが、選挙戦さなかの田中康夫知事にとってマイナス効果になることはあってもプラスにはならないことは言うまでもなかろう。
田中康夫知事は7月19日付けの夕刊ゲンダイで尤もらしく木製ガードレールをPRしていた。しかし用途を間違えれば、本来ならば景観を彩るものが却って逆効果になる。想像力さえ働けば難しいことではない。あるいは、そこまで想定の上で木製ガードレールを設置させたのだろうか。