信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

「はるさめ問題」の現在

2006-06-26 22:56:12 | Weblog
県庁周辺が知事選モードになる中で、連合らが自民党の村井仁氏の擁立を決め、時事通信や共同通信が伝えるところによると、村井氏もそれに応じるようである。擁立も出馬も当事者が決めること、それを県民不在だと言ったところで、賽は投げられる。長い間、反・自民(正確には親・社会党)を続けてきた県職労が今度の連合の決定についてどのような対応を取るのか些かの関心があるが、今、県職労は「はるさめ問題」における関係者への不当な人事処分に関する追求を進めている。

「はるさめ問題」の概要は以前に述べたので省略するが、県職労は当時の県人事担当課長らを事情聴取し、当時の食品環境水道課の課長であった佐藤守俊氏(現在は伊那保健所のチームリーダー)らへの処分が不当であったことについての証拠固めを行っており、現在ほぼ外堀が埋まった状態になった。論点は知事らへの報告に齟齬があったかどうか、当時の衛生公害研究所長との職権の問題の大きく2点であり、どちらの点でも当時の実態が浮き彫りになりつつある。
この問題は県民クラブの柳田清二県議が強く関心を抱いており、方向性が決まってくれば、県職労との親密度から竹内久幸県議も田中康夫知事をはじめ県当局への追求を激しくするだろう。五輪招致疑惑を巡る委員会の問題、田中康夫知事の世田谷の邸宅の借金返済問題など、田中康夫知事をめぐる疑惑は数多いが、あるいはこれが、来る知事選への一つの投石になるかもしれない。

ところで過日、いかにもという如何わしい名前の組織が田中康夫知事の車座集会開催を妨害したとの報道があった。その翌日には忘れ去られたが、一昨年の9月に県庁を爆破すると脅迫があった時と類似している。その頃に県警の関係部局の一端にいた職員に聞いたところ、警察内部ではその日のうちにデマ論が大勢を占め、田中康夫知事の関係者による演出ではないかとの噂もあったが、重要案件でもなく、そのまま立ち消えになったという。

迷走する浅川治水案

2006-06-26 22:46:14 | Weblog
浅川の治水問題は4年前の知事選で大きな話題だったが、あれから4年、県側から現実性のない治水案が提示されるのみで具体的進展が何も無いまま時だけがいたずらに過ぎた。

治水対策では「基本高水」と呼ばれる想定される洪水の流量に対応できる対策を立てることが求められ、基本高水の数値は降雨量や流量などの水文資料をもとに確率処理計算を行って求められる。浅川の治水対策では、ダム計画による公表された基本高水の数値がある。この数値を守ろうとすると、ダム以外の治水の方策がどれも現実性を帯びなくなる。この数値を下げようとすると、数値を公開している以上、下げるための合理的な説明が必要になる。つまりダム計画を中止するためには、①基本高水の数値を変えずにダム以外の現実的な代案を出すか、②基本高水を下げるか、③財政を理由に中断休止するか、の3つしか方法が無い。
浅川では脱ダム宣言以降、①②の両面で検討が行われたが、結論が出ないまま知事選を迎えて議論はいったん中断され、田中康夫知事は①の方針を公言し、そして再選された。因みに長野県治水・利水ダム等検討委員会で出されたのは②であり、知事選の直前には田中康夫知事と親しい同検討委員会委員の五十嵐敬喜氏らから③の主張も出されていた。
そして第二期の田中県政では、②について流量観測を行って再検証を行うと共に、①が進められたが、なかなか答えが出ず、ようやく出されたのは言葉遊びで馬鹿にしているとしか思えなかった遊水地案に堰堤案。河川内か河川外かは大きな問題ではなく、それが代案ならじゃあ脱ダム宣言は何だったのかということで、この代案は大きな失笑と失望を招き、脱ダムの代案はダムだと揶揄された。そして現在は放水路案になっているが、これもまた現実性に乏しく、県では②との組み合わせを持ち出した。
これまでは②というと、100年確率という看板は固持したまま、ぶっちゃけて言えば数字の操作による誤魔化しだけで基本高水を下げようと工作をしていたものが、それも巧くいかず、「100年確率」の看板を外して治水確率を下げてその上で住民の理解を得ようというもので、治水確率を下げることの是非はあれど、本来あるべき治水対策の姿に5年にしてようやく戻った感がある。これは同時に、カバー率論争に代表されるかつて検討委員会委員であった脱ダム学者達の理論、机上の空論が流域住民の前に実践面で敗北したことを意味している。

基本高水論争に関しては遅まきながら治水の原点に戻ったかに見える浅川治水だが、まずはなぜ基本高水の確率年を下げるのか、という説明がなされていない。国との交渉、流域との交渉が重ねられたが、お互いにその内容を伏せたまま誤魔化しの説明をしていたことも明るみになり、国と流域住民の双方から県当局への不信感は増すばかり。県庁ホームページに踊る関連記事の見出し文字も中身を見れば空しいばかり、やっていることはまさに詐欺である。
脱ダムありきでの基本高水引き下げでは本末転倒で住民の理解を得られないだろうし、そもそも脱ダムが無ければ浅川ダムはほぼ完成して一昨年の浅川洪水被害も発生しなかったのでは、と思っている地元民もいる。またこの間には、県の事務方に対する不満もある。浅川を初めとする脱ダムアフターケア組織が経営戦略局内にあるが、ただの窓口、いや調整、いやもっと言えば丸投げしか果たしておらず、現在の県の河川チームリーダー(課長)である北原土木技監も、浅川改良事務所長も、知事の顔色を伺うばかりで共に流域住民のことを見ていない。

これまで事実上のペンディングが続いてきた浅川問題だが、田中康夫知事が知事続投宣言をし、北陸新幹線建設問題が大きくクローズアップされている昨今、再選を果たしたところで新幹線問題が関わっているので県内だけの問題ではなくなっており、浅川問題をこれ以上ペンディングは出来ないだろう。土地収用法を行おうにも地元の鷲沢市長を丸め込むことは不可能に近く、専管としている青山出納長もいつまで県庁に留まるのかは不明だ。つまり田中康夫知事は、知事選出馬を宣言したからには、今までのように浅川問題から逃げ回ることは出来なくなる。しかし、そこまでの覚悟があっての出馬宣言かというと、とてもそうは見えない。

部落解放同盟への特別措置廃止について

2006-06-26 22:22:04 | Weblog
昨今、長野県庁ホームページを飾るようになったのが、解同(解放同盟)への特別措置の廃止というもので、大阪などで問題になったこの案件で長野県は全国に先駆けて取り組んでいますよ、という田中康夫知事のいつものPRだ。田中康夫知事の公私混同、県庁広報の私物化は今に始まったことではない。
このPRは田中康夫知事の功績として最近になって語られていることが多いが、これについて語られるときにあまり触れられない点がある。
PRをしている県庁ホームページにもきちんと断りがあるように、平成14年度に国による地域改善対策特別措置法の期限が終了したことが一つの大きなステップになっている。そして、同措置が平成14年度に終了することを見越して、また事業進捗を見越して、長野県では吉村県政末期から同和対策予算枠の縮小をソフトランディングで進めてきていた。実際、県単独費の同和対策枠はオリンピック開催の頃に廃止され、それらは一般予算の一部になり、特別扱いは無くなった。
このPRで疑問なのは、事務方で粛々と進めてきたことを何故今になって功績だと掲げているのかということである。選挙へ向けての事前活動だ、あるいは長年解同に否定的だった共産党への秋波のメッセージとする見方もあるかもしれぬが、これが田中康夫知事によって劇的に進められたものでないことは共産党関係者も承知のことであるし、実際のところは選挙がどうということよりは、田中康夫知事によるいつものPRだということだろう。とはいえこの時期に出されたことには、選挙に向けて共産党が田中康夫知事を支持しやすくするための口実づくりという側面があるやもしれぬ。

田中康夫知事の功績として、かつては脱ダム、脱記者クラブ、住基ネット問題への取り組み、車座集会、県政への関心を高めたことなどを挙げる声が多かったが、脱ダムで浅川問題が全然解決しない、車座集会で集うのは動員ばかり、出された意見は無視される等々、メッキが剥がれ落ちており、それに加えて住民票移転問題、山口村越県合併問題、しなやか会饗応、百条委員会などの失策・失態・不祥事が相次ぎ、最近はそれらを功績にあげる声はほとんど聞かれなくなった。
あと余談として、田中康夫知事とその支持者は、かつて知事選を戦った相手の池田元副知事が吉村夫人の勧めで改名したことを揶揄していたが、やはり同じく吉村夫人の勧めで改名した青山篤司氏が出納長になり、田中県政のキーマンとなってからは、その話がほとんど出なくなった。つくづく、田中県政は立派な吉村継承者である。それも、しなやか会をめぐる暗黒な数々など影の面をより強く継承している。

混迷化?の県知事選挙

2006-06-26 22:09:13 | Weblog
8月6日の県知事選挙へ向けて、現職の田中康夫知事が支持率を回復する中で立候補表明をした。
これまでの動きについては様々な検証があるが、概ねは、反田中勢力が県民不在の中で暴走して擁立しようとする候補者を選びあぐね、それを見ていて呆れた県民が現職支持率を押し上げている、というものである。また、支持率最低を記録した現職と同様に県議会・市長・連合・その他今回反田中に動いた旧態依然な人達もまた県民に疎まれ嫌われており、現職の支持率の低さにばかり目を取られている反田中勢力がそれに気づいていないというものもある。あるいは、現職が得意とする二項対立論の世界にわざわざ乗ってしまっている馬鹿な反田中勢力の人達という見方もある。
選挙は政治闘争でもあるのだから、様々なエゴが出てくるのは仕方が無いこととはいえ、さすがにここまでの醜態に県民の多くは呆れている。

実は混迷化などしていないのだ。2002年の選挙の時と構図は同じで、現職候補、旧態依然色の強い反田中組織候補、第三候補の対立という図式があり、2002年の時には第三候補であった花岡信昭氏が最も拙い方法で辞退をしてしまったので、花岡氏が選挙戦から離脱して長谷川陣営と政策協定を結んだ時点で勝負あったという見方が多い。花岡氏の出馬辞退の真相は追撃メルマガ等でも出ているが、実態は選挙工作でなく単純に母親の病気によるものである。追撃メルマガでは大袈裟に書かれているが、当時から長野県政ウォッチャーの間では知られていた事実である。ただし、長谷川陣営と政策協定を結んだのは、まず間違いなく長野市長の圧力によるものであろうし、その結果が長谷川票に結びつかなかったことから学んだことが生きているのか、長野市長は松本市長擁立断念の後、県知事選挙について派手な動きをしていない。
反田中の一本化を唱えているのも然り、一本化こそは現職陣営の二項対立論の罠にのこのこ嵌ってしまう下の下の策であるのに、なんとかの一つ覚えのように一本化を唱える愚か者が何と多いことか。反田中勢力とされる人達は本当に現職を引き摺り下ろしたい、選挙に勝ちたいのだろうか。政治的思惑等で、内心では現職に再選してもらいたくてわざとこうしたオウンゴールのような動きをしているのではないか、とすら思えてしまう。
支持率が低い現職よりも先に、こうした愚か者達に長野県の政治権力の場を去ってもらいたい、と県民がついつい思ってしまうのも無理はない。

それはともかくとして、2002年の選挙の間、彼らは何を見ていたのだろう。やっていることがあまりにも稚拙に過ぎる。
4年前の選挙当時の様子を記した記録はたくさん残されている。今からでも復習してはどうだろうか。8月5日にはびんずる祭りほか県内各地でお祭りが開かれるが、この分では知事選のお祭りは白けたまま終わりを迎えそうだ。

政治を描写する漫画と政治に媚びる漫画

2006-06-26 22:01:30 | Weblog
ここ20年ほどの日本の漫画業界は拡大を続けており、今では50代から下の戦後世代の多くが、かつての日本人が文学書や歴史物語を読むのと同じような感覚で漫画や小説を読んでいる。麻生外務大臣が大の漫画好きという話は有名だ。現代日本の漫画文化は、単に雑誌や単行本のみならず、アニメ、キャラクターグッズ、ゲームなど多岐にわたり、生活の一部に溶け込んでいると言っても過言ではない。
かつて、漫画は少年少女の、そして一部の大人だけのものだったが、一般的な表現手段となったことにより、ジャンルが大きく広がりを見せ、教育系やスポーツや恋愛に始まって、アドベンチャー、推理物、サスペンス、その他専門性の高い分野まで漫画に描かれるようになり、最近では葬儀屋の漫画まである。

そうした中で一つの流れとしてあるのが、いわゆる政治物の漫画で、古くから政治風刺的な漫画は存在していたが、最近は一つのジャンルとして確立した趣がある。大きくは2通りで、ノンフィクション系の4コマ漫画と、フィクション系のストーリー物であり、前者で成功したのは業田良家『シアターアッパレ』、後者で成功したのは弘兼憲史『加治隆介の議』であろうか。2人ともに人間ドラマ、それも内面の心理を描く作品が多かったので、向いていたともいえる。
一方で賛否が分かれるのは前川つかさ『票田のトラクター』や最近またコンビニ等に出回り始めている『クニミツの政』であろうか。これらは民主党にべったりとしすぎていて、連載当時はそこそこの人気を誇っていたが、民主党が菅代表時代以降パッとしなくなると過去の遺物になった。
政治風刺は漫画の持っていた分野の一つであるが、一政党にべったりと結びついての大衆漫画というのは政治風刺とは趣を異とするものである。スポンサーの民主党はそれで良いのかもしれないが、前川つかさという漫画家の評価は前述の作品以降、ばったりと下落してしまった。かつての前川つかさ作品といえば、講談社・竹書房などで連載のあったように主人公の素朴さ、純朴さを売りにしていたところがあるが、現在はそうした古巣からもお呼びがかからなくなってしまっている。

日本人的な美的感覚で、政治は穢れ物という印象を持つ人は少なくない。政治ジャンルへの挑戦がおかしいのではなく、今回は民主だったが、現在の自民・民主ほかの政党に阿り媚びたことが、そうした結果をもたらしたのだ。前川つかさ作品は個人的に好きであった。これもまた自業自得とはいえ、一抹の寂しさを感じる。