SOMETUKE

二匹の猫、クロとウォルターと飼い主の
日常。ひとり言。

戦国三姫

2007-02-19 11:58:09 | Weblog
信長の妻、濃

尾張の隣国、美濃のマムシと呼ばれた斉藤道三の娘。お前が男だったらのう、、と言われたほど知略、戦略に長けていた。”隙あらば、信長の首を掻っ捌いてこい!”と言われての政略結婚。
 夫婦仲睦まじく、表へでしゃばらづ、信長の相談相手になる才女。石女(子供ができない)。

秀吉の妻、濘々

信長軍の足軽頭の娘。秀吉が惚れた。桟敷一枚の上で結婚式を挙げた。濃姫にして才女と言わしめた。秀吉が出世して若い側室を持てるようになると、自分に引きつめるため?に政治に明るくなろうと勤める。良き相談役。石女。

家康の妻、鶴姫(俗称)

今川義元の長女。隣国同士の政略婚。世の中の動きには目をむけづ、自分本位に振舞う。思い通りにならないと、癇癪をおこす。夜叉になる。家康も近づかなくなる。子供を一人生んだが(信康)これも見通しのきかない癇癪持ち。器量無し。信長の娘と結婚、その身の回りの世話係の従女を刀にかける。
 家康に愛想をつかされた鶴姫は、家臣と付議不通(不倫)、戦敵である武田方と密通する始末。家康は手を焼いていただけだが、親類であり右府大臣になった信長の意見(命令)によって、妻と息子を手にかける。

家康の第二の正妻、朝日姫、秀吉の妹。

40歳にして、20年間連れ添った夫と離縁して輿入れ。このとき秀吉は関白。

28巻中まだ11巻目、時間を見つけては読みふけっています。

華陽院

2007-02-08 11:13:21 | Weblog
華陽院(かやいん) - 徳川家康の祖母

戦国時代、街道一の美女と言われ、足軽の娘が政略として、戦利品として、5回も結婚していた。その娘”於大”(家康の母)

”於大はのう、予のためには義母華陽院の腹をいためた娘ではないか。予にとっては敵の娘で、しかも義妹。いかに生くるためとはいえ、わが妹を娶るというは、、、”家康の父の言葉。

信長八歳、秀吉六歳。中国は明時代。ヨーロッパではチャールズ五世が、フランシス一世に開戦を宣してフランスに侵入し、ヘンリー八世はアイルランドの王位を得た西暦1541年。

昭和25年4月から42年4月まで、新聞に掲載されたものの文庫本。
足掛け18年間、17482枚の原稿。小説としては世界最長。

ブックオフで10巻までは連続で買えましたが、あとは飛び飛び、24巻まで確認しました。今は6巻目を読んでいます。