富田氏メモ、靖国部分全文
私は或る時に、A級が合祀されその上松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松岡の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから、私はあれ以来、参拝していない それが私の心だ
昭和天皇戦後8回参拝、75年11月が最後。
秋仁天皇も、89年の即位以降一度もない。
富田さん、戦後三代目の宮内庁長官。
松岡ー松岡洋右元外相、A級戦犯で合祀されている。
白取ー白鳥敏夫元駐伊大使、同じくAで合祀。
筑波ー筑波藤麿(故)靖国神社宮司
松平ー松平慶民(故)最後の内宮大臣
子 -松平永芳.78年にA級戦犯合祀に踏み切った当時の靖国神社宮司。
合祀を差し止め続けた筑波宮司の長男の談
”父から天皇の気持ちについて聞いた事は無い。父は「B,C級戦犯は被害者なのでまつるが、A級は戦争責任者なので後回しだ。自分がいきているうちは合祀は無いだろう。」と言っていた。”
日経新聞がトップ記事に持ってきて、3面に渡って詳しく取り上げている。
NIKKEI NETで検索すれば、社会面で概略は知る事が出来ます。
天皇陛下のお言葉、意志
日本に於いては、絶対であるように思えます。
1936年の”2.26事件”
昭和天皇が激怒して言われた。”私がみずから近衛師団を率いて鎮定に当たる。”
この言葉で4日で治まった。
1929年、天皇の叱責を受けた田中義一首相はただちに辞職している。
”輔弼(ほひつ)の者の進言に従う”
自らを立憲君主と規定し、上記を信条としたため、自分の考えを表明することは自然と抑制された。ひいきの力士さえ明かさなかった。
88年9月19日 吐血
89年1月 7日 崩御
中国、韓国が靖国問題で騒いでいるが、ただの外馬だ。中身は全く理解していない。一応外圧なのだが、それとは別に、日本人としてもう一度真剣に考え直そうと思う。
このメモは、昭和天皇のお言葉ではなく、99パーセント徳川侍従長の言葉であることが、詳しい方のブログで書かれている。
私は或る時に、A級が合祀されその上松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松岡の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから、私はあれ以来、参拝していない それが私の心だ
昭和天皇戦後8回参拝、75年11月が最後。
秋仁天皇も、89年の即位以降一度もない。
富田さん、戦後三代目の宮内庁長官。
松岡ー松岡洋右元外相、A級戦犯で合祀されている。
白取ー白鳥敏夫元駐伊大使、同じくAで合祀。
筑波ー筑波藤麿(故)靖国神社宮司
松平ー松平慶民(故)最後の内宮大臣
子 -松平永芳.78年にA級戦犯合祀に踏み切った当時の靖国神社宮司。
合祀を差し止め続けた筑波宮司の長男の談
”父から天皇の気持ちについて聞いた事は無い。父は「B,C級戦犯は被害者なのでまつるが、A級は戦争責任者なので後回しだ。自分がいきているうちは合祀は無いだろう。」と言っていた。”
日経新聞がトップ記事に持ってきて、3面に渡って詳しく取り上げている。
NIKKEI NETで検索すれば、社会面で概略は知る事が出来ます。
天皇陛下のお言葉、意志
日本に於いては、絶対であるように思えます。
1936年の”2.26事件”
昭和天皇が激怒して言われた。”私がみずから近衛師団を率いて鎮定に当たる。”
この言葉で4日で治まった。
1929年、天皇の叱責を受けた田中義一首相はただちに辞職している。
”輔弼(ほひつ)の者の進言に従う”
自らを立憲君主と規定し、上記を信条としたため、自分の考えを表明することは自然と抑制された。ひいきの力士さえ明かさなかった。
88年9月19日 吐血
89年1月 7日 崩御
中国、韓国が靖国問題で騒いでいるが、ただの外馬だ。中身は全く理解していない。一応外圧なのだが、それとは別に、日本人としてもう一度真剣に考え直そうと思う。
このメモは、昭和天皇のお言葉ではなく、99パーセント徳川侍従長の言葉であることが、詳しい方のブログで書かれている。