SOMETUKE

二匹の猫、クロとウォルターと飼い主の
日常。ひとり言。

意志

2006-07-20 09:48:26 | Weblog
富田氏メモ、靖国部分全文

私は或る時に、A級が合祀されその上松岡、白取までもが

筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが

松岡の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている

だから、私はあれ以来、参拝していない それが私の心だ

昭和天皇戦後8回参拝、75年11月が最後。
秋仁天皇も、89年の即位以降一度もない。

富田さん、戦後三代目の宮内庁長官。
松岡ー松岡洋右元外相、A級戦犯で合祀されている。
白取ー白鳥敏夫元駐伊大使、同じくAで合祀。
筑波ー筑波藤麿(故)靖国神社宮司
松平ー松平慶民(故)最後の内宮大臣
子 -松平永芳.78年にA級戦犯合祀に踏み切った当時の靖国神社宮司。

合祀を差し止め続けた筑波宮司の長男の談

”父から天皇の気持ちについて聞いた事は無い。父は「B,C級戦犯は被害者なのでまつるが、A級は戦争責任者なので後回しだ。自分がいきているうちは合祀は無いだろう。」と言っていた。”

日経新聞がトップ記事に持ってきて、3面に渡って詳しく取り上げている。
NIKKEI NETで検索すれば、社会面で概略は知る事が出来ます。

天皇陛下のお言葉、意志

日本に於いては、絶対であるように思えます。
1936年の”2.26事件”
昭和天皇が激怒して言われた。”私がみずから近衛師団を率いて鎮定に当たる。”
この言葉で4日で治まった。
1929年、天皇の叱責を受けた田中義一首相はただちに辞職している。

”輔弼(ほひつ)の者の進言に従う”
自らを立憲君主と規定し、上記を信条としたため、自分の考えを表明することは自然と抑制された。ひいきの力士さえ明かさなかった。

88年9月19日  吐血
89年1月 7日  崩御

中国、韓国が靖国問題で騒いでいるが、ただの外馬だ。中身は全く理解していない。一応外圧なのだが、それとは別に、日本人としてもう一度真剣に考え直そうと思う。

このメモは、昭和天皇のお言葉ではなく、99パーセント徳川侍従長の言葉であることが、詳しい方のブログで書かれている。

米関係者に

2006-07-19 15:12:43 | Weblog
韓国紙.中央日報は18日、ソウルの外交消息筋の話として、北の総書記が今月始めに訪朝し、極秘に会談した米国関係者に”中国は信じられない。”と述べ、友好国中国の指導部に対する不満を吐露していたと報じた。

”中国は決定的な瞬間に我々を助けてくれない。”

今年一月に訪中した際、胡主席に対し、米国の金融制裁解除に向けた努力を要請したにもかかわらず、中国側が積極的な対応をしなかったことなどが不満の原因だとしている。

日経新聞には、載っていなかった。

ゴキちゃん

2006-07-17 09:00:43 | Weblog
朝一で、昨夜飲んだ缶ビールの空き缶の処理をしようとゴミ箱へ。
ペキペキと缶をつぶす。中からカサカサという音。”なんだ??”まだ、頭がボケている。
小さく潰すため、最後にカンの上下に思いっきり圧をかける。何かが、飲み口側を押さえる手に触れる。
思わず、手を離す。飲み口から”黒くて長いひげの奴”が這い出してくる。と、同時に飛び立つ!。
ゴキに目を覚まさせてもらう。少し、トホホ、、。

今週いっぱい雨模様。週末に梅雨明け宣言があればいいほうか。

酷暑日

2006-07-14 09:06:22 | Weblog
朝、8時のラジオのお天気コーナーで、現在の気温は29.9度です。あっ、30.0度になりました。、、、こまめな給水、熱中症、強い日差し、、、。35度超えに注意を促がしていました。

先日見たテレビ番組
迷惑駐車は消えたか?新制度の1ヶ月を検証
このようなタイトルだったが、後半部分に、東大阪の公務員が目先給料がほとんど上がらない見通し(現在月60万)だから、退職して駐車場会社を起した様子が放映されていた。600万台分不足していると言う駐車場。幹線道路沿いの空き地を、所有者と交渉して借り上げる。今回の場合は月25万円で借り、売り上げ見通しは55万円。整地、料金清算機を取り付ける業者の予測は、月の売り上げ22万円。
人々に充分に認知されていないと言え、オープン3日間の売り上げを集計。
なんと、たったの8000円。一ヶ月10万円にも満たない事になる。

公共事業、第三セクター、、。役人の見通しの甘さを、自分にとって都合の良い数字を勝手に作り出す様を垣間見た気がしました。
この人は、自腹を勝手に痛めるだけだから関係ないのですが!!

七夕

2006-07-06 10:33:29 | 雑学
「織姫・彦星の二星伝説」
私たちがよく知っている、織姫と彦星の物語、その発祥は中国(晋唐の時代)にあり、日本には奈良時代に伝わってきました。

天帝の娘である織姫(おりひめ)は天の川の東に住んでおりました。花の年頃が過ぎてゆくのも知らぬげに機(はた)ばかり織っているので、天帝はこの織姫を不憫に思い、河の西に住んでいた牽牛星(ひこぼし)の許に嫁入りさせましたが、その後織姫がまったく機織りをしなくなってしまいましたので、天帝は怒り、二人を天の川の東西に別れさせました。

ただ、年に一度、七月七日の夜にだけ、鵲(かささぎ)が羽をひろげた橋を渡って逢うことを許されたのです。

旧暦の七月七日は、今年の場合7月31日です。明日は雨模様ですが、31日は晴れるといいですね。