人は集めたがるものである。カラスや犬がゴルフボールやキラキラ光るビー玉を集めるので、集めることは人だけがすることではありません。人と言っても女性よりも、圧倒的に男性の方が何やかにやと集めます。どうして男性が狂ったようにものを集め、集めることに凝るのでしょうか。男性に絶対できないことは「子を産む」ことです、それができない寂しさ空しさを埋め合わせるためだと言う人もいます。死の恐怖におびえるのは男性の方で、女性はあきらめがいいのも命の連続性を感じているからです。男性の方がどうして集めたがるのか皆様はどのようにお思いになりますか。
集めるのは、形のある物ばかりではなく、形のないものもある。
物も意味のある物、役に立たない物、生きている犬や猫などの動物、甲虫、クワガタ虫、蝶などの虫、サボテン、蘭などの植物、ガールフレンド、ボーイフレンドなどの人まで様々です。意味のない、役に立たない物も集める、消しゴムの消しクズ、髪のフケ、各国のトイレットペーパー、胆石、膀胱結石、有名人の捨てた物(タバコの吸殻、コーヒーの飲み残しなど)さまざま。そして音、風俗、しぐさ、言葉、におい、写真やビデオなどの映像など形のないものもさまざまです。
物の収集癖が高まると「ごみ屋敷」となる。「ごみ屋敷」としてしまうのは、ごみを集めるのが、本人は気がついていないけれど「生きがい」となっています。
集め方も全般と専門に分かれます、例えば絵画であればいいという集め方と西洋絵画の印象派に限るという集め方、切手も切手ならなんでもいいという集め方と絵画・国別・テーマ別に集める。
いずれにせよコレクターが美術館、博物館、資料館、辞書、本等を作るという側面もあります。「コレクターが文化を作り、文化がコレクターを生む」とも言えます。
コレクターの集める心理は何でしょうか。
集めたものを自分で喜ぶ人、苦労して時間とお金を使って集めたのだという達成感とその時の思い出にひたる人、そしてその集めたものを自分だけ楽しんでいる人、人に見せて喜ぶ人に分かれます。
「人生読本・コレクション 河出書房新書」昭和56年(1981)刊に次のように書かれています。
「集めるということとそろえるということは違うことで、この老人のように、集めることにしか興味がなくそろえることに無関心という人は、あんがい多いかもしれない。そして、集めるだけのタイプの多いときは、世は乱調で、そろえたり、ととのえたりすることが
流行(はや)るようになると、静かになるのかもしれない。しかし、乱調の美というものもあって、私などは、この老人が好きなのである。」金子兜太。
「何よりコレクターは、何でも集める能力を持っているのだ。ある者は、キャビネット一杯のあらゆる種類のコカ・コーラのビンを収集し、また他の者は、フォードのラディエーターを年度別に整理、展示をするくらいなのである。普通の人がごみくずとみなすものが、コレクターにとっては珍重すべきものとなる。」
「収集に関するパイオニア的な論文は、1922年に、フランス人心理分析学者アンリ・カデート博士が書いたものである。彼は、収集には4つの潜在的動機があると結んでいる。つまり、所有の必要性、自発的行動の必要性、自己増進の衝動、そして分類癖である。」「すべてのコレクターに共通する特色があるとすれば、それは自分自身を喜ばせようとする願望であり、自分が支配する物のユニークな世界を創り出すことである。」
「収集中毒は、麻薬中毒と同じで、一たんくせになると容易には抜け出せないものである。」「文化はコレクションを作り、コレクションは文化を創る。コレクション本能がなければ、美術館も存在しえない。」カールE・マイヤー、小沢善雄訳。
『コレクターとしての「情熱」こそが、規模の大小を問わず、すべてのコレクションに人を駆り立てる原動力なのです。時には愚かしく、時には児戯にひとしく、そして時には、狂気とも見える「情熱」こそが、まさに、コレクターを駆り立てる原動力なのです。』長谷川公之
集めるのは狂気の情熱が駆り立てるのですね。
日本のコレクターで思い出すのは、漫画家・アニメーション作家の横山隆一(1905~2001)で高知市の「横山隆一記念まんが館」の珍コレクションです。例えば、名馬ハイセーコーの毛、マンモスの体毛、王選手のユニフォーム、トキワ荘水道の蛇口、川端康成の胆石など面白いです。
集めるのは、形のある物ばかりではなく、形のないものもある。
物も意味のある物、役に立たない物、生きている犬や猫などの動物、甲虫、クワガタ虫、蝶などの虫、サボテン、蘭などの植物、ガールフレンド、ボーイフレンドなどの人まで様々です。意味のない、役に立たない物も集める、消しゴムの消しクズ、髪のフケ、各国のトイレットペーパー、胆石、膀胱結石、有名人の捨てた物(タバコの吸殻、コーヒーの飲み残しなど)さまざま。そして音、風俗、しぐさ、言葉、におい、写真やビデオなどの映像など形のないものもさまざまです。
物の収集癖が高まると「ごみ屋敷」となる。「ごみ屋敷」としてしまうのは、ごみを集めるのが、本人は気がついていないけれど「生きがい」となっています。
集め方も全般と専門に分かれます、例えば絵画であればいいという集め方と西洋絵画の印象派に限るという集め方、切手も切手ならなんでもいいという集め方と絵画・国別・テーマ別に集める。
いずれにせよコレクターが美術館、博物館、資料館、辞書、本等を作るという側面もあります。「コレクターが文化を作り、文化がコレクターを生む」とも言えます。
コレクターの集める心理は何でしょうか。
集めたものを自分で喜ぶ人、苦労して時間とお金を使って集めたのだという達成感とその時の思い出にひたる人、そしてその集めたものを自分だけ楽しんでいる人、人に見せて喜ぶ人に分かれます。
「人生読本・コレクション 河出書房新書」昭和56年(1981)刊に次のように書かれています。
「集めるということとそろえるということは違うことで、この老人のように、集めることにしか興味がなくそろえることに無関心という人は、あんがい多いかもしれない。そして、集めるだけのタイプの多いときは、世は乱調で、そろえたり、ととのえたりすることが
流行(はや)るようになると、静かになるのかもしれない。しかし、乱調の美というものもあって、私などは、この老人が好きなのである。」金子兜太。
「何よりコレクターは、何でも集める能力を持っているのだ。ある者は、キャビネット一杯のあらゆる種類のコカ・コーラのビンを収集し、また他の者は、フォードのラディエーターを年度別に整理、展示をするくらいなのである。普通の人がごみくずとみなすものが、コレクターにとっては珍重すべきものとなる。」
「収集に関するパイオニア的な論文は、1922年に、フランス人心理分析学者アンリ・カデート博士が書いたものである。彼は、収集には4つの潜在的動機があると結んでいる。つまり、所有の必要性、自発的行動の必要性、自己増進の衝動、そして分類癖である。」「すべてのコレクターに共通する特色があるとすれば、それは自分自身を喜ばせようとする願望であり、自分が支配する物のユニークな世界を創り出すことである。」
「収集中毒は、麻薬中毒と同じで、一たんくせになると容易には抜け出せないものである。」「文化はコレクションを作り、コレクションは文化を創る。コレクション本能がなければ、美術館も存在しえない。」カールE・マイヤー、小沢善雄訳。
『コレクターとしての「情熱」こそが、規模の大小を問わず、すべてのコレクションに人を駆り立てる原動力なのです。時には愚かしく、時には児戯にひとしく、そして時には、狂気とも見える「情熱」こそが、まさに、コレクターを駆り立てる原動力なのです。』長谷川公之
集めるのは狂気の情熱が駆り立てるのですね。
日本のコレクターで思い出すのは、漫画家・アニメーション作家の横山隆一(1905~2001)で高知市の「横山隆一記念まんが館」の珍コレクションです。例えば、名馬ハイセーコーの毛、マンモスの体毛、王選手のユニフォーム、トキワ荘水道の蛇口、川端康成の胆石など面白いです。