社会的弱者への視座
弱者の優先的選択(カトリック社会教説)というテーマは
私のライフワークかも知れぬ。
それは
正義と平和の実現
古色蒼然たる任侠の道(今日の任侠と称される暴力団の皆さんは、かっこつけ贅沢道にしか見えないです)
大岡越前
ウルトラマン、スーパーマン
バットマンの顕現である。
では具体的な
人生の不条理への問いとは何か。
なぜ正直な司馬遷が不遇な官刑に処せられたか
なぜ天下国家に尽力した西郷隆盛が、最終的に謀叛人となり靖国神社に祀られていないか
なぜこの国の同和問題は解決しないか
なぜユダヤ人は差別されたのか
といった本質的な問いである。
しかし
それは
当事者か当事者的な境涯に直面せねば
やはり
本気で解決しようという気概、気迫には
繋がらない。
つまり
昔の共産党の人々のように
本当に貧乏でなければ
貧困を解決するという気迫は生まれない。
最近の共産党の先生方のように
高い給料を貰い
福本イズムも知らず
美しい服や美食に明け暮れて
かっこつけ路線へ堕落した人々が
貧困問題を解決する意思など
生まれようがないのだ。
私も
悲惨な人生を歩み
清掃業や介護業
土建業の下っ端(がら出し)
鳶職の手元などをした結果
人生の問いと
解決の視座への
激情に近い義侠心が生まれ
それが生きる原動力になっている。
トイレ掃除をしている無能なおじさん
という視線を感じることは
多々あるし(それは図星である)
トイレにいろんなごみを落としていく人々が絶えないのは
清掃員をだらにしているのである(弁解の余地なく差別である)。
では
どうすれば良いか。
この不条理な暗黒世界にあって
「ジョーカー」のように
ダークサイドに堕ちてピカレスクパワーを得るのか。
アダム・ヴァイスハウプトのように
イエズス会を否み
イルミナティーを設立するのか。
否である。
奇蹟やしるし
超自然のエビデンスや
個人の超越的なカリスマに
全てを委ねるスーパーマン的なメシア待望も
悪のヒーロー
デビルマン
ジョーカーにピカレスクロマンを抱き
破滅的な情動に駆られるのも
共に
誤りである。
一介の民百姓が
天下国家を憂い
少しでも希望の光を照射したいと思うならば
足下の地味な営みを
真面目に行う以外にはない。
それが
スターであり
暗夜に
小さな光を発する星なのである。
完
高橋記(水曜日生まれ)