丘は花ざかり 藤山一郎
人間の為すことは
神仏から観れば
しょぼくれた愚かなふるまいに
過ぎません。
本会の
花咲く旅路プロジェクトも
視覚にハンデのある方にとっては
意味なしです。
すなわち
本当に花を咲かせたいのは
現世の花でなく
来世、彼岸で観るであろう
美しい花であります。
完
高橋記(欣求浄土)
日時:2019年5月3日
内容:清掃(経田駅前トイレ)。
感想:
渾身で清掃しておりますと
偶然
経田公民館の方がおみえになりました。
様々な事を尋ねました。
おわり
高橋記
法には
永遠法、神法、八正道、十戒などの
道徳的で普遍的な規範と
国民国家が制定する
明文化された実定法や
慣習などの規範がある。
日本の日本国憲法は
国の最高規範でありますが
世界においては
特筆大書すべきものは
ありません。
何となれば
天皇陛下の地位は
象徴という
何等の権力も権威もない空疎な
文言で表現されているからです(第1条)。
本来ならば
形式的であっても
イギリスや北欧の如く
国王、元首として明文化すべきであります。
また
天皇は何故か
世襲であり
皇室典範に詳細な規程があります(第2条)。
極めて私事なる事柄ですが
私の父は
高橋家の養子となったため
私自身
高橋家の連綿たる血統を継承しておりません。
すなわち
私的信心に拠りますと
人間は
神に
魂をその都度創造されており
血統に依って
人間の徳性や人間力が
決定されるわけではありません。
高橋姓は
単なる名辞、記号、象徴に過ぎず
実体としては
何もないです。
憲法改正の議論そのものは
時宜を得たものでありますが
フォーカスすべきは
天皇陛下の地位と世襲であります。
イギリスも日本も
実質的に
王座が単なる象徴となり
存在意義が問われています。
もし
単なる象徴として
このままセレブ生活を満喫されるだけならば
もはや
歴史的にその役割がありません。
往古の
王座と祭壇を復活させたい私は(右翼ではないです)
ジョセフ・ド・メーストルのような
単なる王権派ではなく
寧ろ
推古帝や持統帝
天智帝や天武帝の
崇高なる王座を顕現致したく
存じます。
王を王たらしめるのは
聖権による塗油
聖霊のカリスマ
ノートル・ダムに於ける戴冠式
であり
折口信夫氏のいう天皇霊の継承
であります。
すなわち
右翼や左翼は
単なる近代革命の方法論
漸進派か急進派かの違いでしかなく
共に
聖なる中世の権威、聖権を
毀損し
不自然な共和国と
おかしな大統領なる衆愚政治の偶像を
創出した両翼であり
共に
永遠の相の下に
放擲すべきイデオロギーです。
何れにしましても
憲法第9条は変える必然性がなく
寧ろ
みんなでしか靖国神社に参拝できない
弱々しい信心の議員さまの学問のなさや
浅はかな歴史認識を何とかせねばなりません。
現状において
北朝鮮さまとの対話を始めんとされている
安倍総理の
偉大な慧眼を
国民こぞって
応援せねばなりません。
完
高橋記(麗しき令和の御代に安倍総理をお支えする忠臣)