(1)だいぶ世の中が悪くなりました。とくに経済は惨憺たるものです。その一端をちょっとたどってみます。
昭和40(1965)年度から、戦後の公債発行が始まりました。財政法は第4条で国債発行を禁止しているにもかかわらず、当初発行された建設国債について、政府は、もの〔港湾・道路・建物など〕が残るからいい国債だとかいって次々と発行して大規模公共事業につぎ込みました。
とくに選挙があると、票が欲しいものですから大盤振る舞いしました。また、首相が誕生すると、いくつも橋ができるとか、いろいろとムダな公共事後湯が発生しました。
ところが、政府はきちんと返済計画を立てずに、たてても実行しないで借金を続けたために、償還期限が来ても返せなくなり、こんどは償還のために借金をしなくてはならなくなりました。そして、とうとうその残高は国内総生産の2倍、つまり、国民が飲まず食わずで働いて返しても2年はかかる額に膨れ上がりました。
おまけに、その一方で、これまた憲法で禁じている防衛費をあれこれと言い訳しながら増やそうとしてきました。
(3)そこへ高齢化の時代が到来しました。
しかし、福祉対策をとろうとしても、すでに首が回らなくなってしましました。どうしたかといいますと、「自助努力」を言いました。
日本は福祉予算が貧困で十分な対策が取られてきませんでした。ですから、国民は、せっせと貯金をして老後に備えました。貯金の利子と国民年金を足して、なんとか老後をの生活を成り立たせる計画を立ててきました。政府が自助努力を言う前に、国民は自らそうしていたわけです。
ところが、政府がゼロ金利政策をとりました。そのため、国民は予定していた利子収入がなくなり、老後の生活設計を立てることができなくなりました。
(4)それだけではありません。そうやって貯めた資金が手元に残っているの見ると、こんどはそれを狙って、年よりは金持ちだ、それなのに福祉や年金で現役世代のお荷物になっている、などと騒ぎ立て、その資金を遺産相続させて早く使わせようとするとか、高齢者同士で支え合うことで若者の負担を緩和するなどのことを宣伝し、後期高齢者福祉制度などで負担をおっかぶせてきました。
(5)その一方で、平成と共に消費税が始まりました。それは福祉のためだ宣伝して導入したものの、結局のところ実態は、法人税や所得是の減税、つまりよく言われる金持ち減税の財源とされ、国民の負担となりました。
ちょっと自慢話になりますが、平成3(1991)年の春か夏ころに次の歌を詠みました。
平成にみとせ〔3年〕に秋もまだ来ぬに りんりきんりと鳴き騒ぎおり
これは、「平成になってまだ3年目の秋が来てもいないというのに、政治倫理だとか金利がにぎやかだ」と批判したものです。全然、あらためられていませんね。
こんな状態をよしとして連立を組んでいるようでは、やっぱり「同じ穴のムジナ」といわれても仕方ない・・・。
そもそも、「どこまでもついてゆきます下駄の雪」といわれていたこともあります。そして、 そう言って批判したら、浜四津さんという代表代行が
「下駄の雪ではない。下駄の鼻緒だ。」
と息巻いて見せて、
「鼻緒がなければ下駄は履けない」
と解説したということがありました。
ご都合主義では、一時はごまかせても、しばらくすれば国民に見透かされます。支持者のためにも、立ち直ってほしいと思います。
(6)少し端折りますが、この30年間に上のようなことが重なって、つまりゼロ金利の結果のインフレ(物価高騰)、インフレによる実質賃金の低下と負担増の結果の購買力の低下、などが重なって、国民の消費は冷え込んで不況になっています。
大手企業の内部留保の積み上げ、株主への高配当や、資産家の投機など、格差や分断が起こっています。しかもこれが国際的にも問題となっているのが実情です。
買えないタワマンは、私には元々無関係ですが、泊まれない高価格ホテル・旅館などはウンザリ。それなら、まだ若いから、駅泊か野宿でもしようかな。
(7)ところで、前に次のバラを載せました。
じつはこのバラ、かなり頑張って咲きました。
そして、花弁が1枚になってからも、ここ3日ずっと咲いてました。
ごくろうさん
(8)それから、ツルが伸びたので取っていたら、カマキリの卵嚢〔らんのう〕がありました。
もうカラです。
(9)それから、来訪者がありました。ショウリョウバッタというようです。
はずかしいのか、いやなのか、右足をうしろへ振り上げて、あっちへ行け、あっちへ行けというようなしぐさをしました。
では。
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