
今日、私の物を整理しました。その時、箱の片隅に、何か封筒が、ありました。茶色になっていて、色あせていました。なんだろうと思い、手に取りました。すると、懐かしい文字で、書かれていて、涙が出ました。

今の私という、存在を残してくれた、いつまでも、こよなく懐かしい人でした。

20年以上前の恩人です。昔の私は、孤独でした。聾学校の先生と親が許せないと怨み続けて、今でも忘れられない。私を聾学校から、普通の子供が通う、普通校に転校させました。理由は、聞こえない子供しか、いない、学校にいると手話を覚え、声を出せなくなると、将来社会に出ると困るということです。 でも、普通校にもう一度、1年生としてやり直しをさせられて、同級生と まともに会話ができなくで、いじめられて、先生が何を言っているか全く、理解ができなくで、授業も付いていけなかったので、成績も悪くで、1と2が多かった。でも,図工だけ4だった。小学時代は、何をしても空回りで、担任の先生は成績が悪いという、理由でいつも、怒られた。授業きちんと聞いていないからと、決め付けられたのか?親にも怒られて、いつも泣いて、孤独でした。学校に行っても、友達がいなかったし、会話で何を話しているか理解できなかったからです。いじめもあって、3年生の時の、担任の先生はクラスメートに陰て、いじめられたことさえも分かってくれなかったし、掃除当番はないよと嘘を教えられて家に帰って、次の日に登校すると、同じクラスのグループの人が私がサボったと、嘘を言って、私が悪いと決め付けられた。本当はサボったじゃない。クラスの人に、掃除はないから、帰っても、いいよとメモを貰ったです。先生は私が、わがままなのよと、言い分を聞いてくれなかった。それを怨んで、生きていた。 中学の時、知り合いのお陰で、知り会った、あなたは、誰よりも、心の中の悲しみと今まで、負った傷を分かってくれました。私の話をよく聞いてくれて嬉しくで、信用できる人がいると、知りました。そして、今まで全く 分からなかった小学時代の勉強を、もう一度 個人的に教えてくれました。そのお陰で、ローマ字、計算が、できるようになって、嬉しかった。耳が聞こえないからといって、音楽を聞くのを、あきらめるではなく、聞きやすいのもあるはずだからといって、アニメとか聞かせてくれました。その時、「そして大和」という曲を一緒に聞いて、歌いました。 20年以上前のことだけど、今でも、そして大和 この歌をCDで聞いています。あなたを偲んで、思い出しながら、聞いています。歌詞の中に、ある言葉は勇気付けられます。

でも、あの人は教師になるはずだったけど、叶わなかった。優しくで、厳しかったけど、私の話を否定をせずに聞いてくれて、そのきっかけで、人間不信から、少しずつ、直せたし、中学を卒業する前に、昔の聾学校の先生からも、横槍を入れられました。「高校は聾学校に、入っては駄目」といわれて、親も、普通校に行きなさいといったけど、あたしは、あの人が支えてくれるから、学校ぐらいは希望を貫こうと決めて、最後まで、聾学校に行くといい続けて、中学校の先生も助けてくれて、親はしぶしぶ認めてもらい、聾学校に入りました。本当に楽しかったです。あの人がいたから、人生を誤まることが、なかったです。その手紙が一枚残っていてくれて、嬉しかった。今までやり取りをした手紙は、あの人の叔母の家にあずけて、いたけど、震災の時に焼けてしまい、もうないです。でも、私のところに残っていたのは一枚しかなかったけど、嬉しいです。 あなたに、見守ってもらえるような気がします。