終戦記念日に相応しい情報を。
「国民義勇隊 ~原爆被害を大きくした広島市の建物疎開~ 」が、平和記念資料館横の、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の地下で開催されてます。
1945年、本土決戦を想定し、国民を動員するための組織「国民義勇隊」が編成されました。
実際には、火災被害を最小限にするため、計画的に家屋をこわして「防火帯」を作る作業に多くの人たちがかり出されていたわけですが、その方々(40代以上の男性や女性中心)があの日被爆し、また残された家族達も多大な犠牲を被られたわけです。
今まで話に聞くだけだった“肥えたご”。
実際に体感できるよう展示されてることって、レアじゃないかな。
コレは滅多にない機会なので、是非一度体感されるといいかと。
・・・動きません。
気合いを入れて、何とか宙に浮かせることはできましたが、とても歩けたもんじゃありません。
義勇隊の被爆で夫を失った婦人達は、生活のために残った田畑を一人で切り盛りせねばならず、かといって肥料もなく、この“肥えたご”で運んだらしいのですが・・・想像を絶する重労働です。
前に中村輪業店主さんに教わるまでは、“川内義勇隊”のことも“後家村”と呼ばれたことも全く知りませんでした。
ここでは、“川内義勇隊”についてもかなり触れられていました。
残された遺族の証言や、実際の義勇隊の活動風景も映像で見ることができます。
家屋を壊すのは全て手作業。
間違いなく作業中にケガした人なんかも居たんじゃないかな。
入場無料
12月15日まで開かれています。
いつもクリックありがとうございます。励みになりますので、プチッといただけると嬉しいです。
「国民義勇隊 ~原爆被害を大きくした広島市の建物疎開~ 」が、平和記念資料館横の、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の地下で開催されてます。
1945年、本土決戦を想定し、国民を動員するための組織「国民義勇隊」が編成されました。
実際には、火災被害を最小限にするため、計画的に家屋をこわして「防火帯」を作る作業に多くの人たちがかり出されていたわけですが、その方々(40代以上の男性や女性中心)があの日被爆し、また残された家族達も多大な犠牲を被られたわけです。
今まで話に聞くだけだった“肥えたご”。
実際に体感できるよう展示されてることって、レアじゃないかな。
コレは滅多にない機会なので、是非一度体感されるといいかと。
・・・動きません。
気合いを入れて、何とか宙に浮かせることはできましたが、とても歩けたもんじゃありません。
義勇隊の被爆で夫を失った婦人達は、生活のために残った田畑を一人で切り盛りせねばならず、かといって肥料もなく、この“肥えたご”で運んだらしいのですが・・・想像を絶する重労働です。
前に中村輪業店主さんに教わるまでは、“川内義勇隊”のことも“後家村”と呼ばれたことも全く知りませんでした。
ここでは、“川内義勇隊”についてもかなり触れられていました。
残された遺族の証言や、実際の義勇隊の活動風景も映像で見ることができます。
家屋を壊すのは全て手作業。
間違いなく作業中にケガした人なんかも居たんじゃないかな。
入場無料
12月15日まで開かれています。
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