鈴鹿市の「伊勢国府跡地」を探索して来ました。
国府とは
古代の日本の律令国家では地方の行政組織として国(嶋)、
郡(評)、里が置かれたが、その行政官庁が国では国庁(国衙)、
郡では郡庁(郡衙)であり、その所在地を国府、郡家と呼んだ。
大化の改新以前には国や県が置かれ、その長官として国造
(くにのみやつこ)や県主(あがたぬし)があったが、
大化の改新以降、中国の律令制度を見ならい、中央と地方の
組織が改編され、701年の大宝律令によって国郡里制度に
整えられた。国府の機能は14世紀まで存続し、形式的制度
は明治維新まで続くことになる。国は奈良時代には58国3嶋、
平安時代には66国2嶋を数え、「延喜式」によれば各国は
その規模・生産性などにより大国、上国、中国、下国の
4等分された。
<パーキング内の案内板>
遺構とは、少し離れた位置です。
歩くと、2分くらい有ります。
ピンク色の箇所が史跡指定地だそうです。
<遺構内の案内板>
造営時期は8世紀の後半と考えられ、この時期に礎石を置き、
瓦葺きの建物を建てていたことは、伊勢が大国の中でも
特別重要な国であったことの現れであろう。