ここをトレッキングしたついでに探訪してみました。
1573年、武田軍の攻撃を受けた作手の亀山城主・奥平氏
が城うを脱出するも、追っ手に追いつかれ、この地で戦
になったところ。
この祠から南東数百mの地に、戦没者を祀った墓も有ります。
訪れる人も少ない史跡の感じがします。
ここをトレッキングしたついでに訪れてみました。
黍生城址
標高374mの山頂えお主郭として築かれた黍生城は
平安時代の終わりに、尾張国の山田重直の六男重長が
足助に移住して、賀茂六郎足助重長として築いたのが
始めと言い伝えられている。重長は足助氏の始祖と言
われています。その後平家方に攻められて落城しますが
ここはこの付近の最高峰であるため戦国時代まで色々な
ときに使用された城と考えられます現在の遺構はたびたび
の改修をうけたのでしょう。なおこの山頂は旧暦の3月
3日村人たちがお酒やお菓子を持って集まり、飲食いを
しました。こうすると一年を幸せに暮らせると言われた
からです。現在はその名残でしょうが4月の始めにここ
でお祭りをしています。
と、案内板に記載されています。
この岩も、当時から存在したんだろうか・・・・・。
昔の人々は、この山頂から何への思いを馳せたのでしょう。
この岩を見て、何を感じていたのだろう。そして自分は?。
10/09(木)は所用で矢作川の上流まで行って来ましたので、
上流に位置する「水力発電所」をデジカメで収めてみる事
に。更に上流の岐阜県との県境には矢作川の水源のダム湖
が有りますが、今回訪れたのは豊田市に合併される以前に
存在していた、「旭村」エリアです。笹戸温泉などが在り、
シーズンには多くの観光客が訪れるスポットになっています。
笹戸水力発電所
矢作第二水力発電所
百月水力発電所
中部電力管内の水力発電の一覧は以下からどうぞ。
http://www.chuden.co.jp/torikumi/water/chuden/list.html
9/22(月)は蒲郡市内にて打合せでしたので、昼休みを利用し
三谷温泉の弘法山に行って来ました。ここの頂上には高さ
30Mも有る弘法大師像が聳え立つ事で有名です。正確には
金剛寺本尊子安弘法大師と言うそうです。
付近を通る事は有るのですが、間近で観るのは30年以上
ぶりかも知れません。現在は綺麗に塗装でコーティング
されているようですが、以前はコンクリート打ちっ放し
のまんまだったように記憶しています。
足元もデカイっ!。今にも動き出しそうで子供心に観た時は、
怖かったような想い出が・・・・・。今でも夜一人で来ると、
少し怖いかも?。
弘法山から望む西方面です。中央に位置する橋で陸続きの
島は「竹島」です。ここは韓国の公安も常駐していないの
で安全です。「独島」では有りません、HI。陸と言うか陸地
と余りににも近接しているために、IOTAナンバーは付かない?。
ここから東に車を5分ほど走らせると、有名なテーマパークが
有ります。最近、ここの施設内での打合せが多い日々です。
中部電力の電力供給管内の水力発電所としては最古と
言われる「岩津発電所」の傍を通りましたので、少し
休憩がてら、デジカメに収めて来ました。
場所は、愛知県岡崎市北部で、豊田市との境のあたりです。
矢作川水系の巴川支流の郡界川に位置しています。結構、
山深いロケーションですので、真夏でも涼しげな雰囲気で
した。どうやら無人らしく、水力発電所内部までは観察
出来ず残念でしたが、それなりの高低差を利用して水を
落としているようで、現在の発電能力は「150KW」だそう
です。と言う事は、リニア何台分賄えるのかな?。(^^;
水力発電所と言うと、ダム湖に併設されて、それなりの
大規模のイメージが強いのですが、可愛いタイプの発電所
も有るのですね。HOMEから車で15分位の所でした。
http://www.suiryoku.com/gallery/aichi/iwatsu/iwatsu.html
4/30(水)は、岡崎市方面で業務に励んでおりました。
本来のGW公休は、4/26-5/5の10日間なのですが、所属
の部署は、どうしても休めないのでアキマセン。
昼前業務スタートでしたが、休憩時間中に仕事場の
近くの真福寺に行って来ました。
駐車場は木立に囲まれるロケーションなのでFBでしたね。
連休2日目になりました。上の坊主は休日出勤、下の娘は
朝からアルバイト、Xさんも昼前から外出って事で、
取り残されてしまい、昼食を取りがてら豊田市内に繰り出す
事に。事前にサーチしておいた豊田市産業文化センターで開催
されている、「第20回 豊田市平和をねがう戦争展」を見学に
行って来ました。今年は夏の連休中にタイミング良く開催されて
いて、見学のチャンスが訪れた次第です。今日も昼間は暑かった
ですが、幾分風が出ていたため、少しマシな日でした。
1F多目的ホールにて8/11-12日の二日間に渡り
開催されています。学校の夏休み期間の開催も
手伝って、子供連れのファミリーも多かったです。
会場には当時の新聞をはじめ、貴重な展示物が
所狭しと展示して有りました。
終戦前日の1945年8月14日に、トヨタ自動車挙母工場が標的に。
戦争が長引けば、もっと被害が出ていたことでしょう。この時は、
工場の他に2発(合計3発)の、長崎に落とされた原爆と同サイズの
爆弾が投下されたとの事。中身はプルトニウムではなく、通常の
高性能爆薬で、黄色いペイントが施されていたため、「パンプキン」
と呼ばれていたそうです。幸いな事に、この終戦前日のB29による
空襲では、死傷者は出なかったと言います。
これは初めて知りましたが、豊田市は太平洋戦争中に死傷者等の
人的被害が出なかったと聞いていましたが、1945年の7月19-20日
の「岡崎空襲」の余波を受けて、8人の犠牲者が出たと言う事です。
これは、昨年2006年に明らかになったと言う事です。
この会場での見学の前に、こちらのお店でお昼を。
梅雨明け後は、雨が殆ど有りません。夕立でも良いので、
一雨欲しい暑さですねぇ。
夏休み、連休モードに突入しました。個人的には
休みが取れましたが、部署は稼動中でして、豊明市
の現場まで陣中見舞いを兼ねて、午後から行って
来ました。今日もまた暑い暑い1日でしたね。
車での移動でしたが、車外に出ると眩暈、立ち眩み
がして来ました。途中で、刈谷市の祖母神社に立ち寄る
事に・・・・・。境内は蝉の鳴き声で夏が充満していました。
<祖母神社1>
冒頭のイメージは正面入り口、鳥居が聳え立っています。
<祖母神社3>
鎌倉街道伝承地碑。境内のかつて存在したらしい。
でも、鎌倉街道と言われてもピンと来ませんね。
<祖母神社4>
拝殿と狛犬。勿論、お賽銭を・・・・・。
木々に囲まれた場所、木陰は涼しいですね。
<祖母神社5>
浄水。
実は、この神社に立ち寄ったのは、用を足しに
来たのでした。(^^;
かなり危ない状態でしたが、助かりました。
参考Webサイト:
http://www.city.kariya.lg.jp/history/rekisihokubu.html
3/22は、清須市で打ち合わせでした。3/15にも
行きましたが、電車でしたので何処も周らず終い
でしたが、今回は車での移動でしたので、時間を
見つけて、清洲城、清洲城址を散策して来ました。
<清洲城1>
天守閣を西側の駐車場から眺めてます。
<清洲城2>
日本庭園も見事ですね。時間が無かったので、
天守閣へは上がりませんでした。拝観料300みたい。
<清洲城址1>
城址です。現在の擬似天守閣とは少し離れてます。
ポカポカ陽気で、汗ばむ気温でした。
<清洲城址2>
信長の碑。信長の銅像は、直ぐ南の清洲公園で
見る事が出来ます。
インターネットで検索したら、西尾市に
防空壕跡が有るらしく、ちょいと探索
して来ました。この記事の続きです。
<防空壕2>
たまたまスケールを持ち合せていましたので、
計測してみると、約2Mの深さです。
<矢作古川>
例の釣りの御爺さんとの会話で、
私「この神社の奥に防空壕が有るらしく、探索して来たよ。」
爺「あぁ、あの穴ね、あれはのぉ、防空壕じゃ無くて、イモ穴だわ。」
私「イモ穴って、冷蔵庫が無い時代に、野菜とかを地中深くに保存しておく?」
爺「んん、それそれ、その穴だわ。」
私「・・・・・・・」
爺「埋めんと、危ないだけどねぇ。」
私「そうですわね。」
爺「こんな西尾の町外れ、B29も爆弾落とさんかったしのぉ。」
という訳で、防空壕と思われる穴は実は「イモ穴」でした。
「史跡探訪@・・・・・」なんて高尚なタイトルでしたが、
写真に収めて来たのは、単なる「イモ穴」だったと言う、
素晴らしいドラマチックなオチが付いてしましまいた。
何をしにワザワザ行って
来たのでしょう・・・・・。(^^;
20年ぶりくらいに訪れました。
今では、立派な資料館が建っていたんですね。
500mくらい南下したところには、私が良く利用
するハムショップが有ります。
長久手の戦い
天正12年(1584年)小牧長久手の戦いの折、
家康と秀吉諸軍が戦った跡。
4月9日の長久手での戦闘では、家康方が大勝し
秀吉方の多くの武将が戦死した。跡には塚が築かれ、
鎮魂の松が植えられ、昭和14年(1939年)国の
史跡に指定された。
この小牧長久手の戦いは、後の日本の動きに大きな
影響を与えた。
すなわち 秀吉政権の樹立を促がすとともに、
家康の台頭を示す物でもあった。
<長久手町郷土資料室>
各種の展示が行われています。
http://www.town.nagakute.aichi.jp/kurasi/history/kyoudo/shiryoshitu.asp
http://www.geocities.jp/shimizuke1955/3030nagakutekyodo.html
<展示物>
甲冑などが展示されています。
火縄銃も展示して有ります。
参考Webサイト:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%89%A7%E3%83%BB%E9%95%B7%E4%B9%85%E6%89%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
http://tatutomo.cocona.jp/nagakut1.htm
瀬戸市の「地下壕跡地」を探索して来ました。
愛知航空機(株)の疎開先地下工場であった場所。
終戦間近の1945年、名古屋市から疎開して作られた
地下工場跡です。。
<案内板>
地下壕が点在していますが、入り口近くには
案内板が有ります。
<足場階段>
ここを下って行く形です。
「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」
の方々が、作ったものと思われます。
足元が悪いので、トレッキングシューズ
の着用がお勧めでしょうか。
<地下壕-2>
立入り禁止です。
夜は、さぞかし不気味でしょうね。
<瀬戸市民運動公園>
ここの陸上競技場の東側が、かつての軍需工場です。
第一地区、第二地区に分かれているようです。
参考Webサイト:
http://www.ob.aitai.ne.jp/~tera-m/index.htm
http://underzero.net/html/tz/tz_150_1.htm