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BEAMing to the World de JF2SKV/NH0S Weblog

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史跡探訪@梟ヶ城址<豊田市>

2009-05-11 06:30:14 | 史跡探訪

この山に登ったついでです。

梟ヶ城址 
鍋田町と王滝町との境にわたる城段戸という山頂にある古城址で、
城山とも呼ばれている。守将や築城年代等は記録も無く解ってい
ない。東西約63m南北36mの広さがあり、一段になっていて、石垣
等が残っている近くに的場の跡、西南90mの山腹に副郭をおいたと
思われる遺跡がある。ある夜、梟の鳴き声によって敵の来襲を知り、
危難を防ぐことが出来たというので梟ヶ城と呼ばれる様になったと
伝えられている。


史跡探訪@黍生城址<豊田市>

2009-02-15 16:20:42 | 史跡探訪

ここをトレッキングしたついでに訪れてみました。


黍生城址
標高374mの山頂えお主郭として築かれた黍生城は
平安時代の終わりに、尾張国の山田重直の六男重長が
足助に移住して、賀茂六郎足助重長として築いたのが
始めと言い伝えられている。重長は足助氏の始祖と言
われています。その後平家方に攻められて落城しますが
ここはこの付近の最高峰であるため戦国時代まで色々な
ときに使用された城と考えられます現在の遺構はたびたび
の改修をうけたのでしょう。なおこの山頂は旧暦の3月
3日村人たちがお酒やお菓子を持って集まり、飲食いを
しました。こうすると一年を幸せに暮らせると言われた
からです。現在はその名残でしょうが4月の始めにここ
でお祭りをしています。

と、案内板に記載されています。

この岩も、当時から存在したんだろうか・・・・・。
昔の人々は、この山頂から何への思いを馳せたのでしょう。
この岩を見て、何を感じていたのだろう。そして自分は?。


史跡探訪@矢作川の水力発電所

2008-10-10 10:55:55 | 史跡探訪

10/09(木)は所用で矢作川の上流まで行って来ましたので、
上流に位置する「水力発電所」をデジカメで収めてみる事
に。更に上流の岐阜県との県境には矢作川の水源のダム湖
が有りますが、今回訪れたのは豊田市に合併される以前に
存在していた、「旭村」エリアです。笹戸温泉などが在り、
シーズンには多くの観光客が訪れるスポットになっています。


笹戸水力発電所


矢作第二水力発電所


百月水力発電所


中部電力管内の水力発電の一覧は以下からどうぞ。

http://www.chuden.co.jp/torikumi/water/chuden/list.html


史跡探訪@弘法山<蒲郡市>

2008-09-22 18:28:19 | 史跡探訪

9/22(月)は蒲郡市内にて打合せでしたので、昼休みを利用し
三谷温泉の弘法山に行って来ました。ここの頂上には高さ
30Mも有る弘法大師像が聳え立つ事で有名です。正確には
金剛寺本尊子安弘法大師と言うそうです。



付近を通る事は有るのですが、間近で観るのは30年以上
ぶりかも知れません。現在は綺麗に塗装でコーティング
されているようですが、以前はコンクリート打ちっ放し
のまんまだったように記憶しています。


足元もデカイっ!。今にも動き出しそうで子供心に観た時は、
怖かったような想い出が・・・・・。今でも夜一人で来ると、
少し怖いかも?。


弘法山から望む西方面です。中央に位置する橋で陸続きの
島は「竹島」です。ここは韓国の公安も常駐していないの
で安全です。「独島」では有りません、HI。陸と言うか陸地
と余りににも近接しているために、IOTAナンバーは付かない?。



ここから東に車を5分ほど走らせると、有名なテーマパークが
有ります。最近、ここの施設内での打合せが多い日々です。


史跡探訪@岩津水力発電所<岡崎市>

2008-07-31 06:47:59 | 史跡探訪

中部電力の電力供給管内の水力発電所としては最古と
言われる「
岩津発電所」の傍を通りましたので、少し
休憩がてら、デジカメに収めて来ました。



場所は、愛知県岡崎市北部で、豊田市との境のあたりです。
矢作川水系の巴川支流の郡界川に位置しています。結構、
山深いロケーションですので、真夏でも涼しげな雰囲気で
した。どうやら無人らしく、水力発電所内部までは観察
出来ず残念でしたが、それなりの高低差を利用して水を
落としているようで、現在の発電能力は「150KW」だそう
です。と言う事は、リニア何台分賄えるのかな?。(^^;



水力発電所と言うと、ダム湖に併設されて、それなりの
大規模のイメージが強いのですが、可愛いタイプの発電所
も有るのですね。HOMEから車で15分位の所でした。

http://www.suiryoku.com/gallery/aichi/iwatsu/iwatsu.html


史跡探訪@真福寺<岡崎市>

2008-04-30 20:28:52 | 史跡探訪

4/30(水)は、岡崎市方面で業務に励んでおりました。
本来のGW公休は、4/26-5/5の10日間なのですが、所属
の部署は、どうしても休めないのでアキマセン。

昼前業務スタートでしたが、休憩時間中に仕事場の
近くの
真福寺に行って来ました。


駐車場は木立に囲まれるロケーションなのでFBでしたね。


竹林の景観がなんとも・・・・・。


07夏休み-2(第20回 豊田市平和をねがう戦争展)

2007-08-12 15:45:10 | 史跡探訪

連休2日目になりました。上の坊主は休日出勤、下の娘は
朝からアルバイト、Xさんも昼前から外出って事で、
取り残されてしまい、昼食を取りがてら豊田市内に繰り出す
事に。事前にサーチしておいた豊田市産業文化センターで開催
されている、「第20回 豊田市平和をねがう戦争展」を見学に
行って来ました。今年は夏の連休中にタイミング良く開催されて
いて、見学のチャンスが訪れた次第です。今日も昼間は暑かった
ですが、幾分風が出ていたため、少しマシな日でした。


1F多目的ホールにて8/11-12日の二日間に渡り
開催されています。学校の夏休み期間の開催も
手伝って、子供連れのファミリーも多かったです。


会場には当時の新聞をはじめ、貴重な展示物が
所狭しと展示して有りました。


終戦前日の1945年8月14日に、トヨタ自動車挙母工場が標的に。
戦争が長引けば、もっと被害が出ていたことでしょう。この時は、
工場の他に2発(合計3発)の、長崎に落とされた原爆と同サイズの
爆弾が投下されたとの事。中身はプルトニウムではなく、通常の
高性能爆薬で、黄色いペイントが施されていたため、「パンプキン」
と呼ばれていたそうです。幸いな事に、この終戦前日のB29による
空襲では、死傷者は出なかったと言います。


これは初めて知りましたが、豊田市は太平洋戦争中に死傷者等の
人的被害が出なかったと聞いていましたが、1945年の7月19-20日
の「岡崎空襲」の余波を受けて、8人の犠牲者が出たと言う事です。
これは、昨年2006年に明らかになったと言う事です。

この会場での見学の前に、こちらのお店でお昼を。

梅雨明け後は、雨が殆ど有りません。夕立でも良いので、
一雨欲しい暑さですねぇ。


07夏休み-1 史跡探訪@祖母神社<刈谷市>

2007-08-11 18:31:11 | 史跡探訪

夏休み、連休モードに突入しました。個人的には
休みが取れましたが、部署は稼動中でして、豊明市
の現場まで陣中見舞いを兼ねて、午後から行って
来ました。今日もまた暑い暑い1日でしたね。
車での移動でしたが、車外に出ると眩暈、立ち眩み
がして来ました。途中で、刈谷市の祖母神社に立ち寄る
事に・・・・・。境内は蝉の鳴き声で夏が充満していました。

<祖母神社1>
冒頭のイメージは正面入り口、鳥居が聳え立っています。


<祖母神社2>
刈谷市教育委員会による案内板。


<祖母神社3>
鎌倉街道伝承地碑。境内のかつて存在したらしい。
でも、鎌倉街道と言われてもピンと来ませんね。


<祖母神社4>
拝殿と狛犬。勿論、お賽銭を・・・・・。
木々に囲まれた場所、木陰は涼しいですね。


<祖母神社5>
浄水。

実は、この神社に立ち寄ったのは、用を足しに
来たのでした。(^^;
かなり危ない状態でしたが、助かりました。
 
参考Webサイト:
http://www.city.kariya.lg.jp/history/rekisihokubu.html


史跡探訪@松平東照宮<豊田市>

2007-06-21 18:02:29 | 史跡探訪

徳川家の発祥の地とされる松平郷を、打合せの合間に
訪れてみました。木陰が涼しかったです・・・・・。
今回は、
松平東照宮のみの訪問でした。


遺構の案内板
国指定の史跡に登録されています。


東照宮全景
平日の影響か、訪れる人もまばらでした。


お堀の錦鯉


桜馬場
かつては馬場が存在していましたが、現在は、
パーキングになっています。桜のシーズンは
FBですね。

かつて、何度か訪れました。次回は「高月院」
に行く予定です。


史跡探訪@清洲城<清須市>

2007-03-23 09:45:05 | 史跡探訪

3/22は、清須市で打ち合わせでした。3/15にも
行きましたが、電車でしたので何処も周らず終い
でしたが、今回は車での移動でしたので、時間を
見つけて、清洲城、清洲城址を散策して来ました。


<清洲城1>
天守閣を西側の駐車場から眺めてます。


<清洲城2>
日本庭園も見事ですね。時間が無かったので、
天守閣へは上がりませんでした。拝観料300みたい。


<清洲城址1>
城址です。現在の擬似天守閣とは少し離れてます。
ポカポカ陽気で、汗ばむ気温でした。


<清洲城址2>
信長の碑。信長の銅像は、直ぐ南の清洲公園で
見る事が出来ます。


<大手橋1>
大手橋と天守閣。橋の下は五條川が流れています。
何となく風情が有るアングルかな?。


<大手橋2>
残念ながら桜のシーズンでは有りませんでした。
花見で賑わいそうな所ですね。


史跡探訪@小島龍宮社防空壕跡-2<西尾市>

2006-12-04 08:37:41 | 史跡探訪

インターネットで検索したら、西尾市に
防空壕跡が有るらしく、ちょいと探索
して来ました。この記事の続きです。


<防空壕2>
たまたまスケールを持ち合せていましたので、
計測してみると、約2Mの深さです。


<防空壕-3>
ほぼ真上から撮影しています。


<矢作古川>
例の釣りの御爺さんとの会話で、
私「この神社の奥に防空壕が有るらしく、探索して来たよ。」
爺「あぁ、あの穴ね、あれはのぉ、防空壕じゃ無くて、イモ穴だわ。」
私「イモ穴って、冷蔵庫が無い時代に、野菜とかを地中深くに保存しておく?」
爺「んん、それそれ、その穴だわ。」
私「・・・・・・・」
爺「埋めんと、危ないだけどねぇ。」
私「そうですわね。」
爺「こんな西尾の町外れ、B29も爆弾落とさんかったしのぉ。」

という訳で、防空壕と思われる穴は実は「イモ穴」でした。
「史跡探訪@・・・・・」なんて高尚なタイトルでしたが、
写真に収めて来たのは、単なる「イモ穴」だったと言う、
素晴らしいドラマチックなオチが付いてしましまいた。

何をしにワザワザ行って
来たのでしょう・・・・・。(^^;


史跡探訪@小島龍宮社防空壕跡-1<西尾市>

2006-12-02 12:04:20 | 史跡探訪

インターネットで検索したら、西尾市に
防空壕跡が有るらしく、ちょいと探索
して来ました。子供の頃、昭和40年代はまだ
かなり存在していましたが、宅地開発のあおりで
民間と言うか、穴掘り式の壕は最近ではめっきり
数が減ってきたと思います。


<龍宮社>
拝殿です。ひっそりと佇んでいます。


<断層の案内板>
三河地震の断層があるそうです 
貴重な断層跡らしい。
 

<防空壕-1>
拝殿の左手を進むと、竹薮の中に点在しています。


<矢作古川>
拝殿横の東屋からの眺め。良い感じの景色です。
お祖父さんが釣りしていました。
話し掛けてみると、気さくな人で、よもやま話
に話が進み、防空壕の話をするとドラマチック
な方向に話が・・・・・・。

続きます。


史跡探訪@長久手古戦場跡<愛知郡長久手町>

2006-11-23 08:37:55 | 史跡探訪

20年ぶりくらいに訪れました。
今では、立派な資料館が建っていたんですね。
500mくらい南下したところには、私が良く利用
するハムショップが有ります。

長久手の戦い
天正12年(1584年)小牧長久手の戦いの折、
家康と秀吉諸軍が戦った跡。

4月9日の長久手での戦闘では、家康方が大勝し
秀吉方の多くの武将が戦死した。跡には塚が築かれ、
鎮魂の松が植えられ、昭和14年(1939年)国の
史跡に指定された。
この小牧長久手の戦いは、後の日本の動きに大きな
影響を与えた。
すなわち 秀吉政権の樹立を促がすとともに、
家康の台頭を示す物でもあった。



<長久手町郷土資料室>
各種の展示が行われています。
http://www.town.nagakute.aichi.jp/kurasi/history/kyoudo/shiryoshitu.asp
http://www.geocities.jp/shimizuke1955/3030nagakutekyodo.html


 




<展示物>
甲冑などが展示されています。
火縄銃も展示して有ります。
 
 
参考Webサイト:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%89%A7%E3%83%BB%E9%95%B7%E4%B9%85%E6%89%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
http://tatutomo.cocona.jp/nagakut1.htm


史跡探訪@瀬戸地下軍需工場跡<瀬戸市>

2006-11-22 08:38:10 | 史跡探訪

瀬戸市の「地下壕跡地」を探索して来ました。
愛知航空機(株)の疎開先地下工場であった場所。
終戦間近の1945年、名古屋市から疎開して作られた
地下工場跡です。。


 
<案内板>
地下壕が点在していますが、入り口近くには
案内板が有ります。


 
<足場階段>
ここを下って行く形です。
「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」
の方々が、作ったものと思われます。
足元が悪いので、トレッキングシューズ
の着用がお勧めでしょうか。



<地下壕-1>
立入り禁止です。
以前は入れたみたいですよ。


<地下壕-2>
立入り禁止です。
夜は、さぞかし不気味でしょうね。


<瀬戸市民運動公園>
ここの陸上競技場の東側が、かつての軍需工場です。
第一地区、第二地区に分かれているようです。
 
参考Webサイト:
http://www.ob.aitai.ne.jp/~tera-m/index.htm
http://underzero.net/html/tz/tz_150_1.htm