仮面ライダーW(ダブル)は、最近のライダーシリーズ同様に基本的には前後編の二話でひとつの事件が解決するという形式をとっている。
ただ、平成ライダーシリーズは物語も複雑で(特にここ数作は)、過去未来を行ったり来たり、異空間と現実世界を行ったり来たり、みたいな展開が多くて、大人でもストーリーを追うのが疲れるし、子どもには全く理解できないような内容だった。何話進んでも「何のために戦っているのか?」などの世界観がいまひとつハッキリ見えてこないし、登場人物のなにげない台詞をうっかり聞き逃したり、あるいは一週見逃すともう筋が見えなくなってしまったり。また、謎をちりばめたり伏線を張っておきながら、とうとう最後まで回収されないのにもウンザリしていた。
毎週見続けても消化不良というか何とも言えぬモヤモヤ感が常に付きまとい。最終回まで見てもそれが消えない。
「クウガ」で平成ライダーが復活した時、「大人の鑑賞にも耐えうる」「ストーリー重視」という、コンセプトを打ち出し、それはその後の平成ライダーシリーズの底流にあるものだが、物語を広げやすくするために初期設定を曖昧にし(基本設定に幅を持たせ)ておくようなことがかえって徒(あだ)となり、結局収拾がつかなくなった作品が多くなかっただろうか?
それに比べると「ダブル」はだいぶ単純明快だ。もちろん、「二人が“ダブル”になった経緯」(劇中では「ビギンズナイト」と呼ばれている)や、それぞれのキャラクターの過去、園咲家にまつわることや、敵の最終目的など、現在は伏せられており今後の展開の中で明らかにされていくであろう謎の部分もあるんだけど、ここ数作のライダーとは違って、物語の進行に伴って基本設定自体がどんどん拡げられたり壊されていくようなことが少ないので、最低限の基本設定さえ理解していればフラストレーションを感じずに見ていられる。
単純明快といえば昭和時代の特撮ヒーローアクションドラマの(マンネリではあったのかもしれないが)、お決まりのストーリー展開や戦闘シーン重視な構成はいかにも「子ども向け」でわかりやすいものであった。
平成シリーズで、これまで何作か「(昭和ライダーへの)原点回帰」を謳ったものがあったが、敵も含めたキャラクターのデザインとか、技の名前や変身時の発声をするしないとか、表面的なものをなぞるだけで、これでは原点回帰を指向する意味はほとんどないのではないか?としか思えなかった。
そういったことを考えると、「ダブル」は平成ライダーシリーズの中では最も、初代(1号2号)のライダーに近いものがあるのではないかと、卜(ぼく)には思えるのです。
(-その3-へ続く)