午前中、LMさんのお宅で打ち合わせ。
ふとした縁で、お友達のLMさんのお仕事をお手伝いすることになり
(といっても、パンフレットを作ったりする程度のことですが)
打ち合わせと称しては、お茶を飲みながらおしゃべりしました。
週末、わさわさしていたこともあって
ちょっと疲れて、気分も少しトゲトゲしていたのですが
会話をするうちに、そのマイナスな気分が、いつの間にかすうっと抜けました。
別に、具体的な問題を抱えていた訳でもなく、単に疲れていただけなので
愚痴をこぼしてスッキリした、とか、そういうことでもないのですが
それまで覆っていた暗い雲が風に流され、ゆっくりと太陽が顔を出したような
ほっとして明るい気分になりました。
LMさんの人柄のおかげかな~。
ところで「話す」というのは、面白い行為ですね。
「こころ」という言葉は「凝る(ここる)」から来ているそうですが
そうした、臓腑のなかに澱のようにたまって、いつしか出来た思いの「しこり」を
「話す」ことで解きほぐし、自分の外に流し出すような。
「話す」=「放す」?
何かを話すことで、心を解き放ったような、心の凝りが取れたような
そんな感覚でした。
ふとした縁で、お友達のLMさんのお仕事をお手伝いすることになり
(といっても、パンフレットを作ったりする程度のことですが)
打ち合わせと称しては、お茶を飲みながらおしゃべりしました。
週末、わさわさしていたこともあって
ちょっと疲れて、気分も少しトゲトゲしていたのですが
会話をするうちに、そのマイナスな気分が、いつの間にかすうっと抜けました。
別に、具体的な問題を抱えていた訳でもなく、単に疲れていただけなので
愚痴をこぼしてスッキリした、とか、そういうことでもないのですが
それまで覆っていた暗い雲が風に流され、ゆっくりと太陽が顔を出したような
ほっとして明るい気分になりました。
LMさんの人柄のおかげかな~。
ところで「話す」というのは、面白い行為ですね。
「こころ」という言葉は「凝る(ここる)」から来ているそうですが
そうした、臓腑のなかに澱のようにたまって、いつしか出来た思いの「しこり」を
「話す」ことで解きほぐし、自分の外に流し出すような。
「話す」=「放す」?
何かを話すことで、心を解き放ったような、心の凝りが取れたような
そんな感覚でした。