トンマッコルへようこそ
角川書店
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韓国映画をちゃんと見るのがこれが初めて。
なので、役者さんについては全く予備知識も先入観もなし。
音楽が久石譲ということもあり、「ジブリっぽいよ(笑)」と聞いていたのだけど……確かに(笑)。
といってもジブリ作品も私、ほとんど見てないので(ナウシカと魔女宅くらいか?)どこをどうもって「ジブリっぽい」のかはよくわからないけどね。
トンマッコルへようこそ
「ジブリっぽい」のかもしれないけど、
そして、パンフレットを読んだかぎり
製作者側に言わせると「ファンタジー」らしいのだけど、
これは、間違いなく「戦争映画」だった───と私は思う。
【以下最後までがっつりとネタバレします。もう上映も終わりに近づいてますがネタバレを嫌う方はご注意下さい】
降ってくる。
落ちてくる。
空を舞う。
ありとあらゆるものが降り、落ち、舞った。
それは「美しいもの」だけではない。
………という印象が強かったのでそれをこの記事で書こうと頭の中で構成しながら帰ってきてパンフを読んだら、寄せられたコラムに同様のことが書かれていたので少々脱力。
やはり、落下してくる様々なものについて書かれていた。悔しいが、内容被ってもいいやこの際。
アメリカ兵を乗せた戦闘機が。
不発かと思った手榴弾の誤爆で出来てしまった「ポップコーンの雪」が。
猪の巨体が。
本物の雪が。
村を掃討するために送り込まれた兵士たちが。
そして、無数の爆弾が。
天空からこの村へ降ってきた。
象徴的に舞う無数の蝶。
まるで、村を外界と隔絶する守り神のように。
そしてその蝶の化身のような少女「ヨイル」。
蝶とヨイルに導かれるように外界からの「お客さん」がトンマッコルへやってくる。
そのアメリカ兵の操る戦闘機は、一匹の蝶に導かれるように山中に墜落した。
その北の中隊長は、負傷した兵たちを捨てて往くことが出来なかったために結果的にその大半を失った。残ったのは自分と暢気そうな中年の下士官と十代の少年兵のみ。
その南の衛生兵は脱走して追っ手から逃れたところで自らの頭を撃ち抜こうとしている同じ南の兵士と出会う。彼も脱走兵である。
殺気立つ兵士たちと対照的にどこまでも暢気な村人たち。
銃を向けて脅されることよりも、猪が畑を荒らすことの方が大問題。
なにしろ、銃も手榴弾も、何に使うモノなのかを知らないのだから。
一晩中身動きせず銃を向けあい、朝になれば「盾」のはずの村人たちはマイペースに日常生活に戻って行くし、雨が降り始めれば雨宿りをしながら兵士たち=奇妙なお客さんたちの睨みあいを見物している。
トウモロコシの蔵を破壊してしまった代償として、農作物を作る手伝いを始める兵士達。
村人共通の「敵」・猪を力を合わせて倒し、肉を食べないために村人たちがとっとと埋めてしまったその猪肉を求めて夜中に鉢合わせして皆でそれを頬張り。
そうしていくうちに、村の生活に馴染んでゆく。
けれど、最後に待っているのは悲劇。
まぎれもない、戦争という現実。
逃げ延びて勝利するために味方の兵をも足手まといになれば殺してきた。
敵の侵攻を防ぐために避難する民間人をも殺してきた。
「墜落した米軍兵士1人を救出するために」、確かな情報もないのに敵軍がいると判断してその一帯を攻撃しようとする連合軍のやり方は、確かに彼らがこれまでやってきたことと同じなのだ。
彼らが蹂躙できなかった、理想郷のようなこの村を、降ってきた兵士たちは簡単に蹂躙する。
彼らが巻き込まれたあの村人たちのマイペースも、「愚弄した」とばかりに殴る蹴るの暴行で封じ込める。
村人を統率するには「たくさん食べさせること」と言った村長も。
まるで村のシンボルであるかのようなヨイルも。
おとぎ話を見ているような気分でトンマッコルを眺めているとそうやって突然現実に引き戻される。
これは、おとぎ話などではない、人が人と憎みあい殺しあう戦争という名の現実。
彼らは力を合わせて、トンマッコルを守る。
囮の砲台や村を仕立てて爆撃を誘導し、その間にやはりすっかり村人に馴染んでいた米兵を本部へ向かわせる。
たった5人で───
連合軍が「まんまと騙されて」、何も無い雪原に次々と爆弾を落としてゆく。
降ってくる爆弾。
それを、満足げに微笑みながら眺める兵士たち。
ふと思ったのだ。
トンマッコルというおとぎ話のような理想郷の物語が、
もし日本映画で、もしくはハリウッド映画で描かれたとしたら。
最後まで、おとぎ話の奇跡を行使しようとするのではないだろうかと。
最後の最後に、「彼ら」の作戦が成功した上生き延びて、揃って村へ帰り、今度こそほんとうに村人になってしまう───そんな「奇跡」を。
けれど、この物語の「奇跡」は、たった5人の作戦が成功して「トンマッコルを守ることが出来ました」だけで尽きてしまった。
確かに悲劇なのだけど、このラストで良かったのだろう。
だからこそ、トンマッコルの儚さや美しさや大切さが際立ってくるのだ。
これは「反戦映画」だと思うけれど、強烈な、押し付けがましいメッセージはない。
ただ、見た人間に何かを訴えかけてくる。
何を汲み取ることが出来るかは、見た人に任されているといっていい。
朝鮮戦争の背景や、現在に至る北と南とアメリカの関係など、そういう部分にまったく知識が無かったとしても、汲み取るべきメッセージは必ずあると思う。
ちなみに、冒頭や最後の戦闘シーンでは多少体が吹っ飛んだり色々あるので、お子様やそういうモノに慣れてない人には要注意。(多分戦争ものとしてはさらっと流してある方だと思うが)
トンマッコルの美しさをより際立たせるために戦闘の悲惨さを描く場面であるなら最低あのくらいは描いてもらわねば説得力ないよと私は思うのだけど、嫌な人には厳しいかもしれない。
しかしそういった場面を除くと画面は全体的に非常に美しく印象深かった。
猪を仕留めるシーンはいきなりコントみたいな合成&延々スローモーションで馬鹿馬鹿しさ3割増だったけど、重要なシーンなんだよなぁw
なぜ兵士たちがあれほどまでに敵対し合わねばならないのか、それが段々判らなくなってくるような、判っていても馬鹿馬鹿しくなってくるような、自然と笑いが漏れてくるような展開がお見事。
また、兵士達それぞれ(特に南の少尉)の変化が自然で、一人一人への感情移入がスムーズに出来た。おかげで最後まで違和感を感じることなく最後まで受け止めることが出来たと思う。兵士達だけでなく村人もみんな。
文法だけで通じない英語を駆使する(駆使してないw)先生とか、すっかり米兵と仲良しになっちゃったおばあちゃんとか、双子のおじいちゃんとか、最初は兵士達を快く思っていなくて嫌味を言ってたくせに、最後には「冷えるから」と毛皮をくれた人とか。
主役の二人は「実力派イケメン俳優」さんらしいですが野●ソまでしてくれてありがとう(何がw)
かっこよかったよー。特に北の隊長さん。
白状するとアホムービーかと思って行ったのだけど、思いもよらず良かったので得した気分でした。
兵士たちが最後に笑顔で過ごすことの出来た「収穫祭」。
米兵スミスがボロカメラで撮影していたその映像が、最後のエンドロールで流れる。
あのまま、そっとしておいてもらえたなら。
あのまま、あんな風に笑っていられたなら。
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韓国映画をちゃんと見るのがこれが初めて。
なので、役者さんについては全く予備知識も先入観もなし。
音楽が久石譲ということもあり、「ジブリっぽいよ(笑)」と聞いていたのだけど……確かに(笑)。
といってもジブリ作品も私、ほとんど見てないので(ナウシカと魔女宅くらいか?)どこをどうもって「ジブリっぽい」のかはよくわからないけどね。
トンマッコルへようこそ
「ジブリっぽい」のかもしれないけど、
そして、パンフレットを読んだかぎり
製作者側に言わせると「ファンタジー」らしいのだけど、
これは、間違いなく「戦争映画」だった───と私は思う。
【以下最後までがっつりとネタバレします。もう上映も終わりに近づいてますがネタバレを嫌う方はご注意下さい】
降ってくる。
落ちてくる。
空を舞う。
ありとあらゆるものが降り、落ち、舞った。
それは「美しいもの」だけではない。
………という印象が強かったのでそれをこの記事で書こうと頭の中で構成しながら帰ってきてパンフを読んだら、寄せられたコラムに同様のことが書かれていたので少々脱力。
やはり、落下してくる様々なものについて書かれていた。悔しいが、内容被ってもいいやこの際。
アメリカ兵を乗せた戦闘機が。
不発かと思った手榴弾の誤爆で出来てしまった「ポップコーンの雪」が。
猪の巨体が。
本物の雪が。
村を掃討するために送り込まれた兵士たちが。
そして、無数の爆弾が。
天空からこの村へ降ってきた。
象徴的に舞う無数の蝶。
まるで、村を外界と隔絶する守り神のように。
そしてその蝶の化身のような少女「ヨイル」。
蝶とヨイルに導かれるように外界からの「お客さん」がトンマッコルへやってくる。
そのアメリカ兵の操る戦闘機は、一匹の蝶に導かれるように山中に墜落した。
その北の中隊長は、負傷した兵たちを捨てて往くことが出来なかったために結果的にその大半を失った。残ったのは自分と暢気そうな中年の下士官と十代の少年兵のみ。
その南の衛生兵は脱走して追っ手から逃れたところで自らの頭を撃ち抜こうとしている同じ南の兵士と出会う。彼も脱走兵である。
殺気立つ兵士たちと対照的にどこまでも暢気な村人たち。
銃を向けて脅されることよりも、猪が畑を荒らすことの方が大問題。
なにしろ、銃も手榴弾も、何に使うモノなのかを知らないのだから。
一晩中身動きせず銃を向けあい、朝になれば「盾」のはずの村人たちはマイペースに日常生活に戻って行くし、雨が降り始めれば雨宿りをしながら兵士たち=奇妙なお客さんたちの睨みあいを見物している。
トウモロコシの蔵を破壊してしまった代償として、農作物を作る手伝いを始める兵士達。
村人共通の「敵」・猪を力を合わせて倒し、肉を食べないために村人たちがとっとと埋めてしまったその猪肉を求めて夜中に鉢合わせして皆でそれを頬張り。
そうしていくうちに、村の生活に馴染んでゆく。
けれど、最後に待っているのは悲劇。
まぎれもない、戦争という現実。
逃げ延びて勝利するために味方の兵をも足手まといになれば殺してきた。
敵の侵攻を防ぐために避難する民間人をも殺してきた。
「墜落した米軍兵士1人を救出するために」、確かな情報もないのに敵軍がいると判断してその一帯を攻撃しようとする連合軍のやり方は、確かに彼らがこれまでやってきたことと同じなのだ。
彼らが蹂躙できなかった、理想郷のようなこの村を、降ってきた兵士たちは簡単に蹂躙する。
彼らが巻き込まれたあの村人たちのマイペースも、「愚弄した」とばかりに殴る蹴るの暴行で封じ込める。
村人を統率するには「たくさん食べさせること」と言った村長も。
まるで村のシンボルであるかのようなヨイルも。
おとぎ話を見ているような気分でトンマッコルを眺めているとそうやって突然現実に引き戻される。
これは、おとぎ話などではない、人が人と憎みあい殺しあう戦争という名の現実。
彼らは力を合わせて、トンマッコルを守る。
囮の砲台や村を仕立てて爆撃を誘導し、その間にやはりすっかり村人に馴染んでいた米兵を本部へ向かわせる。
たった5人で───
連合軍が「まんまと騙されて」、何も無い雪原に次々と爆弾を落としてゆく。
降ってくる爆弾。
それを、満足げに微笑みながら眺める兵士たち。
ふと思ったのだ。
トンマッコルというおとぎ話のような理想郷の物語が、
もし日本映画で、もしくはハリウッド映画で描かれたとしたら。
最後まで、おとぎ話の奇跡を行使しようとするのではないだろうかと。
最後の最後に、「彼ら」の作戦が成功した上生き延びて、揃って村へ帰り、今度こそほんとうに村人になってしまう───そんな「奇跡」を。
けれど、この物語の「奇跡」は、たった5人の作戦が成功して「トンマッコルを守ることが出来ました」だけで尽きてしまった。
確かに悲劇なのだけど、このラストで良かったのだろう。
だからこそ、トンマッコルの儚さや美しさや大切さが際立ってくるのだ。
これは「反戦映画」だと思うけれど、強烈な、押し付けがましいメッセージはない。
ただ、見た人間に何かを訴えかけてくる。
何を汲み取ることが出来るかは、見た人に任されているといっていい。
朝鮮戦争の背景や、現在に至る北と南とアメリカの関係など、そういう部分にまったく知識が無かったとしても、汲み取るべきメッセージは必ずあると思う。
ちなみに、冒頭や最後の戦闘シーンでは多少体が吹っ飛んだり色々あるので、お子様やそういうモノに慣れてない人には要注意。(多分戦争ものとしてはさらっと流してある方だと思うが)
トンマッコルの美しさをより際立たせるために戦闘の悲惨さを描く場面であるなら最低あのくらいは描いてもらわねば説得力ないよと私は思うのだけど、嫌な人には厳しいかもしれない。
しかしそういった場面を除くと画面は全体的に非常に美しく印象深かった。
猪を仕留めるシーンはいきなりコントみたいな合成&延々スローモーションで馬鹿馬鹿しさ3割増だったけど、重要なシーンなんだよなぁw
なぜ兵士たちがあれほどまでに敵対し合わねばならないのか、それが段々判らなくなってくるような、判っていても馬鹿馬鹿しくなってくるような、自然と笑いが漏れてくるような展開がお見事。
また、兵士達それぞれ(特に南の少尉)の変化が自然で、一人一人への感情移入がスムーズに出来た。おかげで最後まで違和感を感じることなく最後まで受け止めることが出来たと思う。兵士達だけでなく村人もみんな。
文法だけで通じない英語を駆使する(駆使してないw)先生とか、すっかり米兵と仲良しになっちゃったおばあちゃんとか、双子のおじいちゃんとか、最初は兵士達を快く思っていなくて嫌味を言ってたくせに、最後には「冷えるから」と毛皮をくれた人とか。
主役の二人は「実力派イケメン俳優」さんらしいですが野●ソまでしてくれてありがとう(何がw)
かっこよかったよー。特に北の隊長さん。
白状するとアホムービーかと思って行ったのだけど、思いもよらず良かったので得した気分でした。
兵士たちが最後に笑顔で過ごすことの出来た「収穫祭」。
米兵スミスがボロカメラで撮影していたその映像が、最後のエンドロールで流れる。
あのまま、そっとしておいてもらえたなら。
あのまま、あんな風に笑っていられたなら。
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