day by day

癒さぬ傷口が 栄光への入口

どんなときも君の声、剥がれない

2019-08-08 | エイト。
エイトの日2本目。

というかカテゴリを分けるかどうか迷ったんですがあんまり増やすのもアレなので、当分このままいきます。
すばるの話です。




渋谷すばるがジャニーズ事務所を退所してフリーになったのが2019年1月1日。
2018年7月に最後のテレビ出演を果たし、「LIFE~目の前の向こうへ~」を歌いきって最後に「Eighter───!!!!」と叫んで約8ヶ月弱。すばるは見事なまでに完全に私たちの前から姿を消していた。
週刊誌などが出所も虚実もあやふやな目撃証言をもとにロスだかどこか(忘れた)の音楽学校?に通っているとか、群馬の一般女性と結婚するやらいう謎記事が出たこともあったが確かな消息ではなかった。
一方、すばるの抜けた6人の関ジャニ∞は、6人でのドームツアーを台湾公演・台風延期の振替+追加公演まで含めてすべて完遂していた。
年が明けると、錦戸亮・丸山隆平のドラマがそれぞれ始まり、怪我がまだ癒えきっていない中安田章大の主演舞台も上演された。
関ジャニ∞は、ろくに休む間もなくどんどん6人で先に進んでいた。

1月下旬には6人でのドームツアーのDVD、ブルーレイが発売された。
ブルーレイ盤の特典映像の企画の中で、大倉忠義がぽつりと言った。
「すばるくんどうしてるんかな」
安田が答えた。
「連絡はちょいちょいしてんねけどな」
「返ってくる?」
「返ってこぉへん。忙しいんやろ。また良きタイミングで連絡くるからそしたら教えるわ」

そういえば、昔すばるはラジオか何かで「彼女と別れたらどうするか」というお題で「連絡先を全部消して、一旦は完全に離れる」みたいなことを言ったそうだ。
私たちの想像するより何百倍も何万倍もすばるの決断には勇気が必要だったのだと思う。
家族よりそばにいて長く一緒にいたメンバーと一度は完全に離れてしまわないことには、きっとものすごく色々なものを捨てて選んだ道へ突き進む勇気が揺らいでしまったり後悔で鈍ってしまったりするかもしれない。
物理的に、精神的に、彼らから完全に独立しなければ何も始められなかったのかもしれない。
6人はもう、「残された6人」ではなくなり始めていて。それは6人でひとつ成し遂げたことが出来たからだ。
でもすばるにはまだこれから作るものしかない。

ジャニーズのタレントでなくなってから約2ヶ月。2月28日に突然それは出現した。
とても短い挨拶を添えて、すばるのホームページ「渋谷すばるです。」がオープンしたのだ。
それはネットニュースにまでなった。
久しぶりの消息に泣く人もいれば、なりすましではないかと疑う人もいた。

それから10日ほどして短い、旅のイメージビデオみたいな動画と一緒に、「本人でございます」という更新。
この中ですばるは「世界中を旅して色々なもの事に触れて、見て、感じて、作曲して。」という日々を送っていることを告げた。
カンボジアについて、カンボジアで感じたことについて語った。

ちょうど同じ頃、週刊誌が錦戸亮の脱退、あるいは関ジャニ∞の解散について書きたて始めていた。
すばるが「一度入ったひびは二度と戻らない」と書いたことを、すばるが去ったエイトになぞらえて「そういうことではないか」などと憶測する記事まで出た。おいおい、すばるが語ってるのはもっともっともっとグローバルな話やろ?
とにかくすばるがアジアを旅して、これまで忙しくアイドル活動をしてきた中ではとてもゆっくり思いを馳せることも出来なかった広い世界や様々な人々や「幸せ」についてとか。それが一瞬にして破壊されてしまう恐ろしさとか。それをあの小さい身体全部を使って吸収していることはわかった。

6人が6人で駆け出し始めた頃、すばるは何ヶ月もかけてそういったことを自分の心のなかにインプットしていったんだと思う。

脱退会見の時、本当はきっと全く何もこの先のことを明確には決めてなかったんだろうな。
一応、勉強でもしようかと思ったのは本当かもしれないし、どこか決まってないけど学校にでも行こうかと。あの場では言っておくしかなかったのかもしれない。
すばるはO型で、困ったことに同じO型の私には「ありそう…あるある…」と思ってしまうのだが。
漠然と学校でも行って自分の音楽を見つめ直してみるか~と思っていたものの、どこかの時点で
「学校で学ぶより自分の肌で色々吸収した方がええんちゃう?クラシックやろうって言うてるんちゃうし、学校で勉強するのなんか俺向いてへんわ」
とかなんとか思ってしまったら最後そっちに頭が行ってしまうんだよ多分…多分……。だいたい、もう音楽キャリア20年超えの37歳のおっさんやで。

実際、ロスだかNYだかの学校に通って音楽の勉強してるより、ギターかかえてアジアを旅しながら歌作りながら歩いて色んなものをインプットして回っている姿の方が絶対すばるらしいと思う。私があの会見の時に「いや、学校てwwww本気かwww」ってこっそり思ったのは本当。

ネット上では色んな人の色んな意見があって興味深いのだが、すばるが学校で音楽の勉強をするというのを本当に真に受けていて、実はそうしたのではなかったというすばるにわりと真剣に腹を立てている人が少なくなかった。
学校行くなんて嘘までついてエイトを脱退したかったのかとか。そんなにジャニーズを辞めたかっただけなのかとか。
そんなことのためにあの6人にあんなに悲しい辛い思いをさせたのかとか。
そうか、アイドルとしての渋谷すばるを愛していた人やいわゆる他担の人は、関ジャニ∞のメンバーであることを放棄した(そして他のメンバーを悩ませた)すばるを許せないのか。とか。
私はシンガーとしての渋谷すばるが好きだから、そのためにどういう方法で成長しようと彼の決断を支持したいと思う(合法内でな)。
だからこそ関ジャニ∞もまた「残された6人」ではなく「関ジャニ∞」としてさらに成長するさまを見届けたいと思う。
「すばるくんとエイト早く共演してくれないかな~」
とか無邪気に言えるほど彼らの決断を軽いものだとは思わないけど、何年後でもいい、すばるがもう6人と離れたことを後悔したり1人の道を選んだ気持ちが揺らいだりしなくなって、ひとりのシンガーとして自信が持てるようになった時には笑って彼らと同じステージに立って欲しいと心から思っている。
話が逸れてしまった。

4月26日。
奇しくも。
関ジャニ∞の15周年ドームツアー「十五祭」のチケット先行予約が始まるまさに同じ日に。
すばるの公式FC「shubabu」が開設された。
いや、多分偶然なんだろうな…
そんなん意識してやらんよな…と思いつつも何となく祭り感が否応なく高まったのが思い出される。私はとにかく十五祭の申込よりshubabu入会を優先させてアクセス制限と戦いなんとか入会にこぎつけた。
会員番号は7000番台。
入会者は初日のうちに3万人を超えたとか言うから、7000番台はわりと胸を張れる速さだったんじゃないかと思う(笑)。

6人はスピードを緩めることもままならないまま爆走を続けているけれど、そこから降りたすばるは本当に少しずつ、少しずつ前に進んでいるようだった。
決して頻繁ではないブログの更新の中、突然思うところでもあったのか、旅の日記を書き始めたのが7月の下旬。
そこから急に連続更新したりまた間が空いたりしていたのだが、突然すばるから「ブログ更新したから見てみてー」などという友達からのショートメールのような短いメールが届くようになった。
憎いね。

そして。
旅日記の続きはまだかな、と思っていた昨日8月7日の昼過ぎ。
「夏のすばるやで。」
というメールが届いた。
えっ、Demo?
何???
慌ててブログを開いてみた。
音源が貼り付けてあった。
「Demoでもいい?」


シンセの音。多分これはギターで弾くところ。

「どこで何をしてるのー」

あっ。
すばるの声だ。

すばるの歌だ。


shubabu会員の特権なので歌詞の書き起こしはあえてしないけど(意地悪)。

この歌は、すばるを愛する人たちがすばるに対してずっとずっと思っていたことそのもの。
そしてきっと、すばるが愛を込めて「Eighter!!」と呼びかけていた人たちに対して思っていたこと。
客席から降り注ぐ声を、すばるはずっと恋しがっていてくれたんだな。
きっとまた会える。でもその日を待つ毎日が長すぎる。
shubabuのパパママたちが待ちきれないでいるその思いを、すばるもまた持っていてくれたんだな。
早くライブしたいね。
早く会いたいね。
…ってゆうか私はすばるにまだ会ったことないんだよ。早く会わせて。

1年ぶりのすばるの歌を聴きながら、仕事途中だったけど何度も繰り返し聴いて私は泣いていた。



でもこれ、6人を思うすばるの気持ちでも少しはあってほしいなって勝手にちょっと思う…くらいは許して欲しい、なんて。ちょっと思う。


すばるはきっと良い休日を過ごせたんだろうな。
もう少ししたらきっと会える。
その日をもう少しだけ待ってる。


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