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人生色々な人が居るので多様性を肯定しつつ、何かを提言し「言葉」をつくっていくブログ。

渡辺直美さんの本意

2021-03-20 23:20:17 | 社会批評
※noteに書いた内容ですが、gooブログでも公開します。

オリパラ不適切演出問題における、渡辺直美さんによるコメント
(参照:渡辺直美、東京オリパラの不適切演出報道にコメント「太っている事だけにこだわらず『渡辺直美』として表現していきたい」…全文掲載
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea6e136d91145ccae3349c39f4b8b0dd1948d6a7)
について、大人の対応と評価するSNS等の投稿を多数見かけましたが、渡辺直美さんのコメントの意図(本意)を理解できていないのではないか?という違和感を私は感じていました。
大人の対応という評価に連なる言葉を読んでみると、「容姿や体型について何も言えなくなる世の中は息苦しい」とか、「渡辺直美さん自身が容姿や体型をネタにしてお笑い芸人として売りにしていたのに騒ぎすぎ」とか、「渡辺直美さんに仕事が来なくなっても良いのか?」というオリパラ不適切演出を擁護しつつ、容姿や体型におけるジェンダー問題をノイズ化し、矮小化しようとする意図が明確に見えてきます。
要するに、渡辺直美さんのコメントを自分の都合の良いように解釈して「大人の対応」という言葉を引用して評価しているという事です。
渡辺直美さんのコメントの本意を客観的に理解した上で、「大人の対応」と評価している人は殆どいません。
では、私は渡辺直美さんのコメントをどのように解釈したか?

冒頭部分:「オリンピックの件ですが、去年、会社を通じて内々に開会式への出演依頼をいただいておりましたが、コロナの影響でオリンピックも延期となり、依頼も一度白紙になったと聞いておりました。それ以降は何も知らされておらず、最初に聞いていた演出とは違うこの様な報道を受けて、私自身正直驚いております。」

私の解釈:この時点で、オリパラ不適切演出の内容について、最初に聞いていた演出とは違うとはっきりと違和感を表明しています。

中間部分:「表に出る立場の渡辺直美として、体が大きいと言われる事も事実ですし、見た目を揶揄されることも重々理解した上でお仕事をさせていただいております。
実際、私自身はこの体型で幸せです。なので今まで通り、太っている事だけにこだわらず『渡辺直美』として表現していきたい所存でございます。」

私の解釈:この部分では、「太っている事だけにこだわらず渡辺直美として表現していきたい」という言葉を通して、体型が自分のキャラクター、芸の、全て、ではないことを宣言し、表現者としての渡辺直美を強調しています。
オリパラ不適切演出についての不服と抗議を暗に示しています。

完結部分:「しかし、ひとりの人間として思うのは、それぞれの個性や考え方を尊重し、認め合える、楽しく豊かな世界になれる事を心より願っております。
私自身まだまだ未熟な部分もありますので、周りの方にご指導いただきながら、これからも皆様に、楽しんでいただけるエンターテイメントを作っていけるよう精進して参りたいと思います。」

私の解釈:ここで大切なのは、「ひとりの人間として」という言葉です。
「それぞれの個性や考え方を尊重し」も、先ず、お互いを人間として尊重しあう事が前提です。
相手を人間として尊重する事を人権といいます。
相手を人間として尊重した上で、お互いの個性や考え方を認め、楽しく豊かな世界を願っているという意味だと私は解釈しています。

勿論、私も渡辺直美さんのコメントの内容は大人として立派だと思います。
しかし、渡辺直美さんの本意から、かけ離れた解釈で、体型や容姿を揶揄できない社会は息苦しいとか、渡辺直美さんの仕事が無くなるとか、ジェンダー問題を軽視し、オリパラ不適切演出を擁護する目的で、大人の対応と評価してしまっている方々がいる事は非常に残念な事です。
渡辺直美さんは事務所を通したコメントを発表した後日、より具体的な意思を表明しました。
(参照記事:渡辺直美、”容姿侮辱演出”を真っ向批判「絶対に断るし、意図がわからない」 | ORICON NEWS https://www.oricon.co.jp/news/2187738/full/)
私が感じた違和感と同じ違和感を渡辺直美さんも感じたのかもしれません。
何を隠そう私も少年期から肥満体型で、体型や容姿を揶揄されて傷ついた経験があります。
おいデブ、ブタは当たり前。
キリがないので愛想笑いしてやり過ごす訳ですが、言われるよりも、言われないほうが絶対に良いし、正直、生き辛さを感じていました。
体型や容姿を揶揄出来ない社会は息苦しい?
は!?こっちは生きるのが辛いんだよ!
と、言いたいです。
社会人になり、大好きな音楽をやりたくて、ドラムを練習して、ドラマーになり、ライブハウスやイベントで、ドラムを叩くようになりましたが、若い頃はビジュアル系のロックバンドでドラムを叩いていたので、体型や容姿で、対バン相手やお客さんにクスクス笑われる事もありました。
しかし、演奏で認めてもらえるように努力してきました。
現在は、ビジュアル系以外のジャンルでドラムを叩く機会も増えて、楽しんで演奏しています。
体型や容姿による、偏見、いじめ、差別、社会的圧迫は実際にあります。
それは、経験した人間にしか解らないのかもしれません。
渡辺直美さんが言ってるように、体型や容姿の揶揄による、生き辛さを、現在、感じている人もいるし、乗り越えようとしている人もいるし、乗り越えた人もいるでしょう。
しかし、乗り越える事が出来たとしても、心の傷の痛みを今回の件で思いだしてしまう人もいる訳です。
だからこそ、渡辺直美さんは、より、具体的な強い言葉で意思を表明したのです。
同じ境遇で、生きていた私には渡辺直美さんの気持ちが痛いほど解ります。体型や容姿だけに拘らず、人間として尊重した上で正しく評価して頂きたいのです。人の体型や容姿を揶揄しないと生きられませんか?
何が息苦しいんですか?
冗談じゃないと言いたいです。
今回の件で、体型や容姿によって生き辛い思いをしている全ての人が、安心して、心穏やかに生きていける、優しい社会が実現する事を心から願っています。



画像:2019年の和泉の国ジャズストリートでドラムを演奏する私

やりたい事よりも出来る事

2021-03-15 19:49:15 | バンド活動
自分がやりたい事と、できる事は違う。
仕事でも、音楽でも、そう。
自分がいくらやりたいと思っても出来ない事は残念ながらある。
しかし、自分があまりやりたい事ではなくても出来る事はある。
先ずは、やりたい事よりも出来る事をやる事を学んだのが音楽。
最初は以外にもボーカル志望でバンドでボーカルやっていたんよね。
しかし、ドラムがやめてしまうことが多くてどうしようかなと。
周りを見ると自分よりも歌が上手な人は沢山いる。
じゃあ、私がドラムやればいいよね。
というのが、ドラムをやりはじめたきっかけ。
私のプロフィール画像はボーカル時代の最後のデモテープのジャケ写です。
Visual系デスメタルユニットをやっていたんですが、相棒がインドに行って解散。
ほいで、BUCK-TICKのコピバンにドラムで参加。
本当はデスメタル、コアな音楽をやるつもりだったけど、高速ツーバスとか無理で、シングルバスから練習したらいけそうだったのでBUCK-TICKやZI:KILLやD'ERLANGERをやることにした。
ヘタクソだったけど、飽きないし、持続出来た事もあり、現在はロック以外のジャンルでもドラムをやらせてもらっている。
シングルバスでコアなリズムを叩ける事も解ったので、出来なかった事を補完出来ている。
現在はツーバスなんか、やろうと思わなくなった。
ハイハットを踏まないと面白くない。
結局、やりたい事よりも出来る事をやったほうが早道だったりする。
と言う事で、これからも出来る事を頑張ろう。

動画は2019年に開催された和泉の国ジャズストリートでの、胡や(えびすや)バンドのライブ動画です。
ドラムを担当しているのが私です。



イデオロギーを超えて

2021-03-14 22:47:44 | 社会批評
なんというか、日本国内の一部保守の発言を見ると、多数者、多数派、多数意見(マジョリティ)が、少数者、少数派、少数意見(マイノリティ)に逆に侵害、差別されているという妄想の世界で生きているのではないかと思います。
まずもって、一部保守は在日コリアンが日本や日本のマスコミを支配しているとか、すごい妄想を発揮しています。
いや、現在、日本の国家統治機構(日本政府)の中心に居るのは一部保守が猛烈に支持している政府与党自民党であり、スガ総理大臣です。
大阪府政、大阪市政の政権与党である大阪維新の橋下、松井、吉村が毎日のように何処かのテレビ局の番組に出演しているのを考えても、在日コリアンがマスコミを支配しているとかあり得ません。
日本国民総数の200分の1にも満たない人数(50万人にすら及ばない)しか居ないのが現実です。
一部保守は在日コリアンのみならず、女性の社会的地位の向上やセクシャルマイノリティの権利向上にも反対するが、やはり、これも、少数によって、多数の権利が侵害されるのではないかという被害妄想、逆差別妄想だと評価せざるを得ません。
例えば、同性パートナーシップ条例にチャンネル桜が物凄い反対運動を展開し、セクシャルマイノリティが日本を滅ぼす等のぶっ飛んだヘイトスピーチも炸裂。
同性パートナーシップ条例は同性婚では無くて、地方自治体が、戸籍上同性であるカップルに対して、二人のパートナーシップが婚姻と同等であると承認し、自治体独自の証明書を発行することで、公営住宅への入居が認められたり、病院で家族として扱ってもらえたりという一定の効力を期待できるようになる制度のことです。法的な拘束力はありません。
(参照:https://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/out_proud/PartnershipOath.html)
同性婚について、議論が深まっておらず、理解が浸透していない現状にも配慮した上での同性パートナーシップ条例がマジョリティの権利を侵害しているなんて事はありません。
言わば、同性婚が時期早々ならば、異性パートナーで保障されている事実婚の権利を同性パートナーでも保障してくださいという、至極、謙虚で、真っ当な意見なのです。
これに付随する事例として、現在、槍玉に上がっているのは選択的夫婦別姓です。
選択的夫婦別姓というのは同性婚を無くすというものではありません。
現行の夫婦同姓のみの結婚制度に対して、選択肢として別姓婚も加えて頂ければというものです。
反対派の意見を簡単にまとめると、仕事場で旧姓を名乗れるから、別姓婚は必要がない、事実婚か認められているから別姓婚は必要がない、旧来の家長父制(父権制)破壊による家族破壊、強いてはこれが皇統の破壊に繋がるのではないかという懸念があると思われます。
これについて、ひとつ、ひとつ、夫婦別姓賛成側の意見を申し上げれば、現行において、仕事上、認知されている旧姓を名乗っている女性が存在するのは事実でありますし、事実婚が認められていても、共同親権を得られない訳ですから、子供を産み育てる為に、別姓婚の権利保障を求めるのは当然です。
家長父性制ですが、それはひとつの家族の在り方として、尊重しますし、同性婚、家長父制を維持したい男女の家族が失われる訳ではありません。
しかしながら、現代社会においては、男女の人生観、価値観、結婚観、家族観も多様になり、経済状況や生活様式は激変しております。
少子高齢化は加速の一方、国内結婚率も出産率も、現行、悪化することはあっても、好転するのは難しいのが現状ではないでしょうか?
選択肢として別姓婚が増えれば、確実に、国内結婚率と出産率は上がります。
自公維は既に外国人受け入れ、事実上の移民受け入れに舵を切っています。
しかし、外国人が働く環境すら整っていないし、差別が横行する現状では急速な移民受け入れは危険です。
ならば、別姓婚を選択肢として加えて、国内結婚率と出産率をあげるのは、共同体(国家)の維持の為に必要であると考えます。
皇統の維持ですが、天皇の皇位継承、もしくは皇室のご結婚については皇室典範の定める所であり、我々、大衆の結婚制度とは大きく異なり、別の問題です。
皇室典範は皇室会議、国会によって議論され改正という運びになる訳ですが、私は皇統の維持、皇位継承、皇室のご結婚について、天皇皇后両陛下、並びに皇室のご意思を尊重致したく思います。
更には皇統の弥栄を願い祈念する者であります。
よって、夫婦別姓賛成が天皇、皇室の破壊するとか、賛成者は日本の國體を破壊するというのは、些か、誤解であると私は思います。
そんなことはありません。
最近、田嶋陽子氏の昔の言動を槍玉に上げたニュース引用サイト(参照:https://sn-jp.com/archives/32434)が選択的夫婦別姓を捻じ曲げて反対論を展開していますが、夫婦別姓賛成者は別に田嶋陽子氏の発言を下敷きにして賛成している訳ではありませんし、田嶋陽子氏が賛成者を代表する立場でもありません。
夫婦別姓賛成者の増加は価値観の多様化と経済状況と生活様式の変化によるものであり、政治的イデオロギーの範疇を超えたものです。
時代背景や経済状況等のあらゆる問題を考えた上での、議論の活発化を願うばかりです。
今回はこれまで。

#選択的夫婦別姓
#ヘイトスピーチ