カメラを片手に

うどんのルーツに奈良も

ヒヨ・鵯の威嚇する鳴き声で二度寝から起こされると薄暗いのにもう朝7時、
外気温は6℃と寒中なのに3月上旬の日々が続き、体もすっかり暖冬モード
しかしキーッとした氷点下の寒さが欲しいものだが、一ヶ月予報も暖冬らしく
明日夕からは暖湿が流れ込み、一週間ほどは3月下旬の菜種梅雨のような
天候が続くようだ。
11時
現在、若草山の芝は乾燥状態なのに、明日夜半から雨が続き、土曜日の
降水確率は60%、予備日の日曜日も80%と・・・。
芝が濡れていると山全体に燃え広がらず『若草山焼き』は中止かもしれない。
    *当日の開催案内はテレドーム 0180-991-707

なお若草山麓の特設ステージ横では
「鹿せんべいとばし大会」が12:30-15:00、なお受付12:00-14:30 と
三社寺にゆかりのある温食、 13:00-19:00(売り切れ次第終了)
・興福寺は「粕汁」、菩提酛・日本酒発祥の地で酒粕を利用したからか?
・東大寺は「のっぺ汁」寺院の宿坊で、残り物の野菜に葛粉でとろみを
 つけて出した汁物から生まれたともされ、奈良が最古といわれる。
・春日大社は「春日餺飥(はくたく)うどん」:見かけはきしめんに似る。
2015.11 

 現在奈良では「うどんのルーツは奈良にあり」とプロモーション中
 というのも 平安時代中期、右大臣藤原実資の日記「小右記」に、
 〝 一条天皇の春日詣(989年)にて、切り麺として餺飥(はくたく)が
  供された〝との記述が、さらに、鎌倉期の料理書「厨事類記」には
 「棒で押し広げて刀で切り、ゆでる」と記され、これをもとにしている。

これに黙っていないのは、うどん県の香川県でしょう。 でも二説あった。
①弘法大師が806年中国から持ち帰った「こんとん・混沌」とする弘法大師説
②香川県でも食される団子汁が室町時代、麺状になって生まれた「団子汁説」

さてどちらに軍配を上げられるかというと
弘法大師説であれば、うどん発祥は香川県の讃岐がルーツと考える???

また博多がルーツとする見解もある。
鎌倉時代(1241年)に中国から帰国した円爾(聖一国師)が製粉の技術を持ち帰り、
「饂飩・蕎麦・饅頭」などの粉物食文化を広めたとする説があり、
承天寺(福岡市)境内には「饂飩蕎麦発祥之地」と記された石碑も・・・]。

「うどん」の語源から考察すると、諸説があるが正解はなく、二説が有力と。
①青木正兒(1887-1964年)の言葉の変化による起源説
  「餛飩(こんとん)から派生「饂飩(うどん)」に変化した。
②奥村彪生(1937年~)製法と食べ方による起源説」
  「切麦(きりむぎ)からの派生で「温飩(おんどん=太切りの熱湯つけ麺)」に。
     *奥村氏の著書「日本めん食文化の1300年」より

小麦粉の歴史を紐解くと、小麦発祥の西アジアから粉化技術とともに
「麺(ミエン)」として中国にもたらさた。一つは小麦粉に水を加えて練られた
「餅(ピン)」が、蒸す「蒸餅」、焼く「焼餅」、かん水などを加え棒状に捩り
油で揚げる「油餅」、スープで茹でる「湯餅(タンピン)」に四種類に変化し、
茹でるが今の麺の原型と考えらる。
二つ目は、中国最古の麺といわれる「索餅(さくべい)」、小麦粉と米粉を混ぜて
塩水で練り、太い縄状にねじった太い麺のことで、これを水中で指で薄く延ばす
水引麺をスープに入れて茹でて食べたのがうどんの原型とも・・・。

さて日本で小麦が栽培され出したのコメの裏作として3世紀のこと、奈良時代に
なると中国から石臼(東大寺境内の古井戸から破片が出土)とともに伝わった
とされる中国最古の麺「索餅」がある。日本では「麦縄(むぎなわ)」と呼ばれ、
様々な行事や儀式などに供物になった記録が残る。
      (「素麺(そうめん)」の原型とも)
さらに鎌倉時代頃までには、小麦粉を水でこねて細く切った「切麦」に変化し、
うどんの原型が登場したと。

江戸時代には、庶民の外食文化として「うどん」と「そば」も発達しており、
現在うどんの薬味は七味唐辛子を使いますが、江戸時代中期まではコショウだった。
うどん文化は現代へメンメンと引き継がれて、また変化していくのでは・・・。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事