カメラを片手に

秀吉が建立した方広寺の大仏殿跡は

師走朔日の朝は、強い寒気が流れ込み始めて5.5℃迄下がる奈良、日中は
日差しも少なく、お昼頃の気温は11℃台前後で寒ーい。
明後日朝は1℃台まで下がり、真冬並みの天候になるらしい。
      11時、9.8℃、58%

さて遠く東の若草山の一重目頂上の下側のススキが、枯れて白くなる。
晩秋も終わり、夕日に輝くススキを撮りに行きたいものです。

今日は「いのちの日」、
厚生労働省が2001年に自殺予防活動の一環として制定している。
そして精神的危機に追い込まれ誰にも相談できずに1人で悩んでいる人たちの
ため、今日から1週間、無料の相談電話「いのちの電話」が設けられている。

3年間もコロナ禍で人との交わりが阻害されており、悩める人が増えていると
お聞きする。一度死んだと思って、立ち向かってほしいものですね。

一月前の話になります。
京都国立博物館へ連れ合いと一緒に特別展「茶の湯」を鑑賞して、大和大路
通りを北へ向う。お昼を留学生の接客される京都和心館世界カフェで摂り、
東側の「豊国神社」にお参りをした。なお我は昨年に続き二回目になる。
      

豊国神社は、桃山時代の豊臣家の威勢を示す神社ですが、実は江戸期に廃寺と
なるも明治政府により、この地に再興された。
手水舎には瓢箪の注ぎ口から水が・・・
     

太閤秀吉様も・・・     

桃山時代建築の国宝建造物の本殿正面の「四脚唐門」、南禅寺金地院から移築
されており、かつての伏見城の遺構らしく、豪華に装飾された欄間や扉などに当時の雰囲気が偲ばれます。揃って二礼に拍手一礼を。

奥の拝殿です

本殿は隣接する大仏殿跡緑地から木々間から見させていただいた。
立派な本殿ですね。
      

なお豊臣秀吉のお墓は、1Km東南東の阿弥陀ヶ峰山頂にある豊国廟です。
女坂を上がり、最後の489段の階段がきついと聞く。100円で拝観できる。

さて絵馬の代わりに瓢箪の形に・・・馬印の千成瓢箪でしょうか。
      

神社北隣には、大坂冬・夏の陣の引き金となった鐘銘事件で有名な梵鐘がある
方広寺」があり、左横から入れば、直ぐに鐘楼です。
      


梵鐘、浮彫の字の一部が白く縁どられる。「国」「君臣豊楽」
この字ですね、いちゃもんもいいところですね。おおコワ
      

鐘楼に沿い東側に狭い路地を抜ければ、「大仏殿跡緑地」がある。
      

大仏殿の遺構が残されていると説明板に。


1586年に秀吉は、東大寺大仏15mを越える、」高さ六丈三尺(約19m)の木製
金漆塗坐像大仏を造営するも、1596年の慶長大地震により倒壊した。
その後豊臣秀頼が再建に着手し、鋳造中の大仏から出火するなどの困難を乗り越え、1612年に完成したと。
徳川時代も大仏殿は残っていたが、1798年に落雷で焼失している。

              花洛一覧図 より

かつての方広寺の伽藍は南北約260m、東西約210mの規模と推定されている。
現在は小さくなりましたね。本堂もこのとおり、この中に毘盧遮那仏様が
おられ、当時の約1/10の大きさになると・・・
      

この界隈、東山でも人は少なく、三十三間堂や智積院もあり、一気に訪れる
ことができます。

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