カメラを片手に

興福寺で南都焼き打ち後の遺構が見つかる

夏を思わせる空、11時半で29度を越え今日は真夏日になりそうなほど暑い。
      11時半、℃ %


昨日8日に、興福寺に伺えば、東金堂前でフェンスに囲まれた一画を見て、

思い出したのは奈良文化財研究所10月6日の発表のこと。
南都焼き討ち後の再建された建物跡は東金堂院の門と回廊と判明したと。

興福寺・東金堂西正面約260㎡が7月から10月の予定で発掘調査が行われ、
      

その現地説明会が今日9日10時から午後4時迄行われると。

礎石の抜き取り穴などが見つかり、

門の基壇は南北約10.8m、東西約8.0m、その上の建物は桁行き約8.8m、梁行き約4.7mで切り妻造りの八脚門と類推され、門と東金堂の中心軸も揃うと。
      

また門から延びる回廊は単廊で、基壇の幅は約6.2m幅は約3.5mに。

さらに回廊の基壇の脇から焼き打ち時の焦土を含む整地土がみつかり、複数
の軒丸瓦や土師器の皿も出土したと。
形や文様から、南都焼き打ちのあった平安末期から鎌倉初頭のものであり、
この整地土の上に門と回廊の基壇が造られたと考えられた。
焼土も見つかったことから、再興された時期は南都焼き討ち後と確定された。

なお「南都焼き討ち」は 治承4年12月28日(1181年1月15日)に平清盛の命を受けた平重衡ら平氏軍がほぼ南都七大寺を焼き尽くしている。 


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