カメラを片手に

北条時宗の忌日

朝のうち厚い雲から時折陽射しが射す程度、深夜の13.8℃が最低気温から昼
過ぎには薄雲に代わり天候が回復傾向で、最高気温も18.7℃迄上がる。
週末は良い天候に恵まれ花見日和、でも来週初めはまた雨がちだとか。
      11時半、17.0℃、67%

東の春日奥山を眺め、若草山の桜はとみて見れば・・・  👇若草山頂342m 


さて奈良県で一番の桜の名所、一目千本・吉野山の開花状況(4月4日現在)

NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「ニリンソウ・二輪草
キンポウゲ科の多年草、春の山野草(山菜にも)で、一度に3枚の葉が茎から直接生える総苞葉が特徴で、通常2本の茎から白い萼片を持つ直径約2㎝の花
を2輪咲かせることからこの和名となる。だが必ずしもそうではない。 
花は5枚の小さな花びらの中心に、長い雌蕊と小さな雄蕊がたくさん生える。
花言葉は1つの茎になかよく花が2輪咲く姿から 「かわいらしい」と。
      


740年前1284年のこの日、鎌倉幕府8代将軍「北条 時宗」享年34歳で没す。
結核とも心臓病など病気療養中、同日に自らの死期を悟り出家し逝去する。
墓は円覚寺にあり、日本の武士と元軍の兵士も平等に祀られています。 

16年間の在位、評価は分かれるが、内政にあっては北条氏嫡流の一門である
得宗権力の強化を専制的に図る政治家・権力者であったが・・・
後嵯峨法皇が1272年に死去し、亀山天皇と後深草上皇のどちらが治天の君に
なるかで対立が起き、交互に立てる「両統迭立」の裁定は、50年後の南北朝
時代の発端となる。

一方、モンゴル帝国・大元朝の2度にわたる元寇、1274年の「文永の役」と
1281年「弘安の役」で退けたことから、その後の日本を諸外国から守ったと 
評価されている・・・江戸期以降のようですえね。

一方禅宗に帰依し、特に臨済宗の僧「無学祖元」を南宋から招聘後し深く帰依
家族に対しても温情を以って接したとされる。
時宗の三回忌の際に無学祖元は次の賛辞の言葉を連ねている。
〝時宗は40年未満の生涯ながらその功績は70歳を越えて生きた人にも勝る、
 感情的になることなく、驕ることもない立派な人物だ〝と。

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