カメラを片手に

広島旅は厳島神社の大鳥居

今朝の最低気温は平年より高い24.1℃、午前中は日差しもたっぷりだったが、
午後からは雲が覆うようになった奈良、最高気温は33.9℃と平年よりもやはり
高く22日にならないと、涼しさを感じさせない予報になっている。
      13時半、31.7℃、56%

さてNHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はツユクサ科の「ツユクサ・露草
東アジア原産の一年草、和名に由来は、夜が明けると朝露に濡れながら咲くこ
とに由来するという説、別名の「ツキクサ・着き草」が転訛したとするなど。
      

ツキクサのように、花弁は触れるとすぐに破れて色素が飛び出すインスタント
な染料となり日本最古の染料の一つ、この色は明度が高い藍色を「縹色・はな
だいろ」といい、水に溶けやすく、すぐに脱色するが、この性質を逆手にとっ
て、友禅の下絵に使われている。
色落ちしやすい性質や一日花であることから、古典文学ではツユクサを人の
心の移ろいやすさの象徴として用いられた。 
万葉集 十巻 2291 不明 
『朝開 夕者消流 鴨頭草乃 可消戀毛 吾者為鴨』
「 あした咲き ゆふへは消ぬる 月草の 消ぬべき恋も 我れはするかも」
意味)朝に咲いて、夕方にはしぼんでしまう月草のような、
          消え入りそうな恋を、私はするのでしょう。

さらに別名として「エノグバナ・絵具花」「ウツシバナ・移し花」「カラアイ
・唐藍」「アイクサ・藍草」「アオバナ・青花」「ソメコバナ」とも。

花言葉は「尊敬」「懐かしい関係」

俳句では、今日は「鬼城忌」で
   『露草や弓弦はづれてむぐら罠』  村上鬼城 

鬼城とは、明治~昭和前期の俳人「村上鬼城」、1938年、74歳没。
鳥取藩の江戸藩邸生まれ、正岡子規に文通による指導を得、大正期に高浜虚子
らに力量を認められ、飯田蛇笏、前田普羅らとともに大正期の《ホトトギス》
を支え、《鬼城句集》《続鬼城句集》《鬼城俳集》などがある。

心耳の詠み人」と呼ばれるように難聴に苦しみ、一茶に似た境涯の句を詠む

    『生きかはり死にかはりして打つ田かな』 鬼城

広島旅の続き、憧れの厳島神社へ


厳島に朝10時前に高速船を下りれば・・・
お隣のフェリー乗り場「宮島桟橋」、船が着くたびに、どっと人が下船される
           

広場の横には林春斎の「日本三景の碑」
   『安藝嚴嶋陸奥松嶋丹後天橋立爲三處奇觀』寛永二十年 林 春斎
江戸時代前期の儒学者「林春斎」が、寛永20年8月13日(1643年9月25日)に
執筆した著書『日本国事跡考』より、
また日本三景を雪月花に当てはめれば「雪」は天橋立、「月」は松島、「花」
は紅葉を花に見立てて宮島をあてるらしい。      

そして厳島神社を現在の形にされた立役者「平清盛」の銅像も
      

さらに日本三景でただ一つだけ世界遺産に指定された碑も
      

更に海沿いに進めば1923年指定の「史跡及び名勝 厳島碑」1931年建立
      

表参道商店街へ行かずに、

大鳥居を見るために閉鎖された門の脇を抜けて、海沿いを歩く。
表参道商店街へ導くために閉鎖されているようですね。      

 
この海岸は、昭和に入り埋め立てられたようです。 
石の大鳥居と、海に浮かぶ朱塗りの大鳥居が


    





      


紅葉谷コースで弥山の頂上へ登り、大元コースで厳島神社へと下れば午後2時
前です。干潮は午後3時頃ですが、1時過ぎから大鳥居まで歩けると聞いた通り厳島神社出口側から海側におりて、大鳥居をくぐり反対の岸の神社入り口から
参拝させていただきました。


大鳥居まで歩きました。


この大鳥居は厳島神社社殿から約160mの海上に建てられている高さ16.6m、
棟長24.2m、主柱周9.9m、総重量は約60tとされ、千本杭のうえに建つ。
重文指定の木造鳥居としては日本最大とされ、 奈良の春日大社、福井の氣比
神宮の大鳥居とともに日本三大木造鳥居の一つ。
現在の大鳥居は平安時代から数え、1875年に再建された9代目。主柱の材質は比重が重く、腐りにくく、虫に強いことからクスノキが選ばれ、東柱が宮崎県
産、西柱が香川県産のもの。 
なお創建時は18mで、1561年の毛利隆元の再建時に最大の23mとも。
大鳥居の屋根下の棟にあたる笠木・島木は箱状に作られ、中に約4t分の小石が
重しとして詰め込まれている。


            宮島観光協会HPより


海側の扁額は 「厳島神社」、創建時は小野道風の筆だったと。
      
正式な参拝方法は、船で大鳥居をくぐり、舞台から祓殿に参殿するという。
我も歩いて大鳥居をくぐり、参拝することにしました。


中央にはまだ水が引いており、50m神社側に渡る石=石畳が置かれている。
      

渡り、朝に来た岸に上がり厳島神社入口へと向かいます。

社殿側の扁額は「伊都岐島神社」 、創建時は弘法大師の筆であったと。 
      

2019年6月から始まった修繕で覆屋に囲まれ、姿を現したのは2021年10月28日
3年半ぶりとなり、一度訪れてみたいとの願いが叶いました。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「神社仏閣」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事