NHKの『終戦 なぜ早く決められなかったか』、見られました。
先日の再放送、録画失敗して何ともorzな感じだったのですが某所を探したらでてきた。
縦割りの官僚主義が情報の共有を妨げ、決断できないリーダーたちが終戦を遅らせた、結局はそういう話でした。
というか、そうとしか話の持って行きようがないかー
で、
この本出してぺらぺらめくっていました。
米内光政から借りた本人の手記や口述を高木惣吉が写し、高木の死後に実松譲が編集出版したもの。
テレビでスポットがあてられていた最高戦争指導会議の話も出ていて、番組の肝になっていた参謀総長梅津美治郎の昭和天皇に対する返答も編注の形で挟まれていました。
しかしあまりにも簡略過ぎて普通に読んでいたらそんなに重要だとは思わずスルーする可能性が非常に高い^^;
ドラマ仕立てになっていると随分わかりやすかったですが、昭和天皇があそこまで突っ込んで話をされていたというのには驚きました。
戦況についてかなり焦っておられたというのがよく伝わってくる。
その場にいた6人の会議出席者はもっとよく分かっただろうし、艦隊事実上壊滅状態、陸軍部隊も一撃を加えてからなんて無理、そういう状況下でもまだ腹を割れないというのは一体何なんでしょうねえ…
主戦派に気を使うとか最早そういうレベルでもなかったように思うけど、玉音放送の際の騒動や実際にクーデターを起こそうといった動きがあった事を考えると、軍事力を持った人間が跳ねっ返ることに対する恐ろしさというのは常にあったのだろうと思う。
後世から歴史を見て、ここはこうすればよかったのに、ということは結果を知っているから簡単です。
だから安易に批判をするのはどうかと思うけれども、どうしてあそこまで個々に上がってきていた情報を握り潰したり、謀略だとして頭から信用できないとなってしまうのか。
謀略だと思うのは状況からして仕方ないけど、やはりどうにかならなかったのかと思ってしまう。
ヤルタ協定にしても違う筋から同じ情報が入ってきていたことは番組内でも明らかになっていたし、アメリカの日本との和平を早めに進めた方が…という話にしてもそうだった。
(※当時の米国国家主要ポストをコミュニストが多く占めていたというのは『ルーズベルト秘録』で明らかになっています)
もの凄く月並みだけど、横の情報共有が出来ていたらもう少し早く、違う形で、死者も少なくして戦争が終わっていた可能性もあったのではないかという感じは受けました。
今の問題と殆ど変わらない(そっちの方が問題)。
あと、番組最後の指導者の「無為無策」という高木惣吉の言葉が…
”決められない”というのが一番の問題だったんだろうと思う。
この最高戦争指導会議が6月22日。対日ポツダム宣言が調べてみたら約1ヶ月後の7月26日。
当時首相であった鈴木貫太郎がこれを「黙殺する」とし結果原爆を落とされたという話ですが、実際には鈴木がどう答えたとしても原爆投下はポツダム宣言を出した時点でアメリカでは確定事項だったようです。
この日時を見ると本当に重要な時期の重要な会議であったということが分かるだけに、何と言うか。
ヘビーだ…
びっくりしたのがソ連の侵攻を降伏に向けての天佑だと思ったという証言。
現地にいる兵士や国民を何だと思ってるんだ。
こういう人たちにはソ連に何年も抑留された兵士や暴行された女性はどう映ってたんでしょうかね。
降伏するための正当な犠牲でしょうか。仕方なかった、で済ますんじゃないか。
この人たち、原爆が落ちたことさえ天佑だったというんじゃないかと思うとぞっとする。
少し話は飛びますが、「米内光政と山本五十六は愚将だった」という本があります。
私は読んだ事はないのですが、どういうことが書かれているかの予測は大体つきます。
世間一般的には「海軍善玉論」が強いので…阿川弘之さんの影響だろうけど。
小説とはいえひとつの人物評だと思うけど、「海軍は良かったけど、陸軍はダメだった」色が出過ぎていて、あれだけでは見方にかなり偏りが出るのは確かでしょう。
海軍の終戦工作として、かなり好意的に見られる事が多い人物ですし組織でもありますが、多角的に見る目というのは大事だな…
***
昨日更新するつもりがあまりに眠くて30分寝よう!(9時15分)→起きたら5時。あれ?
…orz