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移転しました(2014/1/1)

上原勇作@香櫨園(半地元!

2009-04-06 | ヒストリ:近代MTS


夙川の桜♪
多分明後日くらいが満開。春っすねえ。
夙川のあたりは阪神間での桜の名所のひとつ。
右上の写真ではいまいちですが、もう少し上にあがると本当に綺麗。
そして日本屈指のケーキ屋激戦地区でもあります。
苦楽園のあたり。
エルベラン、ミシェルバッハ、ポワゾンダブリル、アルザス、ヘキセンハウス…
なんともうっひっひ~なところ(笑)
海の方に下ると香櫨園、アビルテ、アトリエパレット。
他にあったかな?
あ、香櫨園の方は昔別荘地だったんですね。
その昔「上原勇作関係文書」読んでいてびっくりしたんですが、香櫨園に上原元帥の別荘があったそうです。
宇都宮太郎だったか、彼からの手紙の宛先、香櫨園というのがちらほらと…
日露戦争時の第4軍(野津軍)の参謀長の上原ですよ。
嬉しいというか…ぶっちゃけ私はこの方好きではないんで、そうなんだ~位だったのですが、地元でそんなビッグネームを聞くことがあるとは思ってなかったのでやはりびっくりでした。

上原勇作は財部彪と同郷、宮崎県都城市の出身になります。
いいか悪いかは別として、上原は非常に故郷の後身を引き立てる。
財部はそういうことは一切しない。
そういうこともあってか、地元ではふたり、非常に比べられたようです。
そんで財部君の評判は非常に悪かったそうな…
確かに財部はそういう所があるように思います。
色んなことに対して結構カラッとしている。カラッというかドライやな~と思う所が。いいか悪いかは別として(笑)

上原勇作に対して良い印象を持っていないのは、私が軍部大臣現役武官制度や統帥権を勉強していたからなのですが、その印象も個人のフィルターを通すとまたカラーがほんの少しだけ変わるのが不思議です。
今村均が若いころに上原勇作の副官を務めていたのですが、その時の話が「今村均回顧録」につづられています。



上原は大学南校(東京帝大の前身)にいたのですが、それを中途退学して陸軍士官学校に入っています。秋山好古と同期。
卒業後海外留学を数度経たのち日清日露の戦争に従事していますが、その間ずっと研究を欠かさない。


ずっと中央の要職に当っており、直情径行、他がどう思うかなどを、顧慮することなしに所信を説く。
自然、階級が進むに従い「雷おやじ」のあだながつき、周囲から煙たがられていた武人だ。
碁、将棋その他、ほとんど趣味道楽をもたない。
唯一つのたのしみであり、癖というほどになっていたものは、列国の軍事書を主とした諸般にわたる読書であり、「読書がなければ上原もない」とは、自身もよく口にしていた。


骨のある、ものすごい勉強家だったそうで。
個人の思い出は、歴史上何をしたかというよりも「どんな人物だったか」がよく伝わるものですので、基本的に好意的に受け取ることが多いです。
んが。
上原の場合勉強家でそれなりに凄い人だったのだな、と少し色は変わっても

直情径行、他がどう思うかなどを、顧慮することなしに所信を説く

…あー…だから内閣倒閣できたのね。
という負のレセプターの方が大きすぎてね。どうもこりゃ。
しかし「煙たがられていた」だなんて、なかなか毒舌ね。今村大将も(笑)



ちょっと話が出たので。



おとなとこども。笑。



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