わたしの愛憎詩

月1回、原則として第3土曜日に、それぞれの愛憎詩を紹介します。

第13回 ―エリザベス・ビショップー 喪失の技法 水島 英己

2018-07-11 16:20:05 | 日記
  エリザベス・ビショップの“One Art”という詩が昔から好きだった。ビショップは最近では、2016年に、ブラジルのカルメン・L・オリヴェイラの『めずらしい花 ありふれた花 ―ロタと詩人ビショップとブラジルの人々の物語 』(水声社)という題で訳された本で取り上げられていた。この本の訳者、小口未散はあとがきで次のように書いている。「本書はリオデジャネイロのフラメンゴ公園造成を発案した女性ロタ・ヂ・マセード・ソアレス(1910-67)と、アメリカの詩人エリザベス・ビショップ(1911-79)との、十六年にわたる愛と別れを追った評伝だ。」と。   
 原著は1995年に発表され、ブラジルでベストセラーになったという。一読してリオやペトロポリスやオウロプレトなど、彼女たちが暮らしたブラジルの土地の匂いが立ちのぼる。そのなかで二人の成熟した女性の様々な感情が光と影を織りなす。ビショップは、ロタを最後にはニューヨークで失うことになる。ニューヨーク到着時より心身ともに疲弊しきっていたロタはビショップのアパートで、深夜、ヴァリウムの瓶を持ったまま倒れ、病院に搬送されたが回復しなかった。自死同然の57歳の死。しかし、二人の伝記的な事実をもとにOne Artを読めと言いたいのではない。この詩を小口未散の翻訳で読んでみよう。
          
  一芸

  失うということは、むつかしいわざじゃない。
  多くのものには失われる意図が備わっているから
  失うことは わざわいじゃない。

  毎日なにかをなくすこと。ドアの鍵がない
  という狼狽や 無にした時間を受けいれること。
  失うということは むつかしい技術わざじゃない。

  つぎには 速く 深く なくす練習をつむこと。
  場所や 名前や 旅するつもりだった
  土地など。どれを失っても わざわいは来ない。

  私は母の時計をなくした。それに見て! みっつのわが家の
  最後の、いえ 最後から二つ目の家も なくなった。
  失うということは むつかしいわざじゃない。

  私は美しい街を二つなくした。いいえ もっとなくした、
  広やかに私の王国だった 二つの河 一つの大陸。
  なつかしいわ、だけれども わざわいは来なかった。

  ―あなたをなくしてもなお(朗らかな声、いとしい
  仕草)私は嘘をついたことにならない。明らかだもの、
  失うということは さして、むつかしいわざじゃない
  そのわざが(書いてみて!)わざわいに似てみえても。


  ビショップの原文も載せた方がいいが、字数の都合上省略する。この訳はいろいろ工夫しているのだが、少しやりすぎのような感じも受ける。例えば、直訳的には、失う技をマスターするのは難しくはない、という原文が、三行連が5つと最後の4行連の計19行の詩形(ヴィラネルという)の中で四回繰り返されるが(正確には最後の連では少し変化がある)、それぞれが訳し分けられているところなど。わざ、技術、芸当、業などとするのが必要だったかどうか。
 表面的には、軽快なヒューモアを漂わせながら、最終連へ向かって悲哀感を増幅させていく。最後の一行の、「(書いてみて)、原文では(Write it!)」が叫びのように聞こえることで喪失の悲しみが極まる。それはやっぱり、「わざわい、原文では(disaster)」なのだ。わざわいに似て見えても、わざわいではない、失う技をマスターするのはそんなに難しくない、という表面の言葉がすべて反転する。あなたをなくしたからこそ、失う技をマスターすることはこんなに困難だ、あなたの「(朗らかな声、いとしい仕草)」を忘れることは不可能だと言っているのだ。
 これは1976年に出版された“GEOGRAPHY Ⅲ” という詩集に収録されたもので、ビショップの作品の中で、最も有名なものである。こういう詩が古びることはない。第二の故郷と言うべきブラジルを舞台にした詩も書いた。旅の詩も。詩集のタイトルからも分かるように地理的な見方、自然や気象への興味などが特徴的だが、身辺の瑣事への感受性も鋭かった。彼女の墓は生地マサチューセッツ州ウースター(Worcester)にある。その墓碑銘は“All the untidy activity continues, awful but cheerful.”というので、これは「湾」という詩の、ひたすら、湾内部に見られる浚渫機や飛んでいる鳥たち、漁師のボートなどの描写を積み上げた最後に出現する二行で、深く心に残るものだ。小口は「なべて なりわいの雑事いろはは続く/いとわしくも こころたのしくも」と訳している(墓碑銘らしく訳したのだろう)。即物的な描写の果てに、こういう深い詩行が置かれる。これもビショップの詩を読む楽しみの一つだ。
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