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わたしの愛憎詩

月1回、原則として第3土曜日に、それぞれの愛憎詩を紹介します。

第39回 ―大森靖子― 鈴木 康太

2021-03-08 18:44:14 | 日記
時々自動ドアをくぐると勇気をくれる、

  きみが通ってきた自動ドアは
  私が全部手動で開けてたんだよ

(私は面白い絶対面白いたぶん)


 僕はずっと大森靖子が聞かず嫌いだった。その理由は、僕の周りにいたメンヘラな女子が熱狂的に大森靖子が好きだったからだ。メンヘラ女子は常識を知らない。常に暗く首にヘンなタトゥーをしている。ドタキャンを何回もする。リストカットの痕をみせてきて、意味深な同意を求める。所謂そういうおんなのこ、が好きな音楽なんだな、という勝手な先入観が聴くことを遠ざけていた…ごめんなさい。
 で、時が過ぎて、カラオケにきていて歌っている僕がいる。というのもこのカラオケ店は珍しく手動式なのだ。(私は面白い……)の歌は難しいけど、「きすみぃきるみぃ」は歌いやすい。自分が歌いやすいキィにして歌う。

  大冒険なコロシアムGOOGLE マップで君んちみつけた
  一キロで何百マイル?
  きすみぃきるみぃきすみぃきるみぃ
  はやく会いに来なきゃ

(きすみぃきるみぃ)


 やっぱり怖い……僕の男声でなお怖い……そう、愛憎詩を紹介してくださいといわれ(「好き」な詩ではなく「愛すべき憎き詩」らしい)、線引きが難しいなと思いながら、ああこれじゃん、僕の声では生理的に「歌えないけど歌いたい」詩。歌えるという「美」から引きはがされる真空状態(カラオケ)のなか、なにか救いを求めたい。純粋ななにか。それは埋め尽くされる想像力の中にある宝石のようなもので、その宝石は精神や肉体のぶつかり合いで磨かれる。腕と刃物の関係であったり、恋愛の関係であったり、各々がおのずと選択してきた幻想の仲介で、「遠くはない」ところから意志を伝えてくれる。足跡をのこしてくれる。

  オレンジジュースに突っこんだ
  小バエの羽がばたついた
  生きるって超せつなかった
  もう好きじゃなくなったのかな

(エンドレスダンス)

 
 ばたついて死ぬ間際のハエについて考える。それを見つめる作者について考える。ばたつきの振動をフルに感じる。蛙とびこむ水の音のように、「ハプニング」から歌ははじまることがおおい。拡張して広まっていくハエの体液、と言葉(パロール)が似ているように、飛躍的だが愛も体液で感じるときがある。ほかの人には感じられないものが、いとおしい。
 で、僕が帰宅途中口ずさんでいる曲だ。心をズタズタにしながらもやっぱり勇気をくれる。「ときわ公園」じゃない家の近くにある霊園に差し掛かったとき、白い光のようなものが漂って、ああメンヘラなのは僕の方だなとつくづく思った。

  アンダーグラウンドから君の指まで
  遠くはないのさiPhone のあかりをのこして
  ワンルームファンタジー
  何を食べたとか街の匂いとか全部教えて

(ミッドナイト清純異性交遊)


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