わたしの愛憎詩

月1回、原則として第3土曜日に、それぞれの愛憎詩を紹介します。

第18回 ―一色真理― 「とびびと」 青木 由弥子

2018-12-07 01:12:39 | 日記
 私の「愛憎詩」というテーマを前に、考え込んでいる。
 愛憎、とは、なんだろう。愛するがあまり、刺し殺してしまいたいような衝動。それは相手を所有してしまいたい、自分のものにしてしまいたい、という究極の我欲であるのかもしれず……充たされないのであれば、いっそ殺してほしい、という方向に向かうとしても、いずれも両者並立し得ない、究極のナルシシズムに立脚するものであるのかもしれない。
 一篇の詩、であるとすれば。心にビンビン響いてきて、なんとかその世界に入っていきたい、と願うのに、撥ねつけられてしまう、門前払いされてしまう、そんな絶望感をもたらすもの、であるのかもしれない。それは、愛するがあまり、憎たらしい、と反転する・・・片思いの歪みに似ている。相手が振り向いてくれない、あるいは、自分が相手にふさわしいほど高まっていない、という、自分自身への苛立ちの果て。これはとてもかなわない、自分が「言いたい」「辿り着きたい」場所に、こんなにもやすやすと到達してしまっているなんて、という、悲観と嫉妬のないまぜになったような感情でもあるのかもしれない。
 あるいは。一冊の詩集の中に、大好きな詩と大嫌いな詩が収録されている、とする。その詩集は、愛憎の対象となるだろう。それは、あなたは、本当に自分を、そのように“見せたい”のですか、という苛立ちやもどかしさ、答えの返ってくることのない問いかけ、その空無感や絶望感と重なってくるのかもしれない。
 かもしれない、と三回重ねて、また迷う。言い切れない、断定できない、これ、と自分自身を押し出すことができない……そんな自分に、そもそも、詩を書く資格があるのだろうか、と。書きたいから書くのだ、という答えが一方にあり、真に書きたいのであれば、自分自身の為に、未発表作品として書き続ければよいのではないか、という思いも生じる。詩を「作品」として公刊するということは、やはり、詩芸術そのものの発展(や進歩。前近代的な概念であるが、それに代わる言葉が未だ見つからないので、仕方なく、仮に、発展、と記しておく。)になんらかの寄与をしよう、という意志表明ではないのか。

 私が初めて一色真理さんの詩を読んだ時の驚きは忘れられない。ここまで、自らの(そして人間の)暗部ともいえるもの、生々しい傷、痛みを、なぜにさらけ出すのだろう、なぜ、そこまでしなくてはならないのだろう……。詩の「発展」のために、確信をもってあえて、自らを「生贄」として差し出しているのではないか。そう、直接問いかけたこともある。表現したくても表現する手法が見つからない、表現することへの抵抗感から逃れられない、そうした人々の為に、自ら率先して方法論を提示しているのか、あえて旗を振ることによって、こうした自己開示ともいえる方法で人間の普遍に迫ろうとする、そうした手法を取る詩人たちに、活路を開いておこうとするのか。一色さんからは、そんな英雄的な気持ちで書いているのではありません、書きたいことがあるから、書かねばならない、書かざるを得ない、そうした思いがあるから、書いているのです……そうした意味合いの、丁寧な返信をいただいた記憶がある。
 それから、何度も何度も読んだ。切なさや哀しさに身を絞られるように感じる詩もあった。『ニーベルンゲンの歌(ニーベルングの指環)』を読み終えた後の、壮絶というべきか、殺伐とした“感動”に誘われる作品もあった。生理的に、どうしても受け入れられない……語弊を恐れずに言えば、嫌悪に近い感情を喚起されるものもあれば、美しいイメージに惹かれ、その世界に浸っていたい、と思わせる作品もあった。だが、おそらく、根源的に……理解、できてはいない。それは、いまだ、かもしれないし、今後とも、ずっと、かもしれない。

 私は2012年の終り頃から詩の雑誌に投稿を始めた、俗に言う「詩壇」への新規参入者である。学生時代、いわゆる「レゾン・デートル」を脅かすような心理的な危機に陥り、そこから「わたし」を救い出してくれたのが、リルケの詩を読む、という体験だった。いや、単に読んだ、というのは誤りだろう。その詩を思想や詩想、表現意欲、更には同時代の芸術、その芸術自体が経験してきた歴史を踏まえながら、やまと言葉に“ひらいて”鑑賞する、という、稀有な講読体験を与えてくれた、今は亡き加藤泰義先生を通じて、リルケを“体感”した、という幸運に接し、「詩」という芸術分野に希望と憧れを抱いた。今もその気持ちは変わらない。しかし、当時の私に「読む」ことができたのは、いわゆる「近代の名詩」と呼ばれる作品ばかりだった。80年代、90年代の「現代詩」の、ほんの一部に触れただけで、どうも入っていけない、という抵抗感を持ってしまい、そのまま「現代詩」に背を向けてしまった過去がある。
 今、自分でも詩を書くようになって、改めて「戦後詩」あるいは「戦後詩」から始まる「現代詩」を読み直している。こんなにも奥行きの深い世界を、いわば食わず嫌いで見落としていたのか……その激しい後悔に苛まれながら、いわゆる「名詩」として評価の定まった作品だけではなく、ガリ版刷りの詩誌や、少部数の回覧誌なども、機会があれば閲覧している。俳句や短歌、漢詩などの「分野別」に分かれている現在の状況がもたらす利点と課題点、小説や思想、無意識世界を取り込むようになってからの「現代詩」の豊かさと幅の広がりに驚き、同時に、あまりに拡散しすぎて大きな網を広げたような状態になって、全体像が見えづらくなっている、という「心配」も抱くようになった。(言わずもがなかもしれないが、網の交点に、様々な詩が位置しているというイメージである。)もちろん、この「心配」はカッコつきであって、子どもが走り回っているのを勝手にやきもきしている過保護な母親的な「心配」に過ぎないのかもしれないが。
 一色さんの詩は、こうした網目の中でもかなり特異な場所に位置するものである、という印象を持っている。持ってはいるが、孤立してはいない、とも思う。SF やファンタジー、映像作品と通じる交点、あるいはフロイトやユングの見出した精神世界へと網の糸筋は伸びていて、そこから無数の詩作品とも立体的に糸が通じ、交差している。

 詩作品を引用することなく、詩に接して以来の感慨ばかり書いてしまった。先に『ニーベルンゲンの歌(ニーベルングの指環)』を読んだ時の読後感に近いものを感じた作品、と書いた。複数あるのだが、その中でも特にその印象が強かったものを一点あげるとするなら、『エス』の中に収められた「とびびと」だろう。愛憎、という点からいえば、愛の側にある作品である。論評や鑑賞を記すことはしない。引用して、この稿を終えることにしたい。

  人里離れたこの町にも時にはとびびとが訪れることがある。いや、
  一度だけやってきたことがある、と言った方が正しいだろう。夜間
  飛行をしていたひとりのとびびとの翼が炎に包まれた。赤い尾を引
  く大きな流れ星となって、とびびとが落ちてきたのがたまたまこの
  町だった、ということだけなのだから。
  
  翼を傷めたとびびとを愛したのがぼくの母だった。母ととびびとは
  野原の寝室で、夜明けまで抱き合った。夜空にはけっして消えるこ
  とのないしるしがいくつも輝いていた。オリオン、ペルセウス、ア
  ンドロメダ……。棍棒を振り上げた赤い目の狩人や、深い傷口から
  血を流し続ける獣が、夜中ふたりを見下ろしながら、ゆっくりと西
  に傾いていく。ふたりの恐怖が同時に頂点に達したとき、ほとばし
  るようにぼくの産声が世界に響いた。
  
  ぼくが成人に達したとき、父はぼくをもう一度、真夜中の野原に連
  れて行った。そして低い声で、ぼくに飛ぶことを命じた。だが、ぼ
  くは父を深く失望させることしかできなかった。遠く火を噴いて流
  れていく星がある。またひとりとびびとが空から落ちたのだろうか。
  
              *
  
  この町でただひとりのとびびとだった父は、ひとびとに家を建てる
  ことを教えた。町に新しい家が建つたび、屋根を葺くのは言うまで
  もなくとびびとの役目だった。大きな垂木を抱えて無言で頭上を行
  き来する父の気配を感じるたび、ぼくは顔を伏せて走り出すしかな
  い。逃げ疲れて真夜中の野原で顔を上げると、光るあのしるしが見
  えた。

  ぼくは野原の寝室で夜明けまで大きな胸に抱かれていた。瀕死の獣
  と追い詰めた狩人とが激しく西の空に傾いていき、ふたりの恐怖が
  同時に頂点までこみあげたとき、ぼくの体から大きな流れ星が飛び
  出して、真昼のように世界を輝かせた。ぼくの腕の中では母が絶叫
  していた。

  噂では、顔をおおった両手の間から鮮血をしたたらせながら、ぼく
  が杖をついてこの町から出て行ったのを見た者があるという。父は
  大きな垂木を抱えたまま屋根から飛び降りて死に、とびびとの記憶
  はとうにひとびとから失われた。今では何もかも遠い昔の言い伝え
  にすぎない。

  でも母は真夜中の野原で、今もぼくの帰りをひとりで待っているは
  ずだ。空には狩人と獣の輝く死体がけっして消えないしるしとなっ
  て、夜ごとにめぐり続けているけれど。