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唯幻論

岸田秀先生の思想である「唯幻論」を紹介する。混迷する現代、世界を読み解く理論は「唯幻論」以外には考えられない。

岸田秀著作一覧

2009年05月19日 | 唯幻論
岸田秀先生の著作を網羅したいと考える。
珠玉の著作。
下記の単行本から初めて、関連本・文庫本・翻訳本・雑誌を網羅する予定である。
2007年は、『ものぐさ精神分析』青土社版発行祝30周年の年でもある。(中公文庫版発行から25周年でもある。)

1977
1.ものぐさ精神分析 青土社
2.哺育器の中の大人:精神分析講義(伊丹十三氏と共著) 朝日出版社
1979
3.二番煎じものぐさ精神分析 青土社
4.争う:悪の行動学(共著 責任編集) 平凡社
1980
5.日本人と「日本病」について(山本七平氏と共著) 文藝春秋
6.出がらしものぐさ精神分析 青土社
1981
7.幻想を語る 青土社
1982
8.仏教と精神分析(三枝充悳氏と共著) 小学館
1984
1985
9.幻想の未来 河出書房新社
10.希望の原理 朝日出版社〈週刊本〉
11.さらに幻想を語る 青土社
12.物語論批判(竹田青嗣氏と共著) 作品社
13.自我の行方 増補版(八木誠一氏と共著) 春秋社
1986
14.黒船幻想 (ケネス・D・バトラー氏と共著) リブロポート
15.不惑の雑考 文藝春秋
1987
16.嫉妬の時代 飛鳥新社
1988
17.さらにまた幻想を語る 青土社
1989
18.ふき寄せ雑文集 文藝春秋
1990
19.浮遊する殺意(山崎哲氏と共著) 晩声書房
20.倒錯:幼女連続殺人事件と妄想の時代(伊丹十三氏、福島章氏と共著) ネスコ
1991
21.フロイドを読む 青土社
1992
22.現代日本人の恋愛と欲望をめぐって(竹田青嗣氏と共著) ベストセラーズ
23.唯幻論論  青土社
1993
24.ものぐさ箸やすめ  文芸春秋
1994
1995
25.自己分析と他者分析(町沢静夫氏と共著) ベストセラーズ
26.母親幻想  新書館
1996
27.心はなぜ苦しむのか 毎日新聞社
28.岸田秀対談集 ものぐさ日本論 青土社
29.岸田秀対談集 ものぐさ人間論 青土社
30.二十世紀を精神分析する 文藝春秋
1997
31.官僚病の起源 新書館
1998
32.「日本人の不安」を精神分析する 大和書房
33.対話 起源論(共著) 新書館
34.日韓いがみあいの精神分析 (金両基氏と共著) 中央公論社
1999
35.岸田秀対談集 しゃべる唯幻論者 青土社
36.性的唯幻論序説(文春新書) 文藝春秋
2000
37.なぜ日本人はいつも不安なのか(町沢静夫氏と共著) PHP研究所
38.幻想に生きる親子たち 文藝春秋
2001
39.日本がアメリカを赦す日 毎日新聞社
2002
40.ものぐさ性愛論:岸田秀対談集 青土社
41.ものぐさ社会論:岸田秀対談集 青土社
42.アメリカの正義病・イスラムの原理病 (小滝透氏と共著) 春秋社
43.一神教VS多神教 新書館
2003
44.日本人はなぜかくも卑屈になったのか (小滝透氏と共著) 飛鳥新社
2004
45.古希の雑考 文藝春秋
2005
46.日本人はどこへゆく 岸田秀対談集 青土社
47.唯幻論物語 文春新書
48.靖国問題の精神分析 (三浦雅士氏と共著) 新書館
49.生きる幻想 死ぬ幻想 (小滝透氏と共著) 春秋社

2006年
50.親の毒 親の呪縛 (原田純氏と共著) 大和書房
51.岸田秀最終講義DVD本 id/飛鳥新社

2007年
52.嘘だらけのヨーロッパ製世界史 新書館

2008年
  性的唯幻論序説 改訂版 文芸春秋
53.「哀しみ」という感情 新書館

2009年
54. 官僚病から日本を救うために 岸田秀 談話集 新書館


注:13.「自我の行方 増補版(八木誠一氏と共著) 春秋社」は増補版を記載。
  1986年の「非国民のつくり方 現代いじめ考 潮出版社」はリストから除いた。

岸田秀著作 文庫・新書 25冊(性的唯幻論序説・唯幻論物語は書き下ろし)
アマゾンで「岸田秀・文庫」で検索。ユーズド商品も含めて全著作購入可能。

1982
ものぐさ精神分析 中公文庫
続ものぐさ精神分析 中公文庫
1985
幻想を語る1 河出文庫
幻想を語る2 河出文庫
1993
不惑の雑考 文春文庫
嫉妬の時代 文春文庫
1994
黒船幻想―精神分析学からみた日米関係 河出文庫
幻想の未来 河出文庫
1995
フロイドを読む 河出文庫
保育器の中の大人 文春文庫
1996
日本人と「日本病」について 文春文庫
1997
ふき寄せ雑文集 文春文庫
仏教と精神分析 レグルス文庫
1999
性的唯幻論序説 文春新書
自分のこころをどう探るか―自己分析と他者分析 集英社文庫
心はなぜ苦しむのか 朝日文庫
20世紀を精神分析する 文春文庫
2002
ものぐさ箸やすめ―アメリカと日本、男と女を精神分析する 文春文庫
日韓いがみあいの精神分析 中公文庫
幻想の未来―唯幻論序説 講談社学術文庫
2004
日本がアメリカを赦す日 文春文庫
2005
唯幻論物語 文春新書
2006
幻想に生きる親子たち 文春文庫
2007
古希の雑考 文春文庫
歴史を精神分析する(「官僚病の起源」改題)中公文庫
2008
性的唯幻論序説 改訂版 文春文庫

フィクションとしての靖国

2006年02月06日 | 唯幻論
私は、小林よしのりさんのファンでもありまして、彼の本は全て購読しています。小林さんが「戦争論」で岸田先生の思想(アメリカ論)を引用したこともあり、かねてから、岸田先生と小林さんの対談を希望しています。昨日、「靖国問題をどう解決するか」というテーマの小林さんの講演会を聴講して、お二人の思想はかなり重なることを確信しました。

小林さんは、聴講者から寄せられた「現在は男性性・女性性が壊れかけていると思うが、小林さんはどう思うか?」と言う質問に答えて、

「わし(小林氏)はこういうふうに、股を開いて椅子に座っているが、上野千鶴子が股を開いて座っているかどうかは分からないが、女性は普通、股を閉じて座っているのではないか。そういう男性性・女性性を壊したいという勢力がある」という振りに始まって下記の主張をされた。

「(欧米に対抗する為に)近代国家というフィクションを作る必要があり、そのために靖国を作る必要があった。」

「フィクションとしての靖国を壊したい勢力がある」

「日本人は、日本の、文化・伝統である靖国を必要としている」

というものでした。完全に岸田理論を理解していると感じました。

被害者としてのトラウマ(PTSD)

2005年10月12日 | 唯幻論
SAPIO誌10/26号に岸田先生のインタビューをまとめた記事が掲載されています。
天災ハリケーン カトリーナちゃんまでも精神分析の対象になってます。世界はますます不安定になりつつありますねえ。
以下長いタイトルと本文から引用

精神分析
「建国のトラウマ」から”外的”を探し続けてきたこの国が初めて” 内なる敵”に目を向けた            
9・11(国家的PTSD)とハリケーン(フラッシュバック)直撃でアメリカが直面する自我崩壊の危機

世間ではイラク戦争に関し、「正義」を大義名分にしつつ、実際には石油利権の奪取が目的だったとされているが、私に言わせればむしろ逆だ。「イラクが癪に障るから叩きつぶす」では説得力が無いので、石油利権を口実にしているだけだ。

今までは外の敵に目を向ける事で精神の平穏を保ってきたのに、内に原因を探しはじめれば、いよいよ「アメリカは正義の国である」という自己欺瞞によって維持されてきた自我が崩壊する危険性がある。それを回避するためにおそらくアメリカは相変わらず外に敵を探し続けることになるだろう。よって、今後ますます外への攻撃は過剰になり、反対に内部的には脆弱になるという二極化が進行するのだ。

フリーハンドで丸を描く

2005年10月07日 | 唯幻論
丸をフリーハンドで紙に描いて下さい。(広告の裏側にでも)

1.日の丸を描いてください。
  この丸は、彼のあなたに対する理想像です。彼はあなたのことを「理想の女」ととらえています。

2.日の丸の、丸に重ねて、もう一つ、丸を描いてください。
  しばらく付き合うと、あなたは彼の理想像からずれてきてしまいます。(重なっている部分は彼の理想像とあなたと共通している部分。重ならない部分は、彼の理想と異なるあなた)

3.丸の重なりが少ない、二つの丸を描いて下さい。
このずれが大きくなると、共通する部分が無くなって、彼の理想像はあなたからずれてしまいます。

彼に限らず、ほとんどの人(女性も)は同じようなパターンを歩むでしょう。人は皆、理想像を相手に貼り付けて幻想を見ているのですから。

ありのままの自分、ありのままの相手と出会うことははなはだ困難なことなのですねえ。

親子編

1.日の丸を描いてください。
  この丸は、子供が生まれたときの「理想のわが子像」。親は「理想のわが子像」を赤ちゃんに貼り付ける。

2.日の丸の、丸に重ねて、もう一つ、丸を描いてください。
  ところが育てていくうちに、子供は必ず親の理想像からずれたところに姿を現してくる。
右側は「理想のわが子像」
重なったところは「僕であっていい僕」
左側は「僕でありながら、僕であってはいけない僕」

3.丸の重なりが少ない、二つの丸を描いて下さい。
  この、「僕でありながら、僕であってはいけない僕」は抑圧され、蓄積されて膨れ上がり、ついに爆発することがある。

保育器の中の大人 文春文庫 伊丹十三さんの後書きから意訳して引用
伊丹さんの後書きが掲載されているので、朝日出版社版、青土社版より好きな本です。南沙織のエピソードが特に印象に深いですねえ。

岸田秀語録

2005年09月13日 | 唯幻論
唯幻論は、諦観論ではありません。卑怯者の逃げ道ではありません。
人生の指標となる「メタ思想」といえるでしょう。
ただし、岸田先生は「メタ思想」という評価を否定しています。
(2005・09・08 藤田博史先生・鈴木晶先生との鼎談)
この件に関しては引き続き考えて見ます。

以下ホームページ掲示板から岸田秀先生のコメントを引用。
これは私の一番好きな岸田秀語録です。
人生は肯定的に!

幻想

 唯幻論は何事にも熱くなるなということではありません。熱くなるのはいいことです。熱くなっている自分を維持しながら、それと距離をおいた自分ももっておくということです。小生は惚れっぽいですが、惚れている時はその感情に基づいて彼女に接します。惚れているという熱い実感があります。受け入れられると非常に嬉しいし、振られると落ち込みます。熱くなるのは良くないとかで、その感情を抑えつけるのは馬鹿げています。逆に大いに惚れている気持ちを大事にします。すべては幻想だというのは、幻想だからつまらないということではなくて、幻想を生き生きと享受するということです。恋愛も幻想ですが、幻想だからこそ、相手とのやりとりにいろいろ味わいがでてくるわけです。

自虐史観

2005年08月23日 | 唯幻論
幻想に生きる親子たち 文藝春秋 自虐史観から引用

わたしは自虐史観には次のような特徴があると考えている。
(一)自分と対立する主張(たとえば皇国史観)を全面に否定する不寛容。泥棒にも三分の理と言われるように、間違いだとしても皇国史観の成立には、建国のときにせよ(当時は皇国史観と呼ばれていなかったが)、明治維新のときにせよ、それなりの事情と理由があるが、そういうことをいっさい考慮しない。
(二)たとえば、大江健三郎のように、悪い日本をひたすら非難することによって、自分は他の日本人と違って道徳的に高潔な人間だと思いたがっていることが、当人は気づいていないようだが、傍目には透けて見える。
(三)日本が犯した悪は自分とは無関係な赤の他人の日本人がやったことだと思っているらしく、そこに身を入れ思いを入れて痛みを感じているというところが見えない。
(四)日本を悪いと判断する規範が妥当なものなら、日本と同じような悪い事をした他国をも同じ規範にもとづいて同時に非難すべきであるが、日本だけを責める。これはダブル・スタンダードである。日本人は日本の罪悪だけを問題にすればいいのであって、他国の罪悪はその国の人の問題であり、自ら責めないのなら仕方がないという考え方も成り立つが、それは「君、君たらずとも、臣、臣たらざるべからず」という、主君に対する臣下の道徳であって、他国(連合国)を主君、日本を臣下と見ているから出てくる考え方である。そのような考え方は卑屈と言うべきであって、冷静な自己批判ではない。

模倣する国

2005年07月20日 | 唯幻論
岸田先生と靖国神社の「みたままつり」に行きました。小林よしのりさんの献灯が入り口にありました。

私は以下の岸田先生の視点が大変重要であると考えます。アンケートは①小泉首相は靖国神社参拝を取りやめるべきか否か?② その理由、および中国の反日暴動についてどう考えるか。81名の回答
文藝春秋7月号138ページから以下引用

敵を模倣する国         参拝すべき

「攻撃者との同一視」は精神分析が説く重要な心理メカニズムの一つである。人間は自分を侵害し侮辱する敵を模倣する。ヘレン・ミアーズが『アメリカの鏡・日本』で指摘したように、近代日本のアジア侵略は、アジアを侵略し日本を侵略しようとした欧米諸国、特にアメリカの模倣であった。アジアにおのれと似た軍事大国が出現して脅威を感じたアメリカは、日本を叩き潰し、近代日本のこの企ては挫折したが、今度は、日本に侵略された中国が日本を模倣し始めた。中国軍はまずチベットを侵略した。ついで中国政府は尖閣諸島を領土化しようとし、中国人は日本に密航して強盗や殺人を働き、中国海軍の潜水艦は日本の了解を侵犯し、中国各地で反日暴動が起こった。その規模は日本軍の中国侵略にまだ遠く及ばないけれども、そこに侵略の萌芽を見ることができる。この萌芽をこのまま放置すれば、日本はかつて日本に蹂躙された中国の二の舞になるであろう。

李登輝さんへの手紙

2005年05月22日 | 唯幻論
李登輝さんにお目にかかってきた。
新党の党首として選挙に躍進した事もあり、かなりエネルギッシュ。挨拶だけの予定が1時間以上の演説に。
以下李登輝さん宛の手紙です。岸田秀先生のコメントはコアの部分ですが私信のため残念ながらカットします。お許しがでたらその時点で入れて決定稿とします。

拝啓 若葉の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。この度は、大前研一さんのご縁によりお目にかかれて光栄です。(私の身元は大前研一さんにご照会下さい。)

今回、閣下にお手紙を差し上げるのは、私の師事する岸田秀先生の思想が閣下の興味を引くのではないかと考えたからです。岸田秀先生は「全ては空である」という仏教思想にも通じるような「史的唯幻論」という独自の思想を理論化された方で、国家の有り様を的確に語ることができます。著書は47冊あります。(小林よしのり氏の「戦争論」にもアメリカの病理を説明する理論として引用されていますし、SAPIOの編集長は岸田秀先生の著書の担当者でした。またフジモリ元ペルー大統領の学友でもあります。)この度、私が閣下にお逢いできる事をお伝えして以下のコメントを頂きました。

(コメント略)


史的唯幻論の参考資料を同封します。
1. 岸田秀先生 著作リスト
2. 朝日新聞紹介記事
3. 「ものぐさ精神分析」   処女作。1977の出版から現在まで版を重ね、
   約60万部が出版されており日本の思想史に大きな影響を与え続けている。
   51ページからの「国家論」はこれだけは読んで頂きたい著者のお勧めです。
4. 「古希の雑考」      47冊目の最新刊
5. 「日本がアメリカを赦す日」英訳されアメリカで出版された本
(この英訳本は陳水扁総統に差し上げる予定です。)

私はこの思想が多少でも平和に貢献できると考えています。中国圏には未紹介の理論であり、共産主義者にも理屈で受け入れやすい理論だと思われます。出版されていませんが中国語訳の下書きもあります。閣下にもしご関心が有るようでしたら僭越ながら、岸田秀先生を紹介させていただきます。                       
以上お目を通していただいてありがとうございました。            敬具

廃憲論

2005年05月02日 | 唯幻論
改憲論・護憲論はもういい。唯幻論的気分は「廃憲論」!

「さらにまた幻想を語る 青土社 1988年初版」
「黒船幻想」出版後に江藤淳さんとの対談「黒船いらいの日米戦争」から引用
(岸田秀先生と江藤淳さんは同じ昭和8年12月25日生まれです。)

E (前略)私は改憲論者じゃないんです。実は廃憲主義者なんです。だって、日本みたいな古い国には憲法なんていらないもの。
K ほほう。僕と同じですね。僕もいらないと思っています。
E これは近代の歴史を見ればわかる。明治憲法も本当は必要なかった。ただ、成文憲法を作って立憲国家の体裁を整えないと欧米列強が条約改正してくれないから、憲法を作った。旧憲法は昭和に入ると実情に合わなくなりはじめて、それが大東亜戦争の悲劇の一因になったともいえる。戦争に負けて占領がはじまると、占領者になったアメリカというのは最初の成文憲法を作った国だから、憲法を変えれば日本を支配できると思って、今の憲法を作らせた。
K そういうことですね。
E ですから、憲法を変える必要なんてないんです。憲法があるから、変えろ変えないになる。日本は成文憲法を持っていないイギリスより古い国なんだから、全部慣習法でいくということにすればいいと思う。普通の法令は国会でどうとでも変えられるから、楽です。日本の精神分裂病体質を少しでも治すためにも、憲法なんてやめちゃったほうが、ずっといい。
K 全面賛成。廃憲でいきましょう。
E いきましょう!憲法がなければ、天皇の問題だってずっとすっきりする。天皇はおられるんだからいていい。神様だと思いたい人は思えばいいし、何でもないという人はそう思っていればいい。
K そうそう。そうすれば、大東亜戦争という悲劇の二の舞も避けられるかもしれません。内的自己が天皇を神として自分たちの支えにしちゃったところに、日本の悲劇があったわけですから。天皇を巡って内的自己と外的自己が不毛な争いをしなくてもいいから、分裂症状の克服にも役に立つ。
E 本当に創ですよ。
K いずれにしろ、日本が分裂病を克服するためには、内的自己と外的自己のどちらも自分だと認めたうえで、統一しなきゃだめです。僕はそれを言いたくてたまらない。(以下略)

唯幻論と教祖

2005年04月29日 | 唯幻論
私は唯幻論信者なので、教祖として岸田秀先生を崇めたいところであるが、これは岸田秀先生の一番拒否されるところである。たぶんこれまでたくさんの信者候補が押しかけたのではないかと思うがすべて拒否されたのであろう。
思想と、その思想を理論化した個人は同じではない。ということであろうか。

例えは悪いのだが、SF関係の逸話がある。
SF大会が日本で開催されて、著名な人気のある外国作家が訪日したので歓待したのだが、その担当者曰く「作品は素晴らしいが、書いた人はゲスだった。」
なんとなく、素晴らしい作品があると、作品と同一化して、作品同様に作者も素晴らしい人だと思っていたのだが、この逸話でなるほどと目が覚めた。
唯幻論は素晴らしい思想で真理であると思うが、理論と理論化した個人とは同じではないということだ。
念のため申し添えるが、岸田秀先生は、常識的でやさしい方です。

たぶん、岸田秀先生の没後に最重要な理論として体系化されていくことになるのではないだろうか。本来ならば和光大学に史的唯幻論学部があるべきだと考える。
岸田秀先生の名人芸で完結する唯幻論ではない。
フロイド理論が唯幻論を生んだように、唯幻論は何かを生み出すのであろうか?
(未完)