日本は東京裁判での、いわゆる戦犯としての絞首刑を含む諸判決を受け入れて、過去を償ったと考える。そのことでサンフランシスコ平和条約を締結し大東亜戦争にけじめをつけたと考える。
中国・韓国・北朝鮮の反日には、元寇でチャラであると考える。
元が中国とちがうというなら、日本が戦った相手は、アメリカの傀儡の国民党であり中国とは関係ないのである。
中国・韓国はアメリカの戦略に乗せられて反日をやるべきではない。日本もそれに反応して反中・嫌韓になりつつあるではないか。
中国・韓国を批判するより、日本の観念的平和主義者を批判する。国内問題は国内で議論すべきところを、何故、中国・韓国に持ち込むのか。
日本の精神衛生上、冤罪であろうと思われる東京裁判はやり直す必要がある。
「日本がアメリカを赦す日 岸田秀 文春文庫 第5章平和主義の欺瞞」から以下引用
押しつけられた平和主義は、平和の敵です。
押しつけられた平和主義は、自分で考え、自分で身につけたものではありませんから、観念化します。観念化した平和主義は、平和とは具体的にどういうことであり、平和へと至るにはどういう具体的方法があるかということについて何も指し示しません。平和、平和と大声で叫ぶことしかできません。侵略されても武器を取らないとか、いかなる場合も戦争は絶対反対だとか言うのは、平和について具体的に何も考えていないことを示しています。
中国・韓国・北朝鮮の反日には、元寇でチャラであると考える。
元が中国とちがうというなら、日本が戦った相手は、アメリカの傀儡の国民党であり中国とは関係ないのである。
中国・韓国はアメリカの戦略に乗せられて反日をやるべきではない。日本もそれに反応して反中・嫌韓になりつつあるではないか。
中国・韓国を批判するより、日本の観念的平和主義者を批判する。国内問題は国内で議論すべきところを、何故、中国・韓国に持ち込むのか。
日本の精神衛生上、冤罪であろうと思われる東京裁判はやり直す必要がある。
「日本がアメリカを赦す日 岸田秀 文春文庫 第5章平和主義の欺瞞」から以下引用
押しつけられた平和主義は、平和の敵です。
押しつけられた平和主義は、自分で考え、自分で身につけたものではありませんから、観念化します。観念化した平和主義は、平和とは具体的にどういうことであり、平和へと至るにはどういう具体的方法があるかということについて何も指し示しません。平和、平和と大声で叫ぶことしかできません。侵略されても武器を取らないとか、いかなる場合も戦争は絶対反対だとか言うのは、平和について具体的に何も考えていないことを示しています。