goo blog サービス終了のお知らせ 

日経新聞・MJ・日経ビジネス ・宣伝会議に学ぶ商品マーケテイング理論・・・篠原まーけブログ

日経新聞、日経ビジネス、日経MJ、宣伝会議の商品記事をケーススタディ化!
事例研究でマーケティングスキルのUPを!

マーケティングの本質はプラシーボ効果!人を誘惑し、その気にさせること?

2016年06月24日 | Weblog
マーケティングの本質はプラシーボ効果!
マーケティングは人を誘惑し、その気にさせること?



はじめに:

今回はプラシーボ効果について語る。
マーケティングの本質、人を説得することの裏にある、
心理について語る。

マーケティイングは、
実は心理学である!という話。
今世間を賑やかしているIYグループの鈴木元会長の持論である。

特に小売りは、
売場で、お客様の「欲しい気持ち」を刺激し、あなたの欲求にこたえられるものを用意しましたよ!
とパッケージ、POPや売場の棚割りで訴えかけ、
最大・最高のセレクション満足を与えるビジネスである。
満足度が高ければ、商品が自然に買物カゴに入ることになる。

今回は、生活者の欲しいという気持ちを扱う。

A.プラシーボ効果とは何か?

プラシーボ効果、偽薬効果ともいう。

本来の機能的、サイエンス的なメカニズムではなく
気持ちに訴えかけ、本来その不調に聞く成分が含有されていない薬にもかかわらず、
本人はその薬が効くと信じて服用すると、実際に治ってしまう、治った気分になる、
という効果である。

具体的に言うと、
風邪の患者に
普通のビタミン剤をこれは風邪によく聞くよ!
ともっともらしく説明して渡して服用させると!
本当に風邪が好転するという効果である。

思い病気ではなく、体の回復能力、免疫力で治るものは
気持ちの持ち方次第でかなり治ってしまうものだが、
病は気からの通りで、この偽薬効果の暗示は、状況次第では甚だしくよく効く。

お医者さんへ行って、診療が終わって、注射を打ってくれない、薬もくれないような
良い?お医者さんがいたとしよう。

患者は、
医者に診てもらい、薬か欲しいと思い、飲めば気分的に安心し、
治る意欲が沸き起こり、本当になおるという構図を心の中に描いている。
それが医者にかかるメリットでもある。
薬を出してほしい、と深層心理では思っている。
薬をもらえないで、しばらく無理しないで過ごしてください、
などといわれると拍子抜けしてしまう。

患者にいとっては、薬をもらえることが嬉しいのである。
最適の治し方であっても自然治癒に任せたようなまじめな?ものは嫌なのである。


逆のこともある。
あるアメリカの部族での話。
バナナを忌み嫌いう風習があり、バナナを食べれば死ぬとされていた。
ある食事をした後に、実はその料理につかったフライパンは、その前にバナナを使って調理をしていたと説明したところ、泡を吹いて悶絶してしまったという。
実際に、そのフライパンは、バナナ調理用には使われていなかった!
という。

思い込み、信じ込みの効果は凄い!
という話である。

B.プラシーボ効果とマーケティング

プラシーボ効果は、
マーケティングの本質である。

話をすこし横にそらす。
マーケティングは見込客や想定ターゲットの感覚が大事である。

例えば、
お客様が白いものを黒といえば、それは黒という認知をしたことになるので
それを前提としてマーケティングの施策を打つということになる。

信じ込んだことを、それは正しい、間違いと指摘することは
ほとんど意味がなく、
お客様の思いがすべての出発点ということになる。
“お客様は神様です!” という名言があるが、
このたとえは正しい。
これは御客様に迎合する話では無く、
マーケティングの本質を突いた話である。

ここで大上段に構えて、
マーケティングの「もの・こと」とは何か?を考えてみる。
「こと」は、今ブームである。
生活者の買う、買わないの判断は「こと」により決まるといってもよい。
この「こと」が、実はプラシーボ効果により成立している。

では、「こと」とは何か?
マーケティングの基本、製品の進化から考えてみる。(以下)

製品は、
・ここに、シーズに基づいたプロトタイプから、量産化されうる「製品」が出来、
・それが、お客様のニーズにあわせたコンセプト化された「商品」になり、
・更に、広告、パッケージ・ネーミングにより臨場感のある生活の場の「生活品」になり、
・最後にお客様は自分にとって意味があるものと感じ購入したくなる「自分品」になる。
という進化をする。

この製品の進化が「コト」である。
ハードな製品そのものは「モノ」である。

メーカーから生活者へものが渡るとは、
企業側のシーズ価値と生活者側のニーズ価値を交換、マッチングさせることでもある。
このマッチングのためにいろいろな情報がやりとりされ、最後に購入という局面を迎える。そこには。モノのコト化という進化が起きている。
「こと」こそが、生活者のこころを開き、財布のひもを解かせるツールである。
「こと」とはもともとの製品状態の「もの」にプラシーボ効果まぶせたものと考えてよい。

マーケティングとは
メーカー、小売、生活者の3者が、心理的な駆け引きをおこない、
互いの納得のいくところで妥協して、価値の交換(商売)を成立させることである。

製品を輝くように見せ、生活の場に適合するように見せ、生活者の日常に寄り添うように見せ、買ってもらうというマネジメントツールともいえる。

つまりは、3者の間で、製品の価値をめぐって
きつねとたぬきの化し合いをしている訳で、
この価値こそが「プラシーボ効果」である。

マーケティングはプラシーボ効果をめぐる戦いである。
但し、ここでいうプラシーボ効果は、前述の偽薬効果とは異なる。
自分の製品を如何にいいものかということを
手を変え品を変え訴え、相手をその気にさせるという意味である。
全く効果のない薬(製品)を効果があると偽って、だまして薦めるということではない。

相手に、
自分の製品が、一番、その人に合っていると信じてもらえるように仕向けることが出来るか、その巧拙を競うことがマーケティングである。

同じ性能の、品質の製品・サービスでも、どのようにコンセプト化するか、
どのようなクリエイティブでそれを表現するか
でまったく異なるイメージの商品、生活品になり、
それが届く相手も、売れる量も全く異なるものになる。

プラシーボ効果の作り方、出方によって大きな差がついてくる。

C.プラシーボ効果の意外な側面

プラシーボ効果は、芸術行為の中にも見られる。

あるアーティストがピアノ演奏をする。
観客は、その演奏をどう評価するか?

世界的なコンクールで優勝したOOさん
ということが分かって聞くのと、
プロはだしの人で半端なくピアノが上手な人です
という情報で聞くのと
これから引く人は、今伸び盛りの若手です
という情報で聞くのでは
評価が異なる。

全く同じ演奏、演奏者でも
前振りの仕方で、聞く側の印象はかなり異なる。
プロの耳が肥えた人でも、演奏に対する評価は違ってくる。

更に演奏者のビジュアルが目の前で見える状態で聞くのでは、
また異なる評価になる。
演奏者の容姿、仕草、言葉、表情・・・・・は大きく評価に影響する。

それほど、目に見えないサービス財である、芸術の評価はあいまいなものである。
逆に言えば、人によりかなり異なった評価になるので面白いともいえる。
芸術はプラシーボ効果でなりたつ世界である。

コンピューター的な科学的、再現的な評価ではない評価が出てくるところに
面白さがある。

話は飛ぶが、
今コンピューターの世界では、AI・人工知能がどんどん進んでいる。
あるピアノ曲を聞かせて評価、点数化することができる。

普通は、
ピアノの評価は、技術的、情緒的、人間的なものから総合的に評価が下される。
この中の演奏技術的なものはコンピューター評価になじむ。

パターン化してコンピューターに評価方法を覚えさせて評価させれば
世界的に皆が凄いという演奏家のピアノは高く評価されるようになるだろう。

人工知能的な自動学習をプログラムすれば
人知が追いつかないぐらい
客観的な評価にたどりつくだろう。

今、カラオケで点数が出るようになっている。

今の段階だと歌唱技術だけでコンピュータは評価をしている。

演歌歌手がこぶしを聞かせ、わざと音程を外し不安定にさせて、
観衆のこころを揺さぶったとしよう。
この歌い方の点数は意外と低くなる。
機械的に忠実に歌う方が点数はよくなる。

人が聞けば明らかにそのプロ方が、情感がこもり、
上手に聞こえ、心を打つとしても、である。
音の音色、声質なども、今はまだ評価にはあらわれない。

皆が感動する演奏とは何か?

・譜面通り忠実に、正確に引く。
・譜面の裏にある作曲家の意図、自分の解釈を、
様々なテクをつかい情感を生み出す

・そして、演奏だけでなく、その人の人間性、感受性、生き方・生きざま等々を雰囲気として醸し出しビジュアルで迫る、

いろいろな要素があり、その人の演奏の評価がきまる。

これらを数値化し、コンピューターが自動的に評価方法を学習するようなことになれば、
人間の評価に間違いなく近づくことになる。

コンピューターはプラシーボ効果的な情報に影響されない。
騙されない。
声質、人柄、過去の履歴、情感を込めた外し・・・・・・・は評価できない。
しかし人間はそのような不確定要素も含めて心地よくプラシーボされ、評価を下す。

ITの進化は極めて速い。
上記のような複合的な情緒要素まで加味してコンピューターが判断をくだすようになるのは時間の問題かもしれない。

普通の生活者は
ものの評価に精通した専門家ではないので、プラシーボ効果にかなり惑わされる。
いわゆる目くらましにあいやすくなる。

純粋な演奏技術でなく、表現力というやや漠とした領域により評価は紛れてくる。
演奏者の貴公子然とした容貌、その人の生い立ち、育ち、表情、身振り、
過去の演奏会での評価、コンクールでの入賞実績等々も複雑にからんで
良い、良くないが評価される。

下手をすると純粋演奏技術より後者の方の評価の配分が多い可能性もある。

それが間違いと言っているわけではない。
それが真実だということである。

JPOPのインディーズの話。

インディ-ズからメジャーになり、有名アーティストとしてランクインする、
現代の若者のヒーローがいる。
例えば、ゆず、こぶくろはどのような偽薬効果でブレークしたのであろうか。

実力のあるインディーズはちょっとしたきっかけでビッグになる。
それまではほとんど評価されずに埋もれていた人が、いきなり凄いことになる。

有名にならなくても、
そのひとの実力はまちがいなくTOPクラスのはずなのだが、
インディーズのまま街中にうずもれていく。
実力があっても評価されなければ評価は0である。

あるきっかけで
急に凄いアーティストと評される。

例えば、
隠れたファンがSNSで紹介したとする。
それが伝播する。
あのアーティストはいいよ!という評判がみるみるうちに膨らんでいく。
いわゆるインフレ現象を起こす。

SNSは個人がいいよ!というレベルであり、
有名な評論家がいいよといって一発でプラシーボ・偽薬効果がつく訳ではないが、
個人がいいよ!発信をすると、多少時間がかかっても、
その個々の評価がつもりつもって
大きな偽薬効果のかたまりとなり、そのアーティストはブレークする。
まさに、プラシーボ効果が働いた結果である。

歌手が持ち歌を歌う。

そこには歌のうまさ、演奏のうまさは必要だが、
それを歌う人のその歌への同期感が優れていて
そのひとが歌うから歌詞に込められたストーリーが伝わる、
ということがある。

その歌手の言葉、仕草、表情、服・・・・が醸し出す雰囲気によって
その歌が俄然よく見えてくるのである。
ミスチルのうたは桜井和寿氏が歌うからよいのであって
他の人ではだめなのである。
単純な詩と曲の良さだけでは、偽薬効果が生じない。


D.評価のバイアスについて

プラシーボ効果の裏側では、以下のような心理も働く。

認知的不協和という心理である。

自分が意思決定して決めたことに対して、本当にそれでよかったのだろうかと、
反省する心理である。

本当は他の方を買った方がよかったのでは?
本当な何も買わずにモラトリアムの方が得策ではなかったか?

生活者は迷ったり、反省したり、後悔したり、返品したり、
と冴えない意識・行動をとる。

この認知的不協和を取り除くために、その商品の広告を改めてよくみて、
自分の決断は間違いではなかったと再確認する。
商品を購入している人は誰か、何人ぐらいいるか、その人はどんな評価しているか
と情報を収集して仲間がいることを確認して安心をする。

これが「かよわき消費者」のスガタである。

自分が高いチケットを買って見に行った演奏者の演奏は
たとえどのような技術的なレベルであろうが、
良かったと評価したくなる、
ひどい!さえない!とは口が裂けてもいえない。

お金を払って苦労して手に入れたチケットの演奏会の評価で、
演奏を聴きたいと期待した自分の気持ちを裏切るような評価はできない。

ましてや自分がその演奏者のファンだとしたら、
例えさえない演奏だったとしても、マイナスの評価を押し殺し、
そのファンである演者のよいところを引き出して、
今日はあそこが、こんなところが良かったと好意的な評価を下すことになる。

自分のチケット購入行為に対して、認知的不協和を起こしているのである。
チケット購入には間違いがなかったという気持ちでいたいという思いがある。

いずれにせよ、人間臭いところで評価は下される。
これは素人的な観客だけでなく音楽の専門家でも同じである。

本音を言えば客観的な評価というものはない。
プラシーボという衣をかぶって評価するのが人間世界の評価基準である。

マーケティング、商品評価に戻る。

生活者は、いろいろな情報にさらされている。
過去の生活履歴、その商品の広告、口コミ等々、あらゆる情報にさらされ、
ある意味、先入観という衣をかぶった状態で商品に対して評価を下す。

その評価に一喜一憂するのが、メーカーの開発者であり、ブランドマネジャーである。
(辛い 商売ですね!?)

D. エピローグ:PBのプラシーボ効果:

商品はどのように偽薬効果を演出するのだろうか。

それを創った企業のイメージ、開発者のこだわり、
パッケージ、名称、広告等々により様々な衣着ることにより、ある種の雰囲気を醸し出し、生活者の心を掴もうと奮闘する。
もともとの中身を、イメージ良く、そのターゲットに的確に伝達したいと思い、
いろいろな衣がついていく。

それがNBである。

逆に、PBは?

PBは裸である。
中身はNBと同じで安い!
というコンセプトで、NBとの比較の中でわかりやすくその存在感を示す。

NBに寄生する特質が、原始的なPBの性格である。

大きな店のPBであれば、信頼性は担保され、まさに魅力的な商品ということになる。
NBはメーカーが頑張って作り込んだもので、
品質では間違いがないという偽薬効果を醸し出して存在する商品である。

PB。
PBはNBの偽薬効果を逆に利用する存在である。

但し、PBの実情は以下の通りである。
同じ品質、同じ機能というのがなかなか曲者で、
生活者はそのように簡単には判断してくれない。

実際にNBのように
日々商品に磨きをかけ命がけで売り場を確保し、
広告を打ち生活者へコミュニケーションするような
血のにじむような努力を、お店ができるだろうか。

もちろんPBの戦線がどのくらい広がっているかによるが、
なかなかNBと同じ機能・品質を維持・向上させることは難しいようだ。
結局、PBは、
「安かろう悪かろうという商品」になり、棚落ちしていくことになる。

PBは、
流通にとって重荷になっていることが多いという話もよく聞く。

悪かろうまで行かなくとも、コニュニケーション努力がないので、
生活者はイメージとして商品に対してふくらました感情を持つことが出来ないので、
その商品への関与を、NBのレベルまで高められないのである。

従って、買うという選択銘柄のセットに入らずに負けとなる。

但しセブンアイ等のPBは別物である。
あればPBではなくセブン版のNBである。

この稿おわり

追記:
いろいろな購入意識・行動に関する「効果」についてのご紹介

■ヴェブレン効果:
高くなるほど買いたくなる心理
高いほどよく見える、社的に皆からうらやましがられる、社会的に上に見られる
等のメリットを感じて買いたくなるという心理

■スノッブ効果:
希少なものほど欲しくなるという心理。
買わないと買いそびれて損をするという切迫感ある、
希少なものなので入手できれば、
入手できなかった人に対して優越感が持てるという気持ちがある、
だから思わず買ってしまうという心理









コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■キリン生茶、起死回生の復活... | トップ | ■ ビットコイン。仮想通貨は... »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

Weblog」カテゴリの最新記事